3.冬に咲く花
「西川さん。この間言ってた、新しい仕事は受注できたのか?」
「おかげさまで。大槻さんの助言が役に立ったよ。小さい案件でも、新規はありがたい。」
「そりゃ良かった。景気がいいんだか悪いんだか分からん時代だ。取引先は多いほうがいい。」
「全くね。そうだ。来週は、美来もまた来ると言っていたよ。」
「無理はしなくていいぞ。前回も、俺たちの話を聞いているだけで、あまり喋らなかったしな。来たくないんじゃないか?」
「そんなことは。うーん。これはね。長年連れ添って、美来が俺を愛してくれているという、自信があるから言うんだけど。」
「なんだ?惚気話でも始まるのか?」
「ふん。彼女、まだ大槻さんへの未練が残ってるんだと思う。未だに、あんたの話をするのを妙に嫌がるんだ。何とも思ってなければ、そうはならない気がする。」
「そりゃ、旦那に気を使ってるだけなんじゃないの?昔の男の話を、喜んでする方がおかしいだろ。」
「そうかもしれない。そうかもしれないけど。あんたのことを聞いたとき、泣いてたよ、彼女。それに、随分前だけど『志乃に奪われたんだ』って言ってた。裏を返せば、奪われたくなかった、別れたくなかったってことでしょ。あれは、少しショックだったな。」
佑二は、頷きながら最後の一口を口に運んだ。
「……そうか。美来からも、そう見えてたのか。俺が心変わりしたように、見せていたつもりなんだがな。」
「見せていた?」
「そんなに興味があるなら、昔話をしようか。西川さんにとっては、楽しい話じゃないと思うが、自信があるってんだし。」
「その話、志乃さんもいるんだよね?大槻さんが嫌でなければ。」
「当然。まぁ、志乃のことはこの五年間、嫌になるほど思い返したさ。今更だ。それに、もうすぐ逢えるからな。」
彼は立ち上がると、窓を開けて上半身を乗り出した。
「暖かいな。この病院、ちょっとした中庭があるんだ。一人で行くと言うと嫌がられるんだが、西川さんが付き添ってくれるなら問題ないだろう。付き合ってくれ。」
~~
中庭は、想像していたより広く、開放的だった。色とりどりの花が植えられている。上着を羽織って前を行く佑二の歩みに、不確かなところは全くない。彼に死期が迫っているとは、とても思えなかった。
「志乃が死んでから、花が綺麗だなんて思ったことはなかったが、今日は悪くない。」
「この時期になっても、案外咲いている花があるもんなんだ。」
「ビオラかパンジーだな。冬に咲いてるのは。志乃が庭に植えていた。」
花壇の正面にあるベンチに腰を下ろすと、佑二が話を始めた。
「さて、どこからにしよう。あの二人とは、大学で出会ったんだ。学部は違ったが、同じサークルだった。」
「確か、バドミントン。」
「そうそう。志乃と美来は同じ高校出身で、いつも一緒で仲のいい二人だった。志乃はどちらかというとお淑やか。美来は割とあけすけにものを言う女で。俺は、美来が好きになった。三年になってからだったか。俺からアプローチをかけた。」
「ほう。三年になってから?」
「なかなか言い出せなかったんだよ。これでも奥手でな。だが、他の男が美来を狙っているという話を聞いて、動かざるを得なくなった。」
「なるほど。大槻さんが奥手だというのは、意外だな。」
「そうか?そしたら、すんなりオーケーを貰えてな。付き合うことになった。後から聞いた話では、その時点で美来も俺に気があったらしい。おっと、怒るなよ?」
「そんなんで、怒りゃしないよ。」
「あんただって、学生時代に浮いた話の五つや六つ、あるんだろう?」
「……ないとは言わんが、そんなにはない。」
「へえ。西川さんは、逆に意外と手が早かったりするのかね。」
「ちっ。俺の話はどうでもいいでしょ。」
「ははっ。そうだな。まぁ、それで、しばらくは普通に付き合っていたんだが。」
ここまで饒舌だった佑二の言葉に、えらく間が空いた。
「……ここから先は、美来も含めて誰にも話したことはない。知っていたのは志乃だけだ。だが、あんたになら話してもいい気がする。格好の悪い話だから、気分を悪くしないでくれ。」
私の目を見て真剣な顔をした彼に、ゆっくり頷いて返した。
「付き合いが長くなって、俺と美来は二人だけでいる時間が増えた。志乃は、それが気に入らないと、俺や美来に不満を言うようになった。」
「確かに、あの二人の仲の良さは格別に見えたね。」
「ああ。もっとも、そう言われたからと言って、美来が俺より志乃を優先する、なんてことにはならなかったが。それだけなら、ただのやきもちで済んだのかもしれん。しかし、そのうちに、志乃は美来がいない時を狙って、俺に絡んでくるようになった。」
「絡んでくる?」
「はっきり言えば、誘惑されたんだよ。曰く、自分の方が美来よりもっと前から俺のことが好きだったとか。それまでの彼女からは、そんな素振りは感じなかったんだが。とにかく、普段の志乃からは想像できない豹変ぶりだった。裏の顔、とでも言うのか。」
私は、記憶に残る志乃の顔を思い浮かべながら、話を聞いていた。
「もちろん拒否したが、志乃は執拗に迫ってきた。ありのままを美来に話そうかと何度も思ったが、それは二人の友情を壊す結果になりそうで……ある時、不意を突かれて志乃にキスをされた。あろうことか、それを美来が見ていたんだ。」
「参るな。それは修羅場になりそうだ。」
「なったさ。当たり前だが、美来は酷く怒った。やきもちを焼いた志乃の悪戯だと言い訳をしてみたが、彼女がそんなことをするはずはないとバッサリで。今更誘惑されていた、なんて言い出したら火に油を注ぐ結果になるのが明らかだった。」
「……キスくらい、浮気のうちに入らんだろうに。」
「それは、この歳になってみればの話さ。とにかく、俺と美来の関係は、その時からギクシャクしたまま、今思えば志乃の思惑通りだったのかもしれん。結局、俺は志乃の誘惑に負けた。その上、志乃を妊娠させてしまった。それが分かったのは、卒業も間近という時だ。」
私はため息をついた。
「それで……志乃さんと結婚を?」
「ああ。自分のしでかしたことだ。責任は取らにゃ。美来には志乃の妊娠のことは伏せたまま、俺の心が美来から離れたということにして、別れを告げた。『ふざけんなクソ野郎』が、美来の最後の言葉だったよ。」
「ははは。キツいな。美来の言いそうなことだ。」
「そうだろう?そして、卒業してすぐに、志乃と入籍した。だが、その時の子供は生まれてこなかった。その後も子宝には恵まれず、このざまだよ。全く、世の中は思い通りにいかないものだと思ったね。」
「なるほど。そんなことがあったなんて。なんか、申し訳ない。辛いことを思い出させてしまったんじゃない?」
「いや。これまで誰にも言えずに、ずっとここに押し込めてきた話だ。聞いてもらって、却ってスッキリした。今の美来に、俺への未練があるのかないのか、その答えにはなってない気がするがな。」
「話を聞く限り、そりゃ未練も残るな。お互い、嫌いになったという訳でもないんだろうから。大槻さんはどうなの?その……志乃さんと結婚したこと、後悔してたりはしない?」
「心残りはあった。美来への未練は否定できん。しかし、後悔はしていない。強がりでもなんでもなく、結婚すると決めてからは、志乃が可愛くて仕方なかった。彼女も、間違いなく俺を愛してくれてた。二人だけでも、幸せだったよ。ほんとに。」
佑二は、花壇を見ながら目を細めた。
「それなら良かった。志乃さんが、ここにいればなぁ。」
「仕方のないことだ。志乃は、淋しがりだった。連れ合いに先立たれる辛さを、彼女に味わわせるより、今は良かったと思える。」
「そう。」
それっきり、彼は何も言わなくなった。その顔が、泣いているように見えた。私は立ち上がると、彼の両肩に手を置いた。
「戻ろうか。少し冷えてきた。体に障る。」
彼は頷くと、静かに立ち上がって元来た道を歩きはじめた。
(つづく)




