第35話 奇跡の揺らぎ
王都大聖堂は、いつも通り人で溢れていた。
病を抱えた者。
怪我を負った者。
家族を支えるため、奇跡を願う者。
壇上には、聖女セラフィナ。
白銀の法衣。
柔らかな金の髪。
祈りの杖を胸元に掲げ、静かに目を閉じる。
「光よ――」
囁くような詠唱。
聖堂の空気が、震える。
淡い光が、床に広がる。
いつも通りの光景。
だが。
光は、一瞬だけ強く輝き――
次の瞬間、揺らいだ。
「……っ」
セラフィナの肩が、わずかに震える。
光が不安定に波打ち、やがて細くなる。
前列にいた少年の傷は、完全には塞がらなかった。
ざわめきが広がる。
「今のは……」
「いつもより弱い?」
セラフィナは、すぐに微笑みを取り戻す。
「本日は少々お疲れのようです」
大司教アルフォンスが、穏やかに場を収める。
「奇跡は神の御心。揺らぎもまた導き」
拍手が起きる。
だが。
揺らぎは、確かにあった。
控室。
セラフィナは、壁に手をつく。
「……また」
胸が、重い。
ここ一ヶ月。
奇跡が安定しない。
回復量が微妙に違う。
光の持続時間が短い。
魔力消費が、異様に重い。
「聖女様」
枢機卿見習いエリスが、心配そうに駆け寄る。
「お体は」
「大丈夫です」
微笑む。
だが、指先は冷たい。
その夜。
大司教アルフォンスは、書庫にいた。
「……触媒の供給はどうなっている」
魔導技師長バルトロメオが答える。
「ヴェルナー商会崩壊の影響で、供給は減少」
「代替ルートは確保中ですが」
「奇跡装置の安定性は?」
「微妙に低下しています」
沈黙。
奇跡は、信仰だけで成り立っているわけではない。
祭壇下部に組み込まれた増幅装置。
特定の魔導触媒。
供給網。
経済と物流。
それらが、奇跡を支えている。
「……ヴァルデン」
アルフォンスは、低く呟く。
その頃。
ヴァルデンでは。
「王都大聖堂、奇跡不安定の噂」
グラントが報告する。
「正式発表はありません」
「触媒の種類は?」
「推定ですが、旧ヴェルナー独占品」
私は、静かに目を細める。
「なるほど」
奇跡は、孤立していない。
市場と繋がっている。
「民衆の反応は?」
「まだ軽微です」
「ですが」
クラリッサが続ける。
「信仰は、揺らぎに弱い」
その通り。
価格は数字で回復する。
だが信仰は。
感情で崩れる。
王都。
夜の聖堂。
セラフィナは、一人で祈っていた。
「どうして……」
光が弱い。
以前のような、満ちる感覚がない。
「私が……選ばれたのでは、なかったのですか」
祈りの言葉が、震える。
足音。
王太子アルベルトが現れる。
「奇跡が揺らいでいると聞いた」
「問題ありません」
即答。
「噂に過ぎません」
「そうであれ」
だが彼の目は、鋭い。
「信仰が揺らげば、王権も揺らぐ」
静かな圧力。
セラフィナの胸が、締め付けられる。
奇跡は、祈りだけではない。
期待。
権威。
政治。
重い。
翌朝。
王都に、小さな噂が広がる。
――奇跡が弱いらしい。
まだ小さい。
だが。
振り子は、動き始めていた。
市場は信用で揺れた。
今度は。
信仰が、揺れる。




