第21話 敗走のあと
【暗闇】のあ(狙撃)の配信を語るスレ その23
3:名無しの探索者
リアタイしてた
まだ手が震えてる
7:名無しの探索者
一撃必殺が初めて外れた
しかも二回
9:名無しの探索者
>>7
外れたっていうか、撃つ前に避けられてた
アーカイブ0.5倍速で見てみ
発射より猫が跳ぶほうが先
12:名無しの探索者
何あの猫
でかすぎだろ
15:名無しの探索者
サーチブルキャットの変異個体っぽい
耳で獲物探すやつ
普通のは中型犬くらいなんだけどな
18:名無しの探索者
相手が悪い
耳で狙撃手を狩る魔物に、狙撃手ぶつけたらそうなる
21:名無しの探索者
結局、隠れて撃つしか能がないってことでしょ
近寄られたら終わり
24:名無しの探索者
>>21
あの爪を短刀一本で受けて、腕持ってかれなかった時点で十分おかしいんだが
25:名無しの探索者
>>21
見てないやつほどよく喋る
28:名無しの探索者
ミラージュ完全無視されてたの怖かった
目で見てないんだな、あれ
31:名無しの探索者
煙と鳴り玉出すまで、一秒もかかってない
あの状況で「逃げる」を選べるのが一番すごいと思う
俺なら意地で撃って死んでる
33:名無しの探索者
>>31
それな
生きて帰る判断が一番すごい
36:名無しの探索者
右の柱のやつ教えてた人、今回もいた
間に合わなかったって本人スレで謝ってた
38:名無しの探索者
>>36
あれは謝ることじゃない
あの一行で、たぶん首じゃなくて肩で済んだ
42:名無しの探索者
のあちゃん、大丈夫なのかな
最後、膝ついてたよな
45:名無しの探索者
>>42
係員の「救護を!」のところで配信切れてる
そのあと協会のお知らせで「北管理区にて探索者一名負傷、命に別状なし」だけ出た
47:名無しの探索者
命に別状なし
今日はそれだけで寝られる
49:名無しの探索者
いつもは手入れ音で寝てるのに
今日はアーカイブ流す気になれん
*
「十四針です。骨と筋には届いていません」
協会の救護室で、担当医がのあの左肩に包帯を巻き終えた。
「傷がふさがるまで、十日ほど。そのあいだ、左腕で重いものは持たないこと」
「……はい」
(十日。長いな)
健康の力は、病気と、技の反動なら打ち消してくれる。けれど、爪で裂かれた肉を縫い合わせてはくれない。昨日の坂の途中で、それを思い知ったばかりだった。
入れ替わりに、相原が入ってきた。手に、薄い書類を一枚持っている。
「指名は、一時保留にしました」
のあは顔を上げた。
「取り消しでは、ありません。のあさんの傷が治るまで、あの区画は立入を制限します。そのあいだ、ほかの人に同じ依頼を回すことも、しません」
「……すみません。討伐まで、できなくて」
「謝ることは、何もありませんよ」
相原は、書類をのあの膝の上に置いた。
「毛の標本と、柱の爪痕の位置。それに配信の記録。正体が分かったのは、のあさんが初めてです。調査分の報酬は、今日付で出ています」
四十万円。
明細の数字を見て、口元が勝手に緩みかけた。のあは慌てて、書類を裏返した。
(……傷口より先に、こっちが反応するのか、俺は)
相原が、眼鏡の奥で少しだけ笑った。
「それだけ元気なら、安心しました」
*
救護室を出ると、待合の長椅子に三人が座っていた。
「のあちゃん!」
千晴が真っ先に立ち上がり、のあの手前で止まった。包帯の巻かれた肩を見て、伸ばしかけた手を引っ込める。
「……座って。立ってると痛いでしょ」
「痛くないです」
「座って」
押し問答の前に、紗月が長椅子の端を空けた。のあは、そこへ座った。
「配信、見てたよ」
千晴が、紙袋を膝の上に置いた。
「これ、差し入れ。あのお店のおばちゃんに、のあちゃんが怪我したって言ったら、持ってけって」
小さな容器に、白い杏仁豆腐が入っていた。前に、のあの前にだけ置かれたものと同じだ。
「……いただきます」
(おばちゃん。……ずるいだろ、それは)
匙を口に運ぶと、甘さが舌に広がった。昨日から、まともに何も食べていなかったことに気づいた。
真帆は、端末を膝の上で開いていた。のあの配信のアーカイブだ。音を消して、同じ場面を何度も戻している。
「のあ。ちょっと、いい?」
「どうぞ」
「ここ。一発目の前」
真帆が、画面をのあへ向けた。暗い映像の隅に、猫の頭が小さく映っている。
「耳が、こっちを向くの。のあが撃つ、ほんの少し前。二発目も、同じところで向いてる」
真帆は画面を戻した。
「音、戻すね」
小さな音量で、のあ自身の息が聞こえた。吸って、吐いて、吐き切る。そこで、映像の中の耳が動いた。
「撃つ前のリズムを、読まれてたんだと思う。のあの息、毎回ぴったり同じ間だから」
のあは、黙って画面を見ていた。
(……同じ結論だ。一晩かかって、俺もそこに着いた)
「あと、ここ」
真帆が映像を進めた。鳴り玉が岩に当たった瞬間、猫が耳を伏せて跳び退いている。
「音は、すごく嫌がってる。耳がいいぶん、大きい音が苦手なのかも」
「……よく見てますね」
「のあの動画だもん。何回でも見るよ」
真帆は、それ以上は言わなかった。端末を閉じて、膝の上に置く。
紗月は、ずっと何も聞かなかった。
どうして逃げたのかも、次はどうするのかも。ただ、のあの右側に座っていた。傷のない側だった。
杏仁豆腐の最後の一口を食べ終えるまで、そこにいた。
「今日は、帰るね」
紗月が立ち上がった。
「何かあったら、連絡して。何もなくても、いいけど」
「……はい」
三人は、それ以上長居しなかった。千晴が紙袋を、真帆が空の容器を持って、待合を出ていく。戸口で千晴が振り返り、小さく手を振った。
のあは、振り返さなかった。代わりに、手を膝の上で少しだけ持ち上げた。
*
一人になった待合で、のあは自分の右手を見た。
(隠れて、待って、一発で終わらせる)
それで、全部だった。十年以上、それで困ったことはなかった。
撃つ前のリズム。それは、直せる。直さなきゃいけない。
けれど、もう一つある。
あの猫が岩棚を越えてきたとき、のあの手には短刀しかなかった。受けるので精一杯だった。力で押し込まれ、そのまま肩を持っていかれた。
『ところで、あなたの弱点は近いところね』
バーのカウンターで、ミレイがグラスを揺らしながら言った言葉を思い出した。あのときは、聞き流した。
(聞き流してた。……近寄らせなきゃいいって、思ってた)
近寄らせずに済む相手ばかりでは、ない。
のあは立ち上がった。左腕を体に寄せて、救護棟の出口へ向かう。
足は、家とは反対の方角へ向いていた。
*
バー・マーサの扉を開けると、カウンターの奥で、まさねぇがグラスを拭いていた。
店にはまだ客がいなかった。開店前の、薄暗い照明だけが点いている。
「あら、のあ」
まさねぇは、のあの左肩を見て、一瞬だけ手を止めた。それから、何事もなかったようにグラスを棚へ戻した。
「座んなさい。何か作るわ。どうせ、ろくに食べてないんでしょ」
のあは、座らなかった。
カウンターの前に立ったまま、まさねぇを見上げた。
(言え。言わないと、また同じところで逃げることになる)
「まさねぇ」
「なあに」
のあは、頭を下げた。
深く。左肩の傷が引きつれても、下げたままにした。
「特訓してください。近接の」
店の中が、静かになった。
冷蔵庫の低い唸りだけが聞こえる。
しばらくして、カウンターの向こうで、布巾を置く音がした。
「……いいわよ?」
のあは顔を上げた。
まさねぇは、にっこりと笑っていた。
いつもの、飯を押しつけてくるときの笑顔と、形は同じだった。
ただ、目が、少しも笑っていなかった。
(……あれ?)
背中に、昨日の岩棚で感じたのとよく似た冷たさが走った。
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