箱庭の手入れ
無数の箱庭を霧が覆っている、無限に続く世界。
世界の外側は、私が最初に抱いていた印象とは違った。
「さて、早速仕事だ。先ほどお前が居た世界の進化を巻き戻し、お前より無知で無能で分を弁えた身代わりを作れ。やり方は……こうだ。念じながら、指先を動かせ。この世界の法則や材料を用いて、只管に、それらしく理由をつけて、捻じ曲げろ」
目の前ですいすいと硬質な細い指先が動く。と、同時に、進めていた研究の多くが劣化していく。データは失われ、あるいは矛盾が発見されていく。
「……成程、ここをこういじれば、世界に干渉できるわけですね?」
「ああ。とはいっても、完全な操作は無理だがな。あと、お前の分身はお前が作る方が得意だろう。材料は周囲から掻き集めればいい、データはここにある」
マドエは、私の隣で椅子を揺らしていた。
指導する側の態度としてはいささか緊張感に欠ける。そもそも、彼は私に何かを教えるというより、私が何をするのか眺めている時間のほうが長かった。
それでも、説明は正確だった。
私が疑問を口にすれば、必要な範囲で答える。見当違いな操作をすれば、失敗する前に止める。かといって、何から何まで手取り足取り教えてくれるわけでもない。
腹立たしいことに、指導者としての能力は高い。
「……あなた、いつから私に目を付けていたんですか?」
「そうだな、お前の数世代前の前世から―――と言うと、分かりやすいかな?
毎回毎回類似した魂の存在にストーカーしてる変な奴が居ると思ってな」
「…………」
「誉めてるぞ?その異常なまでのエゴは、ここでは強みだ」
強みってなんだ。
……この男と会話をしていると、自分の常識がいかに役に立たないかを思い知らされる。
常識が役に立たないのなら、それに代わるものを身につけるしかない。
箱庭に視線を戻した。
眼下に広がっているのは、かつて私がいた箱庭の世界だ。
何度生まれ変わっても崇がやがて私と出会う世界。
これから先の世界が破綻しないように文明を、科学を、呪術をナーフしていく。
「……技術的に不可能だったことにしましょう」
「ふむ?」
「この世界には、転生や転移に関する技術体系が存在してしまった。そして、そうした現象を研究する者たちがいる。けれど彼らに、世界そのものの構造を書き換えることはできない。そういう認識を定着させるんです」
「自分が間違っていた、今までの努力は無駄、無為だったと認識するのは、案外難しいものだがな。
素直に全員が諦めきれるものかよ」
「別に全てを無駄、無為にする必要はありません。
本来の目的は達成出来なかったが、有意義な副産物は得られた。
それくらいの落としどころは用意しましょう」
研究者が検証し、理論家が論じ、実務者が失敗を積み重ねる。複数の経路から同じ結論へたどり着くようにする。
誰かが偶然、正解に近づいたとしても、その結果を再現できない。再現できなければ、技術として確立できない。
そして、技術として確立できないものは、社会全体を変える力を持ちにくい。
「もちろん、全員を同じ考えに染める必要はありません。むしろ、異論や反証が存在したほうが、結論の信頼性は高まる。異なる立場の者たちがそれぞれ検証した結果、同じ壁にぶつかる。そういう形にすればいい」
「お前、楽しそうだな」
「……そう見えますか?」
「ああ」
「それはそれは」
適当に流し、世界にいくつかの条件を与える。
研究の進展。理論の分岐。実験の失敗。過去の記録の再解釈。
「……ひとまず、これでよし」
「へえ。ずいぶん手際がいいじゃないか。よし、じゃあ次はお前のコピー配置だな。どれだけお前が不格好に作るか楽しみだ」
短時間で学習した。
この男は、こちらが嫌味を言ったところで傷つかない。むしろ、予想外の反応を返せば返すほど喜ぶ可能性がある。
つまり、通常の嫌味による牽制は効果が薄い。
次に、この男と交渉するときは、別の手段を考えなければならない。
「はいはい、分かりましたよ」
自分自身のコピー作成。
なかなか難しそうだが、まあ、やってやれないことはないだろう。
マドエに教わった通り、周囲から人としての要素を掻き集めて、人体錬成をしていく。
顔立ち。体格。声。記憶。基本的な思考傾向。
外見だけでなく、本人だと判断されるために必要な要素を、可能な限り揃えていく。そのうえで、調整する。
「調整はそれでいいのか?」
「私が世界の構造に疑問を抱き、そこへ踏み込もうとしたのは、私自身の性質によるものです。知識や技術だけではありません。考え方、物事の捉え方、何を許容できず、何を許容できるか。そういう部分が重なって、あの行動に至った」
「そうだな」
「ですから、その部分は、削ります。持っているのは私自身だけでいい」
知識は残す。経験も、記憶も、できるだけ残す。
ただし、世界そのものに手を伸ばすほどの執着は薄める。
自分なら見逃せなかった矛盾を、見逃せるように。
自分なら疑わずにはいられなかった仕組みを、疑わずに済むように。
自分なら踏み越えた境界を、踏み越えないでいられるように。
そうしてできあがるのは、私によく似ているが、私ではない人間だった。
「……君じゃない存在に、君の大事な人を任せちゃっていいのか?」
「そりゃあ嫌ですよ」
反射的に返してしまった。
こほんとすぐに咳払いをして、息を落ち着かせる。
「……失礼。そりゃあ、確かに心情的な抵抗は多少はありますが。
……それでうまくいくなら、仕方がないでしょう」
「なるほどなるほど」
マドエは、納得したのかしていないのか分からない声で答えた。
「じゃあ、お前は自分のコピーを、お前より少しだけ扱いやすい人間にするんだな」
「そういうことです」
「ふむ、賢明だな」
いちいち勿体ぶった偉そうな口調をする人だ。
私以上に嫌味ったらしい人が居るなんてな。
何か言い返せばまた面白がられる。
黙っていれば何かを見透かされたような気がする。
どうにも勝手が悪い。
「……もう、よろしいでしょうか」
「うん。お疲れさま」
マドエは、私の肩を軽く叩いた。
「これでお前のいた世界は、ひとまず安定した。お前自身も、あそこに戻る必要はない」
「……そうですか」
「そうだ。お前の分身とお前の大事な人は、これからもこの世界で、或いは他の異世界で、器を移し替えて生を送る。お前はそれをずっと見守るんだ」
無性に羨ましくなった。
あの世界で、私の代わりに生きる人間。
私なら許せなかったことを許し、私なら疑ったことを疑わず、私なら踏み越えた境界の手前で立ち止まる人間。
それでいい。
それで、いいはずだ。
「ひと段落したところで、皆に挨拶に行くか?」
「……ええ。行きましょうか」
私は、マドエの背を追って、歩き出した。




