第75話 聖女の葛藤
夜の大聖堂は静かだった。
昼間は祈りの声で満ちるこの場所も、夜になると深い静寂に包まれる。
巨大なステンドグラスから差し込む月光が、白い床を淡く照らしていた。
その中央に、ひとり跪く少女がいる。
聖女セラフィナ。
教国ルミエルの象徴。
神の声を聞く存在。
……そう言われている。
だが、彼女自身は知っている。
自分は神の声など聞いたことがない。
聞こえるのは、祈る人々の声だけだ。
戦争で家族を失った人。
飢えた子供。
帰らない兵士を待つ母親。
その声は、祈りという形で神に向けられる。
だが。
「神は……」
セラフィナは小さく呟く。
「答えてくださるのでしょうか」
祭壇の前に置かれた王国の書簡。
連盟構想。
戦争を防ぐ仕組み。
もしそれが本当に機能するなら。
救われる命は多い。
だが教国は拒否した。
理由は単純だ。
宗教は、国家の枠組みに入らない。
それが教国の誇りであり、原則だった。
だが。
その原則が、争いを続けさせるなら。
それは正しいのだろうか。
セラフィナは目を閉じる。
「神よ」
「私は……」
その時。
足音が響いた。
聖堂の奥から黒衣の男が現れる。
教国大司教セラフィエル。
「聖女」
低い声。
セラフィナは立ち上がる。
「大司教様」
彼はゆっくり歩いてくる。
月光の下、その表情は読み取れない。
「王国の連盟構想」
「まだ考えているのか」
セラフィナは正直に答える。
「はい」
沈黙。
セラフィエルはしばらく彼女を見つめる。
「あなたは優しい」
静かな声。
「だが」
「優しさだけでは国は守れない」
彼は言う。
「王国は均衡を語る」
「だがそれは」
「信仰を国家の下に置く思想だ」
セラフィナは首を振る。
「王国は信仰を否定していません」
「中立を求めているだけです」
セラフィエルの目が細くなる。
「中立とは」
「信仰の力を削ぐ言葉だ」
沈黙。
「教国は神の国」
「国家の都合で信仰を調整することはできない」
彼はそう言い残し、聖堂を去っていった。
再び静寂が戻る。
だが。
今度は別の足音が聞こえた。
聖堂の影から、見慣れない男が現れる。
黒い外套。
旅人のような格好。
だが、その目は鋭い。
「聖女様」
低い声。
セラフィナが警戒する。
「誰ですか」
男は軽く一礼した。
「帝国の使者です」
空気が一変する。
「帝国……?」
「はい」
男は静かに言う。
「帝国宰相リヒャルトは、教国を尊重しています」
「だからこそ」
「王国の連盟構想には反対です」
セラフィナの目が厳しくなる。
「ここは神殿です」
「政治の話をする場所ではありません」
男は微笑む。
「だからこそ来たのです」
彼はゆっくり言う。
「王国は、信仰を政治に縛ろうとしている」
「帝国は違う」
「帝国は教国の独立を守ります」
セラフィナは黙る。
その言葉は、教国にとって魅力的だった。
だが。
同時に、危険でもある。
帝国は戦争を起こす国家だ。
その力に頼れば、教国は巻き込まれる。
男は最後に言った。
「聖女様」
「大陸は今、分岐点にあります」
「王国の均衡か」
「帝国の秩序か」
彼は影の中へ戻っていく。
「どちらを選ぶか」
聖堂は再び静かになった。
セラフィナは祭壇を見つめる。
王国。
帝国。
信仰。
均衡。
祈り。
すべてが絡み合っている。
彼女は小さく呟く。
「神よ」
「私は……」
答えは、まだ出ていない。
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