第24話 スキル宝珠
「――配信、始めます。今日は、近接の練習です」
『近接?』
『スナイパーが?』
『リベンジの準備か』
『後ろにミレイ様いる』
『ルカくんもいる!』
南管理区の異界型ダンジョン。入口の石段を下りながら、のあはゴーグルの端を見た。視聴者は、始めて一分で四千人を超えていた。
後ろを歩くミレイが、胸元のカメラに向かって小さく手を振った。
「今日のあたしたちは、ただの付き添いよ。野良猫ちゃんの実地試験」
「試験なんですか」
「試験よ。まさねぇに、合格か不合格か報告するの」
(聞いてない)
ルカが、のあの横で苦笑いしていた。
「俺は荷物持ち。あと、危なくなったら叫ぶ係」
「叫ぶだけですか」
「Cに多くを求めないで」
*
この区画は、古い石造りの遺構がそのまま通路になっている。壁も床も四角い石で、曲がり角が多い。遠くまで見通せる場所は、ほとんどなかった。
狙撃には、向かない。だから、ミレイが選んだ。
三つ目の角の手前で、のあは足を止めた。
石の床を、爪がかく音がした。三つ。
「ハウンドドッグ。三体です」
『音で分かるの』
『いつもなら撃ってる距離?』
「角の向こうなので、撃てません。……行きます」
のあは魔銃を出さなかった。短刀だけを抜いた。
上着に闇をまとわせる。《隠密》で気配を沈める。それから、自分と同じ形の影を、一歩前へ押し出した。
ミラージュが、角を曲がった。
灰色の犬が三体、一斉に振り向いた。先頭が吠え、幻へ跳びかかる。
のあは、幻の半歩後ろ、壁際の影の中にいた。
(正面に立たない)
跳んだ一体目の首が、のあの目の前を通り過ぎた。短刀を、その下へ滑らせる。犬は幻を突き抜けて、そのまま石の床に落ちた。
二体目は、幻を噛み損ねて首を振った。仲間が倒れた方向を見る。そこに、のあがいた。
目が合う前に、のあは影ごと横へずれた。
(見せない)
二体目の牙が空を噛んだ。その耳の後ろへ、刃を入れた。
三体目は、跳ばなかった。低く唸りながら、後ずさる。逃げるか、迷っている。
のあは、もう一度ミラージュを出した。三体目の右に。犬がそちらへ首を振った瞬間、左から踏み込んだ。
三体とも、石の床の上で動かなくなった。
のあは、息を吐いた。吐き切らないまま、短刀を下ろした。
『は?』
『今の何』
『分身した?』
『犬、全員偽物のほう向いてた』
『近接でもこれかよ』
「三体目、刃が一回遅れたわね」
後ろから、ミレイの声が飛んできた。
「迷ってる相手の前で、こっちまで迷っちゃだめ。逃げるか迷ってる間に、終わらせなさい」
「……はい」
(見てるな、ちゃんと。試験だもんな)
ルカが、倒れた犬を見下ろして小さく口笛を吹いた。
「一週間前、俺と互角だったよな?」
「……今でも、闇なしなら互角です」
「それ、慰めになってないからな」
*
遺構の奥へ進むと、行き止まりの小部屋に出た。
ミレイが、壁の前で立ち止まった。
「ちょっと待って」
細い指で、石と石の継ぎ目をなぞっている。
「ここだけ、風が出てるわ」
のあも手をかざしてみた。言われてみれば、指先がかすかに冷たい。
ミレイは、継ぎ目の下の石を、爪先で三回叩いた。音の響き方を聞いている。それから、腰の高さの石を、ぐっと押し込んだ。
壁の一部が、重い音を立てて奥へ沈んだ。
『隠し部屋!?』
『ミレイ様有能すぎる』
『斥候ってこういうことか』
奥は、のあの背丈ほどの狭い部屋だった。
真ん中に、古びた木の箱が一つ置いてある。
「罠は、あたしが見るわ。下がってて」
ミレイは箱の周りを一周し、蓋の縁に細い針金を差し込んでから、ゆっくり持ち上げた。
中に、小さな珠が一つ入っていた。
透きとおったガラスのような球だった。のあの手のひらに収まるほどの大きさで、内側に、細い三日月のような光がゆっくり回っている。
ミレイが、息を止めた。
「……スキル宝珠」
ミレイは、腰の袋から片眼鏡を出して、珠にかざした。簡易の鑑定具だ。しばらく黙ってから、眼鏡を外した。
「中身は、《飛刃》。刃物を振ったときの斬撃を、離れたところまで飛ばすスキルね」
ミレイが、のあを見た。
「あなた向きよ。……出来すぎなくらい」
『飛刃!?』
『近接の決め手じゃん』
『宝珠って初めて見た』
『いくらすんのこれ』
「値段は」
のあは、つい口に出していた。
「協会の買取なら、三百八十万。オークションに出せば、五百万は下らないわね」
五百万。
のあの頭の中で、数字が勝手に並び始めた。
(五百万。家賃なら、何年分だ。手袋なら……いや、手袋の話じゃない。魔銃の整備を全部、上の工房に頼んでもお釣りがくる。貯金の桁が、一つ変わる)
『売れ』
『使え』
『五百万は草』
『のあちゃん、今ぜったい計算してる』
『声が出てないのに計算してるのが分かる』
(うるさい。……してるけど)
「使うかどうかは、あなたが決めなさい」
ミレイは、珠をのあの手に載せた。
「見つけたのは三人だけど、あたしとルカの取り分はいらないわ。その代わり、使うなら、まさねぇの前で見せること」
「言っとくけど」
ルカが、横から付け足した。
「宝珠って、相性が合わないと、何も起きずに砕けるだけらしいよ。五百万が、ガラス屑」
(言うなよ、それを今)
のあは、手のひらの珠を見下ろした。
三日月の光が、内側でゆっくり回っている。
五百万あれば、生活はしばらく何も心配いらない。誰にも脅かされない暮らしに、また一歩近づく。
けれど。
左肩の三本の線が、服の下でかすかに引きつった気がした。
(金で、あの猫の爪は止められない)
十日間、何もできずに治るのを待った。毎晩、四十回以上転がされた。それでも、まさねぇにはまだ一度も届いていない。
(弱点は、金じゃ埋まらない。……埋まるなら、とっくに埋めてる)
のあは、珠を握った。
指に力を込める。硬い感触が、手のひらの中でひびの入る音に変わった。
珠が、砕けた。
破片は床に落ちなかった。細かな光の粒になって、のあの指の間から、腕の中へ吸い込まれていく。右腕の内側が、一瞬だけ熱くなった。
頭の奥に、短い文字が浮かんだ。
《飛刃》を取得しました。
『砕けた!』
『入った? 入ったの?』
『五百万が……のあちゃんの中に……』
「……入りました」
のあは、右手を開いて、閉じた。何も変わった感じはしない。けれど、腕の中に、新しい引き出しが一つ増えたような感覚があった。
*
隠し部屋を出て、小部屋の端に立った。
正面の壁際に、崩れかけた石の柱が一本ある。距離は、十歩ほど。
のあは短刀を抜いた。
刃を振る。そのとき、腕の中の引き出しを、引いた。
短刀の軌跡から、薄い三日月の光が離れた。
音もなく空を渡り、石の柱に当たった。
柱の表面に、まっすぐな切り傷が一本、刻まれていた。
『うおおお』
『斬撃飛んだ!』
『柱切れてる!』
『忍者じゃん』
「すげえ……」
ルカが、柱に駆け寄って傷を指でなぞった。
「のあ、これ、俺に向けて撃たないでね。絶対ね」
「撃ちません」
(ルカに撃つ理由がない。……今のところは)
のあは、もう一度振った。二本目の傷が、一本目の隣に並んだ。三本目も、同じだった。
どれも、振った向きのまま、まっすぐ飛んでまっすぐ当たる。
「まっすぐ飛ぶだけね」
ミレイが、腕を組んで柱を眺めていた。
「光ってるから、見えるし。見えたら、避けられるわ。まさねぇなら鼻歌まじりで避けるわね」
「……はい」
のあは、柱の三本の傷を見ていた。
(まっすぐ飛ぶ。見える。……見えるなら、見えなくすればいい。闇をまとわせれば)
それから、刃が飛んでいく途中に、何があっても。
のあは、自分の足元を見た。さっき犬が突き抜けた、幻の立っていた場所だった。
(飛刃と、ミラージュ。……重ねたら、どうなる?)




