第89話 火がつく瞬間
ざわめきは、すぐには収まらなかった。
むしろ。
広がっていた。
――南部市場。
配給が始まってから、数時間。
人は増え続けている。
「こっちはまだか!」
「順番だって言ってるだろ!」
「ふざけるな、子どもがいるんだぞ!」
声が荒くなる。
押し合いが始まる。
だが。
崩れない。
なぜなら。
“ある”からだ。
食料が。
希望が。
それがある限り、人は並ぶ。
耐える。
その時。
別の声が上がる。
「……こっちはもう終わりだ」
一瞬。
静寂。
「連盟の配給、打ち切りだってよ」
空気が止まる。
「は?」
「なんでだよ」
「知らねえよ、でも来ないらしい」
ざわめきが、変質する。
不安から。
怒りへ。
「ふざけるな……」
誰かが呟く。
「止めて、何もしねえのかよ」
その一言が、引き金だった。
空気が歪む。
熱を持つ。
「……なんでだ」
「なんで俺たちだけ」
「守るって言ってたじゃねえか!」
声が重なる。
怒りが増幅する。
そして。
誰かが叫ぶ。
「連盟に行くぞ!」
その瞬間。
人が動いた。
列が崩れる。
押し流されるように。
方向を変える。
市場から。
役所へ。
連盟の管理施設へ。
――
王城。
「暴動が発生しています」
報告が飛び込む。
「南部三都市」
「規模拡大中」
ルーカスが立ち上がる。
「抑えられるか」
「現在、兵を派遣中」
だが。
間に合わない。
レティシアは静かに言う。
「当然ですわね」
その声は冷静だった。
だが。
わずかに低い。
「止めて、与えなければ」
一瞬の間。
「こうなります」
エルミアが言う。
「でも……」
「食料は来ているはずです」
「ええ」
レティシアは頷く。
「ただし」
一瞬の間。
「“彼らから”です」
沈黙。
その意味は明確だった。
誰が助けたか。
それが、すべてを決める。
――
役所前。
人が押し寄せる。
「出てこい!」
「説明しろ!」
「どうなってるんだ!」
扉が叩かれる。
兵が止める。
だが。
押される。
耐えきれない。
「下がれ!」
「危険だ!」
声が飛ぶ。
だが。
届かない。
怒りが勝っている。
その時。
別の声が響いた。
「やめろ」
低い声。
だが。
よく通る。
一瞬で。
空気が変わる。
振り向く。
黒装束の男。
市場で見た顔。
その後ろに。
同じ装束の者たち。
静かに立っている。
「……あいつらだ」
誰かが呟く。
ざわめきが止まる。
男はゆっくりと前に出る。
「ここで暴れても」
一瞬の間。
「何も変わらない」
沈黙。
「食料は」
「ある」
その言葉に。
全員が息を呑む。
「必要なら」
一瞬の間。
「来い」
それだけ。
それだけで。
十分だった。
怒りが。
揺れる。
崩れる。
誰かが言う。
「……でも」
「連盟は?」
男は答える。
「止めた」
短く。
「我々は止めない」
その対比。
それだけで。
答えは出る。
誰かが動く。
ゆっくりと。
黒装束の方へ。
次に、もう一人。
そして。
流れが変わる。
怒りは消えない。
だが。
向きが変わる。
役所ではない。
“救い”の方へ。
――
王城。
「……収まりつつあります」
報告が届く。
だが。
誰も安心しない。
「どう収まった」
ルーカスが問う。
イザベラが答える。
「向こうが抑えた」
沈黙。
その一言で。
全てが分かる。
レティシアが静かに言う。
「……始まりましたわね」
エルミアが言う。
「何がですか」
レティシアは答える。
「“選ばれる戦い”が」
一瞬の間。
「完全に」
その言葉は静かだった。
だが。
もう戻れないことを。
全員が理解していた。
ついに「火」がつきました。
今回のポイントは、
怒りが“どこに向くか”です。
連盟ではなく、
「助けた側」に流れていく。
ここからは完全に、
“選ばれるかどうか”の戦いになります。
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次話は「揺れの拡大」です。かなり重要な分岐になります。




