エゴvsエゴ
管理者同士の衝突とは。
単なる価値観の違いだけでなく、世界に対するエゴ、執念の衝突のようだった。
世界の箱庭とはつまるところ実験場である。
そこに何滴管理者たちのエゴを垂らすかによって、存続期間も形状も様変わりするのだ。
リフジは、破壊そのものへの飽くなき欲求が世界への未練に勝つ。
ユーカは、自分の愛着や感情を踏みにじられたとき、世界を守ることより怒りや執着が前に出かねない。だからこそ、壊された箱庭の住人が自力で立ち上がる姿を見せられても、素直に喜べず、不機嫌なまま見守る。
マドエは、世界を存続させること自体より、観察・研究・実験への関心が勝ちうる。壊すことも維持することも、彼にとっては目的に応じた選択肢だ。
管理者たちが箱庭を守るのは、必ずしも善意や責任感からじゃない。
自分の執着を満たすために、結果として世界を存続させている場合もある。
そして、管理者たちは世界を壊せるほど自由なのに、他の管理者の執着までは支配できない。
リフジがユーカの箱庭を壊すのも、ユーカが怒ってリフジに食ってかかるのも、マドエがそれを面白がりながら止めに入るのも、それぞれ自分の欲求に従っている。
誰か一人が「世界を守るべきだ」と理想を言ったところで、それは欲求、エゴの一種類として処理されるだけだ。
管理者は時に保護者であり、時に実験担当者だ。
――――それに、世界の箱庭が守られることは必ずしもいつも正解ではない。
霧のリソースと管理者の手が有限である以上、放っておかれた箱庭や管理者が扱いを誤った箱庭は、枯れるか生きたまま場所を圧迫しながら停滞していく。
きちんとその箱庭の世界観に沿って枯れるならまだ良い。
終わるべき箱庭が終わらず、停滞した世界が場所を占有し続けると、力を注ぎたい箱庭にさえ力を注げなくなるらしい。
書きまとめたメモを見返してみる。
稼働中の箱庭:霧を受け取り、物語が進行している。
停滞した箱庭:新しい展開を生まないのに、世界として残り続ける。数が増えれば管理空間を圧迫する。
納得のいく形で完結した箱庭:世界をきちんと終わらせ、種のようなコンパクトな形で収蔵できる。
収蔵された種:元の箱庭をそのまま新しい箱庭の素材として使える。
つまり理想は、すべての箱庭を永久に維持することではなく――――……世界が生きている間は十分に展開させ、終わるときは終わらせ、可能性だけを残して収蔵することのようだった。
まあ、終わらせ方に管理者それぞれの望む方向性があり、衝突するから頻繁にあの人たちはもめているのだろうけれど。
リフジンは、世界が納得のいく結末にたどり着くことより、壊す面白さを優先しがちだ。
マドエは、実験材料として変化を観察し続けて、搾りかすのようになったら適当に終わらせようとする悪癖がある。
ユーカは、自分が未練を残している世界を、きれいに終わらせること自体が耐え難いことが多いそうだ。
だからこそ、他の管理者が手を出すことが黙認されているのだろう。
「きちんと勉強しているようですね。偉い偉い」
「……理想の世界を追求するためですから」
「いいと思いますよ。その世界が『霧』のお眼鏡にかなうなら、なんでも」
……気に食わない言葉だ。『霧』。
この世界を取り巻く、有限で無限なエネルギー源。
特定の箱庭に爆発的にエネルギーを注いだかと思えば、気まぐれに切り替わる。
管理者たちは、その判定基準を完全には把握できない。マニュアルを整備したり、箱庭の状態を観察したりはできても、霧が何をもって納得するのかを明文化しきれない。
「……霧って結局何なんですか」
「分からん何も……僕たちは雰囲気で多重異世界管理をやっている」
ぼやかれても困るのだが……。
「一つ言えるのは。僕たちはある程度世界を動かせても、終わりを完全に決定する権限までは持っていないってことだね。
まあ、いいんじゃないかな?僕は最終責任者の器じゃないしね!」
あは、とジミヤが笑う。
いや、笑われても困るが。
中間管理職は中間管理職で大変なんじゃないのか?
「僕はどこまで行っても凡人だからね、調整役くらいが丁度いいのさ」
調子の良い人だ。




