第19話 任せる場所
最初に聞こえたのは、岩が軋む音だった。
中層の大空洞。天井は高く、奥の壁際が採取場になっている。採取班の五人が、青く光る鉱石を袋へ詰めていた。紗月が持ってきた「少し大きいの」は、この五人を無事に帰す護衛だった。報酬は、四人で五十二万円。
のあは、空洞の中ほどの岩の上にいた。採取場と、入口へ戻る壁沿いの細い道と、その両方が見える場所だった。
『今の音、何?』
『地鳴り?』
ゴーグルの端で、コメントが流れた。
のあは返事をしなかった。耳を澄ませる。軋みは、足元からではない。
(上だ)
「採取場、離れて!」
叫んだのと、奥の天井が落ちたのが、同時だった。
岩の塊が、採取場の端に崩れ落ちた。粉塵が噴き上がり、灯具の光が白く濁る。悲鳴が二つ、重なって途切れた。
同じ瞬間、反対側の壁が割れた。
入口へ戻る細い道の、すぐ脇だった。
割れ目から、黒く光る頭が出てきた。触角が二本、空気を探るように揺れる。頭の後ろから、節のついた胴が、いつまでも続いて出てきた。
ヒュージセンチピード。
硬い殻の節が、灯具の光を鈍く返した。数えきれない脚が、岩を掻いて空洞へ這い出してくる。胴の半分はまだ壁の中なのに、頭はもう、帰り道の真上にあった。
『でかすぎ』
『ムカデ無理ムカデ無理』
『帰り道、塞がれてない?』
のあは、魔銃を闇から引き出した。
*
「二人、下敷き!」
千晴の声が、粉塵の向こうから飛んできた。
「一人は足が岩に挟まってる。もう一人は頭を切ってる。意識はある!」
紗月が、もう採取場へ走っていた。真帆が、動ける三人の作業者を壁際へ集めている。
のあは、二つの場所を同時に見ていた。
採取場。岩に足を挟まれた一人。頭から血を流して座り込んでいる一人。運ぶには、担架が二つ要る。担ぐ手が四つ。岩をどけて、固定して、運ぶ間、前と後ろを見る人も要る。
帰り道。その真上で、ヒュージセンチピードが頭を揺らしている。
(担架で、あの下は通れない)
通るなら、あいつを帰り道から引き剥がして、どこかで止めておくしかない。
のあは、あいつを止めている間、運ぶのを手伝えない。運ぶのを手伝えば、あいつを止める人がいなくなる。
(手が、足りない。……一人でも、どっちかに寄ったら)
「のあ!」
紗月の声だった。岩に肩を当てながら、振り向かずに叫んでいる。
「あれ、止められる?」
のあは、ヒュージセンチピードを見た。長い。硬い。だが、感覚器は頭の先にしかない。節の隙間は、曲がるたびに開く。
「止めます」
「じゃあ、こっちは任せて。運ぶのは、全部私たちでやる」
紗月の声は、揺れていなかった。
「……お願いします」
のあは、岩を蹴った。
*
最初の一発は、触角の付け根へ撃った。
殺すための一発ではない。振り向かせるための一発だった。
頭が、跳ねるようにこちらを向いた。帰り道から、ほんの少しだけ離れる。
(こっちだ。来い)
のあは、空洞の中央へ走った。岩柱が二本立っている。あの間へ入れれば、長い胴は自由に曲がれない。
背後で、脚が岩を掻く音が近づいてきた。多い。雨のように多い。
岩柱の陰へ滑り込み、振り向きざまに二発目。曲がりかけた胴の、開いた節の隙間へ。
殻の内側で、何かが潰れる手応えがあった。胴の一節が沈む。後ろから押してきた節がつかえて、巨体が岩柱の間で大きくうねった。
『当たってる?』
『効いてるっぽい』
『でもでかすぎて止まらない』
(止まらなくていい。こっちにいればいい)
採取場のほうで、千晴の声がした。
『足、抜けた! 固定する、三十秒ちょうだい!』
のあの耳元の通信に、紗月の声が重なる。
『真帆、担架一つ目、作業者さん二人で。二つ目は私と千晴。真帆は前を見て』
『了解』
ヒュージセンチピードが、岩柱の間から頭を引き抜こうとした。のあは反対側の岩壁へ闇を投げた。
壁際に、のあの姿が立つ。ミラージュ。
頭が、そちらへ向いた。牙のような顎が、幻へ突っ込む。岩が砕けた。
その隙に、のあは三発目を撃った。胴の後ろ側、尾に近い節。
『尻尾!』
『尻尾が帰り道のほうに回ってる』
いつもの常連だった。
のあは、帰り道のほうを見た。
撃たれた尾が、痛みで跳ねていた。長い胴の後ろ半分が、壁沿いの細い道のほうへ、鞭のように振れている。
その道の手前に、担架が一つ、止まっていた。
低い段差だった。作業者二人が、担架の前を持ち上げきれずにいる。真帆が前に立って、振れる尾へ銃口を向けていた。
「上がらない!」
作業者の叫び声が聞こえた。
のあの足が、そちらへ動いた。
一歩。二歩。
(段差なら、俺が下から押せば上がる。あそこまで走れば――)
三歩目で、背後の音が変わった。
脚の音が、のあと同じ方向へ流れ始めていた。
振り向いた。
ヒュージセンチピードの頭が、のあの動きを追っていた。岩柱の間から、帰り道のほうへ。のあの走る先へ。担架のほうへ。
のあは、足を止めた。
(……俺が行ったら、こいつも行く)
あそこへ走れば、この巨体を担架の上まで連れていくことになる。
(俺の仕事は、あっちじゃない)
のあは、逆へ跳んだ。
帰り道から一番遠い、空洞の奥の岩棚へ。走りながら、岩柱の反対側へもう一つ、ミラージュを立てる。
頭が、迷った。
その一瞬で、のあは岩棚の上から、跳ねている尾の付け根を撃った。跳弾。岩壁に当てた魔弾が角度を変え、節の裏側へ潜り込む。
尾が、床へ落ちた。
鞭のように振れていた後ろ半分が、動きを止めた。
『尻尾止まった』
『今、跳弾した?』
通信の向こうで、真帆の声がした。
『段差、越えた! 尾が止まったから、今のうちに通す!』
のあは、帰り道を見なかった。
見たら、また走り出しそうだった。
「……お願いします」
ヒュージセンチピードは、もう、のあだけを見ていた。
*
巨体が、岩棚の下で上体を起こした。
のあの背よりずっと高いところまで、頭が持ち上がる。触角が、岩棚の上を探っていた。
のあは、岩棚の端に最後のミラージュを立てた。自分は、闇をまとって反対の端へ伏せる。
顎が、幻を噛み砕いた。
噛み砕くために、頭が前へ突き出た。首の下の、節と節の間が、大きく開いた。
のあは、息を吐き切った。
一番濃い闇を込めた魔弾を、その隙間へ。
撃った。
ヒュージセンチピードは、すぐには倒れなかった。持ち上げた頭のまま、全身を一度だけ震わせた。闇が、硬い殻の内側を、頭から尾へ向かって染みていく。
脚が、一斉に止まった。
持ち上がっていた頭が、ゆっくりと傾いた。岩柱にぶつかり、そのまま床へ落ちた。長い胴が、頭を追うように順に崩れていく。最後の節が岩を叩いて、空洞が静かになった。
のあは、銃口を下げなかった。
触角がもう動かないのを、確かめていた。
『……倒した?』
『倒した』
『一人で、あれを』
通信が鳴った。
『全員、入口の手前まで出た。怪我の二人も、返事してる。作業者さん五人、揃ってる』
紗月の声だった。
のあは、そこで初めて、長く息を吐いた。
『のあは?』
「倒しました。……今、行きます」
*
入口の手前で、担架が二つ、並んでいた。
足を挟まれた作業者は、千晴の固定した添え木を見下ろして、青い顔で笑っていた。頭を切った一人は、真帆に包帯を押さえてもらいながら、のあを見て手を上げた。
五人とも、いた。
紗月が、盾を下ろしてのあを見た。
「ありがとう。あれを、ずっと向こうで引きつけててくれて」
「……運んでくれたので」
のあは、言葉を探した。
「一回、そっちへ行きかけました」
「見えてたよ」
紗月は、それだけ言った。責める声ではなかった。
「でも、戻った」
のあは、何も言えなかった。
千晴が、のあの手に水のボトルを押しつけた。
「はい。飲んでから、報告」
「……はい」
のあは蓋を開けた。一口のつもりが、半分なくなった。
*
護衛の報酬に、緊急討伐の加算が三十万円上乗せされた。
管理区の窓口で明細を受け取り、のあは待合の長椅子へ戻りかけた。
隣の窓口に、見知らぬ探索者が三人、固まっていた。声を落としているつもりらしいが、落としきれていない。
「聞いたか。中層で、また一人やられたって」
「またかよ。何にだ」
「分からない。見た奴がいないんだと。気づいたときには、もうやられてる」
一人が、さらに声を落とした。
「妙なのはさ。やられてるの、狙撃手ばっかりなんだよ」
のあの足が、止まった。
手の中の明細が、少しだけ、くしゃりと鳴った。
(……狙撃手、ばかり?)




