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第三章 最終話「秋晴れ」

青く煌煌(きらぎら)しい光が瞼を照らし、思わず目を開くと、朝日が白い部屋の中全体を窓越しに照らしていた。空気は秋晴れに涼しく澄み渡っており、心地いい。

10月5日。『ネヲ』としての朝が来た。

24時間前の自分とは、文字通り別の人間として今日から生きる。ネヲは不思議な感慨を覚えた。

昨日のことを振り返る。

退屈な自主リハビリ。昼寝。悪夢に目を覚ます。輪廻が憔悴した顔で部屋にやってくる。このままじゃダメだと部屋を脱走して、大人たちに追いかけられる。暗い部屋で見つけた、『自分は死んだ』という真相。輪廻から明かされる自分の正体。部屋に入ってきた、自分を殺した男。恒徹真と恒真実の人生。ピザ。警察。

「マジでやべえ日だったなァ、昨日」

ネヲが天井を見上げると、地獄の底から響くように腹の虫が鳴いた。

「は、腹減ったな……そういや昨日ピザ食い損ねたんだった」

確かこの研究所での朝食は朝8時からだ。腹と背中がくっつきそうな空腹に耐えながら、ネヲは慌てて時計を見る。

6時35分。

「マジかよォ!!」

虚しい叫びが居室全体に響き渡った。


「ーーそれ、お腹空きすぎて部屋の入り口で倒れてたってこと!?昨日あれだけのことがあったばっかりだから、本当びっくりしたよ」

輪廻は呆れたような態度を見せる反面、自分もネヲと同じく昨日食事を取り損ねた身のため、『居室のドアを開けたらネヲが倒れていた』というこの状況に、半分は共感していた。

「うめえ、うめえ……」

朝食のスクランブルエッグをトーストと一緒に頬張りながら、ネヲは取り憑かれたように食の快感に浸っていた。

ネヲが倒れていたという重大事態を受け、今日ばかりは輪廻もネヲの居室で一緒に朝食を食べることにした。ただし、昨日の一件で『萩ノ宵主幹はネヲに甘い』という事実が露見したため、万が一に備えて居室の外には壮年の男性職員が待機している。

「……なんかこういうの久々だね」

「ん?」

「一緒にご飯食べるの」

「確かになァ。ここんとこずっと輪廻は忙しそうだったしな」

「今日も大忙しだよ。誰かさんが脱走するから始末書書かないといけないし、むしろこれからの方が忙しくなるね」

「そっかァ、でも……」

「俺が出来ることは俺がやるから、もう無理すんなよ」

「ネヲ……」

「もう俺の知らないうちに輪廻が苦しんでるのは嫌だからな。約束」

「……うん。約束する」

青い朝日がお互いの顔を優しく照らしている。

久々の穏やかなひとときだった。


午前10時。輪廻は研究資料室のパソコンの前で途方に暮れていた。

昨日起こった、重要研究対象『ネヲ』脱走事案の始末書を書かなければいけない。それだけではない。ネヲが『寧生』ではなく『ネヲ』として生きると決めた以上、寧生の母親ーー喜代永紅寧に伝えなければいけないことが2つある。

1つ目は、寧生はもう死んでいるということ。

紅寧をはじめ、世間は喜代永寧生を行方不明者として認知している。現状、この世で寧生の死を知っているのは、輪廻とネヲと、そして寧生を殺した恒徹真だけだ。母親に息子の死を報せなければならないことは、15歳の輪廻が想像しても筆舌に尽くしがたく残酷な現実であった。

2つ目は、寧生の歯髄細胞と記憶を元に『ネヲ』という少年を生み出したこと。

これに至っては何からどう説明したらいい。ただ幼馴染の死を受け入れられなかった。ただもう一度会いたかった。輪廻にとってはそれだけだが、冷静になって客観的に考えるとその手段と実行力が狂気じみている。

輪廻としては『私は狂っています。それでも後悔はしていません』と開き直る以外に思いつかないが、それでは到底、息子を待つ母への説明責任を果たしたとは言えないだろう。

それに、喜代永紅寧は豪快で気性が荒い。寧生を殺したのが紅寧と交友のあった恒徹真と知ったら、留置所にいる徹真のところまで火炎瓶を持って殴り込みに行きかねない。話す順序とタイミングを間違えれば、紅寧まで警察の厄介になってしまう。

「あ〜〜……」

輪廻は睡魔に耐えかねた学生のように、人目も憚らず机に突っ伏した。

「は、萩ノ宵主幹……少しお話が」

「?」

輪廻が目だけ動かして見上げると、壮年の男性職員が立っていた。


梁井凱夫。輪廻の部下にあたる40代前半くらいの研究員である。

輪廻が行き詰まった時に、上司と部下という垣根を越えて相談できる数少ない存在だった。

連れてこられた屋上で外の空気を目一杯吸い込んでは吐き出し、輪廻はぽつぽつと語り始める。

「……ネヲは、『ネヲ』として生きると決めました。ならば我々研究者は、ネヲを重要研究対象というだけでなく、一人の少年として生きていけるようバックアップするべきです」

「そうですね……。昨日の一件で、ネヲ君の気性は私達もよく分かりました。彼はいつまでも隠しておける存在ではない。おそらく所長も、萩ノ宵主幹の意向に概ね同意するでしょう」

「しかし、寧生のお母様になんと説明すれば……」

輪廻はまた頭を抱える。

「それについては、主幹が一人で抱える問題ではないのでは?」

「……ネヲにも、似たようなことを言われました」

輪廻は力なく笑う。

梁井は続ける。

「話を聞いていると、ネヲ君は自分のことを何もかも主幹に任せっきりにして平気でいられる人物とは思えません。主幹、これは私の老婆心ですが……必ずしも、自分が何もかも抱えればその分周りが楽になるとは限りませんよ」

「……梁井さん」

不思議なことに、梁井の言葉はいつも、すっと腑に落ちる。他の者に同じことを言われても『いや、私がやらなきゃ』と食い下がってしまいそうなところを、梁井が言うと心の頑なな部分を通り抜けて芯まで届くのだ。自分よりずっと年上なのにそれを前面に出さず、それでいて年長者ならではの人生経験を言葉に乗せて若輩に分け与えてくれる人柄ゆえの成せる技なのだろうか。

「私はきっと、一人では抱えきれないって認めるのが怖かったんですね。ただそれだけのことが出来ないからこそ、今こうして主幹研究員という立場で働けてるところもあるんですが」

自虐のように笑う。

なんだか楽になって、ふと屋上から下界を眺める。

「……?なんか今日、警察多いですね」

輪廻の大きな目が、豆粒のように遠いパトカーと数名の警察官を捕える。

「昨日は不法侵入者もいましたからね。研究所周りのパトロールを強化しているのでしょう」

梁井も下界を眺める。

「戻りましょうか」

輪廻は梁井と連れ立って屋上と建物内をつなぐドアをくぐった。


「あっ!主幹!大変です。警察が!」

研究資料室に戻ると、新卒の研究員が泣きそうな顔で輪廻のもとへ駆けつけた。

「……ああ、昨日の不法侵入者に関する事情聴取ですね?」

輪廻の予想に、新卒は首を激しく横に振る。

「違います。それもありますが……!」

「?」


「ーー『アミダ・ラボで、行方不明の喜代永寧生さんに似た人物を見た』と、昨日不法侵入の件でこちらに急行した者から聞いたのですが……」

警察手帳を見せながら、制服警官が仰々しく尋ねる。

「…………」

研究資料室は重い沈黙に包まれた。

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