新人研修
「で、こいつはどうするんだ?」
マドエが田貫ータヌキを眺めながら言った。
タヌキは管理局の一室で、椅子に腰掛けていた。でっぷりとした腹を突き出し、まるで自分が招待客であるかのように、室内を見回している。
「どうする、とは」
「消すのか、残すのかという話だ」
「消す?」
タヌキが口を挟んだ。
「いやいや、物騒ですなあ。私、そこまでされるようなことをしましたかね?」
「しましたよ」
「おやおや」
「あなたが消した記録の数を数えてから、もう一度おっしゃってください」
「おや。そちらの世界では、記録の消去はそんなに重い罪なのですか?」
「あなたの場合は、消去した記録を利用して金銭を要求し、さらに箱庭の外へ侵入しようとしたことが問題なんです。
巻き戻しても条件を変えても何度も同じことを繰り返しますし……」
「侵入とは心外ですな。私はただ、情報の流れを確認しようとしただけで」
「あなたの自己満足と拝金主義に巻き込まれる側の身にもなってください」
「いやあ、まったく。管理者様はお仕事熱心でいらっしゃる」
タヌキは、ちっとも反省していなかった。
こめかみが痛い。マドエからの視線も痛い。
こいつを連れてきたのは私だ。
だからといって、こいつの相手をずっとする義理があるのだろうか。いや、ないはずだ。さっさと切り上げて指導をほかの管理者にでも任せたい。
「まあしかし、消すにしても、こいつの能力は惜しいよな。
更生、よく引き抜いた。指導役になれ」
マドエがとんでもないことを言いだした。
「……は?」
「箱庭の仕組みを解析し、記録を操作し、外部のデータベースにまで手を伸ばそうとした。実際にどこまでできるのかは調査が必要だが、少なくとも、ただの破壊者ではない」
マドエは、男を見下ろした。
「お前は、自分のやったことを理解しているのか?」
「もちろんでございますとも」
「なら、同じことを繰り返す可能性は?」
「さあ。状況次第でしょうなあ」
「だそうだ。よし、倫理指導は任せたぞ」
「何が『だそうだ』なんですか!」
思わず声を荒らげてしまったが、その甲斐もなく、マドエは平然としていた。
「使い道がある。消すのは惜しい。管理側に置いておけば、箱庭に対する危険も抑えられる。合理的な判断だろう?
指導役をお前にというのも当然の話だ、
お前が連れてきたのだからな」
「……え」
「なに、俺やジミヤ達がお前にしたようにすればいいだけだ。
好きなように指導し、観察してやれ。
潰れたりホームシックになったら消したり記憶を奪ったうえでどこかの世界にぶち込んでそこで磨り潰されるのをただ放っておけばいい」
「……」
「いやあ、これは光栄ですな。更生先輩には、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「はぁ!?あなたのせいで僕の箱庭がどれだけ……!」
「おやおや。箱庭は修復なさったのでしょう?それに、こちらの管理者様に言わせれば、アタシは将来有望とのこと。ならば、よろしいではありませんか。うまくアタシを育ててこき使ってやって下さいよ、ねっ!」
本気で殴りたい、こいつ。
だが、殴ったところで何も解決しない。
「やあやあ、新しい管理者さんか。よろしくね」
「!?」
いつの間にか気配も音もなく寄ってきていたジミヤが、困ったように笑った。
この人は自制ができ、穏和で常識的だが、こういった所は本当に心臓に悪いから勘弁して欲しい。
「よく彼を見張っていた更生くんにしばらく面倒を見てもらうのがちょうどいいだろうねぇ」
「ジミヤさんまで!」
「僕も、何をするのが正解なのかはよく分かっていないからねぇ。僕達は雰囲気で異世界箱庭管理をしている」
「分からないなら、なおさら慎重に判断してください!」
「そうだねぇ」
箱庭外の空間に響く私の文句は、結局の所ほぼ弾かれてしまった。
こうして、私にとっては甚だ不本意なことに、タヌキは管理局の一員となってしまった。
もちろん、管理局側も彼を正式に信用したわけではない。
行動には制限を設け、監督者(主に私とジミヤとヨウ、たまにマドエの持ち回り)をつけ、箱庭への直接的な干渉についても厳重に管理する形を取った。
本人は不満そうだったが、追い出されるよりはましだと判断したらしい。少なくとも表面上は従順だった。
「いやあ、しかし、こちらの制度はなかなか興味深いですな」
初日の説明を受けながら、タヌキはにこにこと笑っていた。
「管理者同士の権限は、どこまで共通しているのでしょう?監督責任の所在は?違反行為に対する処分の基準は?それから、記録の閲覧権限についても、ぜひ詳しくお聞きしたいものです」
「……あなた、何を企んでいるんですか」
「おや。新人が職場の規則を確認するのは、そんなに不自然なことですかな?」
「あなたの場合は不自然です」
「ひどいですなあ。まだ何もしておりませんのに」
「今後何かするつもりだから聞いているんでしょう!」
「これはまた、ずいぶんと疑り深い教育係様だ」
タヌキは腹を揺らして笑った。
「……早く倫理観を内面化して独り立ちするか、いっそ箱庭に戻しても未練などないくらいに無能さを曝け出してください」
「ええ、ええ。もちろん、独り立ちを目指しますとも」
タヌキは、恭しく頭を下げた。
「こちらも、教育係様にご迷惑をおかけしないよう、精一杯努力いたします」
ああ、気に障る。
こちらが何を言えば嫌がるのか、何をすれば怒るのか、どこまでなら許されるのか、そうした情報を集めているような人を食った態度。
「……まずは、管理局の規則を覚えてもらいます」
「承知いたしました」
「勝手に箱庭へ干渉しないこと」
「はい」
「許可なく記録を閲覧しないこと」
「はい」
「他の管理者に対して、金銭や情報を利用した脅迫をしないこと」
「なるほど。私専用の規則というわけですか。いやはや、特別扱いとはありがたい」
タヌキは笑っていた。
「……このあとはOJTスタイルで行きましょう。私は複数の箱庭管理をしますので、それに下手に手を出すことなく見て学んでください」
「ええ。もちろんでございます」
タヌキは、にこやかに答えた。
「では、よろしくお願いいたします。更生先輩♡」
ーーーーーああ。
箱庭の中にいる私の分身体を羨ましく思う。
少なくとも、あちらの自分は、こんな男の面倒を見なくていいのだから。




