第2話 おやすみなさい?
「……配信、始めます」
胸元のカメラへ小声で言ってから、のあはゴーグルの端を見た。
視聴者、二人。
(二人いる。誰だ。……ああ、片方は店の試し撮りのときの俺の端末か)
つまり一人だ。
東管理区の、異界型ダンジョン。入口の向こうに岩の通路が続き、壁には中継設備が取り付けてある。今日の依頼は、設備周りに住みついたビッグアントの駆除だった。
「設備周辺の駆除です。作業員の方の顔は映しません」
言い終えても、返事はない。
(独り言だな、これ。まあいい。記録だ、記録)
右端の数字は動かない。のあは作業区画へ向かった。
*
「右の保護材の下に、配線が全部通ってます。そこだけは絶対に撃たないでください」
設備担当の男は、黒い殻が這う資材置き場を指さした。平たい背のアリが、配線の束の下へ潜り込もうとしている。大きなあごが、保護材を噛んでいた。
「殻が硬くて、剥がそうとすると配線ごとやられるんです。前に来た方は、剣で叩いて……」
担当者は、壁の焦げ跡を見た。修理した跡らしい。
「弁償は、したくないので」
「……頼もしいです」
(褒めてないだろ、それ。顔に「本当に大丈夫か」って書いてあるぞ)
担当者が下がると、のあは左の暗い通路へ回った。配線のない岩壁が奥まで続いている。アリが資材の間から曲がってくれば、この壁を背にするはずだ。
闇から魔銃を出す。長い影が、一瞬だけ画面を横切った。
ゴーグルの端に、文字が一行浮かんだ。
『銃なが』
一件目のコメントだった。
(……見てる人、本当にいたのか)
『ドローンないの?』
二件目。のあは岩陰に身を沈めたまま、小声で答えた。
「見つかるので」
『そういうもん?』
「そういうもんです」
(羽音つきの的を飛ばして狙撃するやつがあるか)
上着の周りへ闇をまとわせる。《隠密》で気配を抑えると、のあの姿は岩の影に溶けた。
画面が、ほぼ真っ黒になった。
『え、止まった?』
『何も見えない』
「映ってます。暗いだけです」
『暗いだけ(真っ黒)』
(しょうがないだろ。明るくしたら見つかるんだよ)
資材の端から、最初のアリが出てきた。
殻の幅ぎりぎりの細い道を進み、角で左へ曲がる。曲がるとき、外側の脚を踏み直す。そのたびに、背の殻の重なりがずれて、細い継ぎ目が開く。
(背中を丸ごと砕けば早い。でも破片が配線に飛ぶ。狙うのは、あの隙間だ)
銃口へ集めた闇で、発射音を消す。
アリが左を向いた。右の殻が浮く。
指が動いた。
小さな、湿った音がした。脚が一斉に折れ、黒い背が床へ伏せる。後ろの一体がぶつかり、乗り越えようと体を持ち上げた。その腹の継ぎ目へ、二発目。
殻が重なって、乾いた音を立てた。
『なんか音した』
『今の何?』
『カチッ……トッ……みたいな』
「撃ちました」
『撃ったの!?』
『音ちっさ』
(消してるからな。大きい音がしたら、残りが散るだろ)
三体目が、外側を大きく回ってきた。のあは銃の角度をわずかに変え、向きが変わる一瞬で仕留める。倒れた殻は前の二体に寄りかかり、しばらく揺れてから止まった。
静かになった。
遠くの設備の低い唸り。天井から落ちる水の音。のあがわずかに身じろぎすると、上着の布が擦れた。
『服の音まで聞こえる』
『なんか落ち着く』
『この水の音いいな』
(何の感想だ。アリの話をしろ、アリの)
のあは次を待った。待つのも仕事のうちだ。
四体目は来なかった。代わりに、足元の木箱の下で、脚が床を擦る音がした。
小ぶりな黒い殻が、箱の下から飛び出した。
のあは半歩引いた。魔銃を持つ腕を体へ寄せる。跳びかかってきたアリが、さっきまで足のあった場所を通り過ぎた。その向きに合わせて短刀を抜き、殻の下面へ通す。
着地するはずの脚が浮き、アリは横倒しになった。
画面いっぱいに、動かなくなった脚が映った。
『近っ』
『ナイフ!?』
「短刀です」
『スナイパーじゃなかったの』
「近いときは、こっちが早いので」
(この距離で長物を振り回すほうが間抜けだろ)
のあは箱の下を反対側から確かめた。見えないところへ手を突っ込むほど、新人ではない。
五体。予定の数だった。
*
闇を解いて明るい通路へ出ると、画面に一気に光が入った。
『見えた』
『こんなとこだったのか』
『殻ほぼ無傷じゃん。どこ撃ったの』
「曲がるとき、殻の継ぎ目が開くんです。左から撃てば、配線に当たりません」
のあは空になった曲がり角をカメラへ映した。左に岩壁、右に資材。さっき潜んでいた暗がりだけが、まだ黒い。
設備担当が点検を終えて戻ってきた。配線を三度見て、それから倒れたアリを見て、最後にのあを見た。
「……傷、ないですね。一本も」
「はい」
「修理ゼロで再開できます。あの、次も同じのが出たら、指名していいですか」
「日程が合えば」
(指名料が乗るならな。……よし)
担当者が機械の電源を戻すと、止まっていた表示が一つずつ緑へ変わった。
*
納品窓口で、殻を並べた。
「加工用に回せませんか。傷は内側だけです」
担当者が殻を持ち上げ、光に透かした。縁を指でなぞり、裏返し、もう一度なぞる。
「……抜け殻かと思いましたよ。四つは加工用で出せます。小さいのは一般で」
明細が届いた。
駆除の報酬、三万五千円。魔石五つで一万八千円。殻の加工用買取、二万四千円。合計、七万七千円。
(昨日の機材代の、倍近い。一日でだぞ)
のあは口元が緩む前に、端末を下へ向けた。まだ配信がついている。
『いくらだったの』
「言いません」
『ケチ』
『今ちょっと嬉しそうだった』
「見えてないでしょう」
『声が嬉しそうだった』
(声で分かるのかよ。……いや、分かるか。俺だって分かる)
視聴者の数字は、いつの間にか三十八になっていた。
誰が、どこから来たのか。のあには見当もつかない。暗い画面と、小さな発射音と、水の音しかない配信だ。
『この人のチャンネル、音だけで寝れる』
『ASMRだと思って見てる』
『次回も寝る前に見ます』
のあは画面を見つめた。
(寝る前に見るのか。アリの死体を)
回収前に撮った写真を開くと、ビッグアントの脚の節まではっきり写っていた。
(これで寝られるのか、お前ら)
「……おやすみなさい?」
『おやすみ』
『おやすみー』
『まだ昼だけどおやすみ』
(昼なんだよ。わかってて言ってるだろ、お前ら)
*
配信を閉じようとして、のあは帰りの通路で足を止めた。
帰還の道は、隣の採掘跡から合流する区間を通る。そこで、乾いた音が響いた。
銃声が二度。
間を置いて、もう一発。
(倒すための撃ち方じゃない)
敵の足を止めて、その間に誰かを下げる。そういう間隔だった。
『今の音、何?』
『外から?』
のあは答えなかった。地図を開く。音のした方角に、細い上の道が続いている。
また一発。今度は、女の叫び声が混じった。
のあは闇から魔銃を引き出した。
配信の停止ボタンに、指は伸ばさなかった。
(記録だ。こういうときのために買ったんだろ)
「少し、寄り道します」
小声で言い、のあは上の道へ走り出した。




