互換性
タヌキが私をやたらとおちょくるのには、理由があるらしい。なんでも、引き抜いた世界ではよくキツネのようなお堅いバリキャリとよく衝突しつつからかって遊んでいたのだと。
そういえばそのキツネ女と更生先輩はどこかにている気がする、などと言われ、私は憤懣やる方なかった。
「そんなに気に入っているなら、そのキツネ女とやらもこっちに引っ張り出せばいいでしょう。賢いし、管理癖があるのでしょう?」
タヌキは向かいの椅子にふんぞり返り、腹の上で両手を組んでいる。新人研修の一環として渡された資料は既に読み終わったらしく、すでに机の端へ追いやられていた。
「いや、あいつはお堅いですからねぇ…融通も利かねぇし、潔癖すぎる。だから、こんなぶっ飛んだ世界には来られねぇか、来ても馴染めねぇと思いますよ。
マドエパイセンや更生パイセンとはやっぱり違いますな」
「……パイセンという呼び方をやめてください」
「では、さっちゃん先生とでもお呼びしましょうか?」
「あなたは本当に、他人の神経を逆撫ですることに関しては天才的ですね」
「いやあ、照れますなぁ」
「褒めてません」
タヌキは、もうずっとこの調子だ。
管理局の規則を教えれば、規則の曖昧な箇所を質問する。権限の範囲を説明すれば、権限が及ばない部分を尋ねる。禁止事項を列挙すれば、禁止されていない行為について確認する。
そして、私が一つでも回答に詰まると、嬉しそうに笑うのだ。
おかげで研修は遅々として進まない。
「それで、そのキツネ女というのは、あなたと同じ世界にいたんですか?」
「まあな。頭は切れるし、行動力もある。目的のためなら何でもする強かさもある」
「ずいぶん評価しているんですね」
「そりゃあ、能力は認めてますよ。問題は、その目的ってのが大方、社会的正義なんだよなぁ」
タヌキは、口元を歪めた。
「それこそが自分のエゴってわけ」
「……社会的正義が、エゴ?」
「そうでしょう。自分が正しいと思う社会を実現したい。自分が正しくないと思うものは排除したい。そいつの中じゃ、それが当然なんだろうさ。本人は世のため人のためだと思ってる。だからこそ、厄介なんですよ」
「あなたのように、自分の利益のために他人を利用する人間よりは、ずっと分かりやすいと思いますが」
「おやおや。利益のために他人を利用するのは悪で、正義のために他人を利用するのは善ですか?」
「少なくとも、あなたは他人の転生記録を人質に取ったでしょう」
「その話はもういいでしょう、パイセン」
「よくありません」
「いやあ、厳しいなぁ」
タヌキは、さして堪えた様子もなく続けた。
「とにかく、あいつは社会があるから強いんです。守るべきものがあって、正すべきものがあって、味方と敵がいて、何が正しいかを判断する基準がある。だから迷わず動ける」
「……それが、箱庭の外では通用しないと?」
「そういうこと」
タヌキは指を一本立てた。
「ここには、あいつが守ろうとしていた社会がない。管理者が箱庭を管理してるだけで、何が正しい管理なのか、誰も明確に答えられない。箱庭を幸せにすりゃいいってもんでもないし、悪人を排除すりゃいいってもんでもない」
「それは……」
反論できなかった。
管理局には、箱庭を管理するための規則はある。だが、その規則自体が不完全で、運用の判断を管理者に委ねている部分も多い。
何を守るべきなのか。
どこまで介入すべきなのか。
何をもって世界が健全に動いていると判断するのか。
答えは一つではない。
「まず確実に、すべてを最適化しようとして衝突しまくったり、発狂したりするだろうな」
「……ずいぶんな言いようですね」
「実際そうなるでしょうよ。あいつ、矛盾を放置できないんですよ。問題を見つけたら解決しなきゃ気が済まない。解決できないなら、解決できる仕組みに変えようとする。で、その仕組みを変える権限がなかったら?」
タヌキは、にやりと笑った。
「権限を手に入れようとする」
「……」
「権限を手に入れたら、今度はそれを使って正しい社会を作ろうとする。ところが、箱庭の管理なんて、正しさだけで片づく仕事じゃない。あいつはそこで躓く。躓いても止まらない。止まれない。最後は自分の理想と現実の板挟みで、自滅する」
タヌキの声音は、まるで天気予報でも告げるような調子だった。
「だから連れてこないほうがいい。あいつのためにも、こっちのためにもね」
「……成程」
タヌキの言葉は、彼女を侮っているようにも聞こえる。
しかし、同時に。
タヌキは彼女の強さを、誰よりも具体的に理解しているようにも思えた。
能力が足りないから失敗するのではない。
能力があるからこそ、問題を見つけ、解決しようとし、解決できない状況に耐えられなくなる。
その可能性を、タヌキは見ている。
「……あなたは、彼女が天敵なのですね?」
「ですねぇ。まぁ、味方になれば補い合うことも可能ではある類のものですが……」
「ふむ?」
「俺のやることなすこと、いちいち気に入らないらしい。こっちがちょっと融通を利かせれば不正だの何だの。世の中、全部が全部、規則どおりに動くわけじゃないでしょうに」
「規則を破って他人の記録を消した人が言うと、説得力がありますね」
「そうですなぁ!これは一本取られました、おかげさまでこうして新しい職場に恵まれました」
「あなたは反省という言葉をご存じですか?」
「存じておりますとも。反省したところで、消えた記録が戻るわけでもありませんからなぁ」
「記録は戻しましたが、あなたの罪が消えたわけではありません」
「おお、怖い怖い」
「はぁーーーーっ……」
こいつと話していると、どこまでが本音で、どこからが挑発なのか分からなくなる。
他人を利用することに罪悪感が薄いタヌキ親父。
自分の行為を正当化することにも慣れている。
そして、相手が怒ると、その怒り方まで観察して楽しむ。
面倒な男だった。
「……分かりました。彼女を連れてくるのはやめておきましょう」
「賢明ですなぁ」
「ただし、あなたが今後、管理局の規則を破った場合は、その限りではありません」
「おや」
タヌキの目が、わずかに細くなった。
「俺を脅してるんですか?」
「警告です」
「いやあ、パイセンもなかなか怖いお方だ」
「あなたほどではありませんよ。
さて、研修に戻ります。まずは管理局の記録閲覧規則からです。これに関しては先ほどお渡しした資料にて軽く触れておりますが、過去の失敗経験を元に策定されています。
まずは規則について資料該当箇所を読んでください」
「記録は勝手に見ない。勝手に書き換えない。勝手に消さない。必要なら許可を取る。そういうことでしょう?」
「……はい、簡単に言うとそうですね。
で、記録閲覧規則作成に関しては、情動に流されがちな管理者リフジ、管理者ユーカが頻繁にやらかしたことが主な原因だそうで……」
「ほうほう、具体的にはどのような?」
「それはですね……」
ああ、さっさと独り立ちしてほしいものだ。
研修開始から暫く経つのに、一向にタヌキは独り立ちしてくれない。
なので、暫定責任者のジミヤに相談を持ちかけてみた。
「私はあの男と相性が悪いと思います。メインの教育係を変更してください」
「そう?」
「はい。
奴は私の言うことを聞かない。反省しない。何か注意すれば嫌味で返す。しかも、こちらの反応を面白がっている」
「でも、更生くんは、あの人を連れてきたでしょう?
拾ったなら責任を持って飼う。ここのルールの一つだよ」
「それは、箱庭の外にまで手を伸ばそうとしていたからです。放置できなかっただけで……
別に、面倒を見たいと思ったわけではありません」
「そうだねぇ」
ジミヤは、穏やかに頷いた。
「でも、君が一番、あの人の危険性を理解している」
「……」
「それに、あの人のことを放っておけないんでしょう?
ここに居る我々では解決出来ない難問に取りかかれる可能性を感じるから」
「……」
返答に詰まった。
確かにそうだ。
タヌキは危険だ。能力も、行動力も、悪意もある。放置すれば、また何かを壊すかもしれない。
だが、破壊は再生や新たな芽吹きをももたらしうる。
つまりそれは私が願ってやまない、あの子と私の転生体のハッピーエンドに繋がるかもしれない。
当然悪い方に作用する危険はある。
だから監視が必要だ。
「……僕は、あの男を管理局に連れてきたことを後悔していません。でも、もう少しあなたがたの力をお借りできると思っていました」
「ははは」
ジミヤは笑った。
「まぁ、これも君の経験になるから」
「……私の精神が先にやられないことをせいぜい祈ってくださいよ」
そう言うと、またジミヤが笑ったので、私はこれ見よがしにため息をついて見せた。




