第三章 第四話「決着」
気がついたら、少年を殴り殺していた。
いや、確かに意思を持って殺した。
個人的な苦しみを、孤独を、恐れを、虚しさを、自らの拳から血が流れるほどに、柔らかい命へ叩きつけた感触。何よりも覚えている。
「……で、俺を殺したってワケか」
ネヲの声で徹真の意識が過去から現実へ戻される。
「いやァ、痛かったなァ……結局俺なんもしてねえのにぶっ殺されたのか。いや、俺じゃねえんだけどさ」
そうだ。自分が殺したのは、死と喪失の形をした化け物などでは決してない。
何の罪もない、腹が減ったら飯を食い、学校に行き、家に帰れば親がいて、そして徹真のことも死も喪失も知らない、ただそこに生きている子供だった。
「……ああ。寧生は、本当に何もしていない……」
掠れた声でやっと答える。
「……寧生の遺体はどうしたの?」
輪廻が尋ねる。
「……川に投げ棄てた。視界に入れ続けることが耐えられなかった」
しかし、視界から消えたのはただ一人の子供の姿だけで、あの日の悪夢が消えることはなかった。
その後は輪廻が知るように、降り出した雨によって川は増水し、寧生の遺体は見つからず、7月12日の一連の出来事は多摩市中学生行方不明事件として世間に認知された。
「で、お前が〝誰〟なのか分かったとこだし……とりあえずピザ食わねえ?」
「…………は?」
聞き間違いだと思った。
今この少年、ピザと言っただろうか。しかし、
「ネヲ、本当勘弁して……状況分かってる?」
隣の少女が呆れ返っている。どうやら自分の耳の方はまともらしい、現実が狂っているのだと徹真は理解する。
「だってこいつの話長えし難しいから腹減るだろ。輪廻も腹減っただろ?」
「いや、そうだけど……!」
「減ってんじゃん」
「笑ってる場合!?」
「徹真も食うよな?」
二人の子供の会話の前に呆然として立ち尽くしていると、突然話の矛先が徹真へ向いた。
「……食うわけないだろ」
「なんで?腹減ってねえの?」
そういえば減ったな。
「…………減った」
「じゃあ決まりな」
その時だった。
強いノックの音とドア越しの声。
「警察です。当該研究施設に不審な男が侵入したと通報を受け急行しました」
「あ」
ネヲが呆けた声を出す。
輪廻が細胞培養室のドアを開けると、5名の警察官が早足で入室してきた。
「徹真、お迎え来たぞ」
「ネヲは黙ってて!」
警官が徹真を見る。
「名前は」
「……恒徹真」
「21時58分。不法侵入と傷害の容疑で確保します」
「まあ捕まるよな。……徹真!今度ピザ食おうな!」
「…………」
寧生の死とネヲの出生の根本となった男は、うつむいたまま抵抗することなく静かに警察に連れて行かれた。
ネヲと輪廻は残され、細胞培養室に静寂が訪れる。
「はあ……今日、長かった……」
輪廻がその場にへたりこむ。
「結果として!たまたま!無事だったけど、殺人犯と対話するとかどういう神経してるの……しかも君は被害者の記憶を持ってるんだよ?」
「いやァ、俺だって許してねえよ。でも……」
「寧生に罪はなかったって知れてよかった。それに話が出来たから、徹真がどんな風に生きてきた奴なのかも、俺の父ちゃんがどんな人だったのかも知れた」
「人殺しって別に24時間人殺すこと考えてるワケじゃねえってのが分かった」
「ネヲ……」
寧生もネヲも、いつもなんてことない顔をしながら核心を突く。
ネヲは寧生じゃない。もう他の誰でもない自分自身を獲得し始めている。それでも、こういうところは似てるな、と輪廻は心の中で呟いた。
「ネヲ、あの……ずっと黙ってて、ごめんね。ネヲのこと」
「まあ俺が死んでるとかそりゃあ簡単に言えねえよなァって思うわ」
ケロッとした顔でネヲは答える。
「それに、なんか輪廻には怒れねえんだよなァ。知ったら俺が悲しむから言えなかったって、分かるからかな」
「……徹真、また会えるかなァ」
ネヲが宙を眺めながら呟く。
「ネヲが会いたいなら会えるんじゃない?……私はあの人嫌いだけどね」
輪廻がそこにいない徹真に釘を刺す。
「あいつ、なんのピザ好きなんだろうな」
「さあね」
10月4日。月は宵闇に高く上り、長い1日が終わっていく。
二人とも空腹よりも疲労と睡魔が勝ち、輪廻は『ネヲを発見した』と最低限の事務連絡をして仮眠室へ赴き、ネヲは居室に戻り、それぞれ泥のように眠りについた。




