第87話 宰相の焦燥
帝国・宰相府。
部屋の空気は、昨日よりも重かった。
理由は単純だ。
報告が増えた。
そして、悪化していた。
「南部三州、徴税率三割減」
「西方交易路、機能停止」
「北部領主、独自関税を導入」
淡々と読み上げられる。
だがその一つ一つが、帝国の崩れを意味していた。
リヒャルトは椅子に座ったまま、目を閉じている。
「……続けろ」
短く言う。
秘書がためらう。
だが続ける。
「帝国商会、資金不足」
「一部支店が閉鎖」
沈黙。
その言葉は重かった。
帝国の血流とも言える存在。
それが止まり始めている。
「原因は」
リヒャルトが問う。
「連盟側の価格操作です」
「触媒市場の影響で」
「帝国製品の競争力が低下」
レティシアの影。
確実に届いている。
リヒャルトはゆっくり目を開く。
「……見事だな」
小さく呟く。
怒りではない。
純粋な評価。
「市場を抑えたか」
帝国は軍で支配した。
だが。
連盟は流れで支配している。
違う次元の戦い。
秘書が言う。
「対抗策を取りますか?」
リヒャルトはすぐには答えない。
考える。
静かに。
そして。
「遅い」
短く言う。
秘書が息を呑む。
「すでに主導権は向こうだ」
沈黙。
「今から価格をいじっても意味はない」
「信用がない」
その言葉は、すべてを表していた。
帝国は力で支配してきた。
だが。
市場は力では動かない。
信頼で動く。
そして今。
信頼は連盟にある。
リヒャルトは立ち上がる。
窓へ向かう。
帝都。
まだ形は保っている。
だが。
「……見えない崩壊だ」
ぽつりと呟く。
壁は壊れていない。
だが中身が崩れている。
それが一番厄介だった。
「元帥は?」
秘書が答える。
「軍の統制を強化」
「帝都防衛体制を強化しています」
リヒャルトは小さく笑う。
「正しい判断だ」
だが。
「それでは足りない」
沈黙。
軍は外敵には強い。
だが。
今起きているのは“内側の崩れ”。
それには効かない。
リヒャルトは机に戻る。
地図を見る。
帝国。
広い。
そして分断され始めている。
「……選択が必要だな」
低い声。
秘書が緊張する。
「どのような……」
リヒャルトはゆっくり言う。
「維持するか」
「変わるか」
沈黙。
帝国の未来。
その分岐。
だが。
その時。
扉が勢いよく開く。
兵士が入ってくる。
「報告!」
「帝都内で軍の動きに異常あり!」
空気が変わる。
「一部部隊が命令系統を無視!」
「独自行動を開始!」
沈黙。
リヒャルトの目がわずかに細くなる。
「……来たか」
それは予測していた事態。
だが。
想定より早い。
秘書が震える声で言う。
「これは……」
「内乱の兆候だ」
リヒャルトは言い切る。
静かに。
確実に。
帝国は今。
外ではなく。
内から崩れ始めていた。
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