第12話 とっさに言葉が出ないじゅ!
〝大義名分〟を獲得するための雌伏の時と言い聞かせ、グラントから聞き出した店で身なりを整えたり、グラントのようになるべく姿勢や笑顔の練習をしたりして休暇の一週間を終えた。
歩くたびにスカスカと襟足を風が抜けていくのが、まだ慣れない。
人生で初めてのショートヘアにしたレインの金髪は、以前の煤けたような色合いから、手入れされたことでアンティークゴールドのような落ち着いた艶を放っている。
『バーバー・スミス』の女将さんいわく、レインの髪型は〝はんさむしょーと〟というらしい。
グラント御用達の洗濯屋に任せた隊服はいつもよりもパリッとしていて、グラントを真似て背筋を伸ばし、髪を短くしててきぱきと歩くレインのシルエットを男性的に見せた。
もともとレインの身長は高い。
詰所の廊下を歩くたびに挨拶をしてくる男性兵士とだいたい同じ目線。女性兵士とは少し視線を下げなければ目が合わない。
そういえばレインはダリオよりも背が高く、猫背を伸ばしたら視線が合わなかったことを一瞬だけ思い出した。ダリオもこの国の男性の平均身長はあったと思う。
だが今は、ダリオのことよりも考えなくてはいけないことがたくさんある。
詰所内の第四小隊室に足を踏み入れ、レインはドキドキしながら頭を下げた。
「おはようございます」
(じゅ!)と心の中で付け加え、下げていた頭をゆっくりと上げる――……と、たくさんの目がこちらを向き、注目を集めていた。
こちらを見てくる同僚たちの目はわずかにいぶかしげだ。
「えっと……新しい隊員が入ってくるのは、もう少し先だとうかがっていますが?」
どなた? と首を傾げる事務員の一人の言葉に、レインは驚いて目を見開いた。
そしてゆっくりと、だじゅ弁のイントネーションが出ないように慎重に名乗る。
「私は、レイン・ハンターです」
レインの自己紹介に、室内が人の声でざわっと盛り上がった。
同僚たちの目が点になっている。
「えっ……ハンター?」
側にいた先輩隊員がまじまじとレインの顔を眺めながら、確認するように言った。
レインはそれに小さくうなずきながら、まただじゅ弁が出ないようにゆっくりと口を開いた。
「そうです。長期間の休暇をいただき、ご迷惑をおかけいたしました」
「いや、一週間程度長期ってほどでもないし、隊長と新人たちを救った褒賞での休暇なんだから、むしろもうちょっと長く休んだっていいくらいなんだが……」
どうやら先輩はレインとは〝休み〟に対する体感温度が違うらしい。
まったく相容れない。
この野郎だじゅ。
と思っても、休暇中の鏡の前で無限微笑み練習地獄をクリアしたレインの表情筋は、穏やかに微笑んでいる。
誰もいない家で鏡の自分に向かって微笑むのは、悪夢のようだった。
グラントを真似たその優しげな笑みを見て、次々と同僚たちが話しかけてきた。
昇格の祝辞や、下水道での活躍への称賛。これまであまり接点のなかった者までが好意的な言葉をかけてくれる状況に、レインは内心パニックに陥りそうになった。
(人がいっぱい話しかけてくると、とっさに言葉が出ないじゅ!)
油断すると「だじゅ」と言ってしまいそうになるのを必死に堪え、レインは脳内で言葉を王都標準語へ翻訳する作業に全神経を集中させた。
以前は、よりによって同郷であるダリオにだじゅ弁を否定されたことが悲しかった。
確かにレインの故郷は王都に比べれば何もない田舎だけれど、ダリオが言ったみたいに〝恥ずかしい〟ところじゃない。
だからレインは、これまであえてだじゅ弁を使い続けてきた。
自分がだじゅ弁を使わなくなってしまったら、なんだか故郷を捨てたような気がして抵抗があったのかもしれない。
ダリオがレインのことを〝田舎の芋臭さが抜けない女〟と言って捨て、だじゅ弁を〝田舎モン丸出し〟と言って捨てたみたいに。
けれど『バーバー・スミス』での会話や、これまでの経験を経て少しだけ考えが変わった。
相手に自分の意思を正確に伝え、円滑にコミュニケーションをとるためには、相手の言葉に歩み寄る努力も必要なのだと。
実際に、スミスはこちらの言葉に首を傾げて何度か聞き返してくることがあった。
だじゅ弁を使わないからってレインが故郷を捨てることにはならないし、故郷の魅力や優しさが損なわれるわけでもない。
むしろだじゅ弁で話したことで伝達ミスが起こったり、会話が途中で止まってしまったりするほうが、故郷の印象が悪くなるかもしれない。
だからレインは、公私の区別はつけようと思った。
プライベートと心の中は愛すべきだじゅ弁を使い続けるけれど、正確な伝達が必要な仕事では、〝伝わらないこと〟が文字通り死に繋がる。
そして自分はこれから班長になる。部下ができるのだ。
グラントが部下へ命じる言葉はいつだって明瞭だ。
もどもどだじゅだじゅと口ごもっていたら、部下に〝こいつに任せて大丈夫か?〟と不安に思われてしまうだろう。
レインだって、もしもグラントがだじゅ弁と双極を成すぷんぷん弁で「総員、起立ぷん!」と命じられたら、「なんだじゅ?」と聞き返してしまうだろう。
「君は氷魔法が得意ぷん、期待してるぷん!」と言われても、本当だじゅ? からかってるじゅ? と不安で眠れないかもしれない。
ぷんぷん弁がそういう言い方をするものなのだと理解していても。
鏡の前で一週間笑顔の練習をしながらそう結論を出して、だからレインは、職場では王都標準語を使うことに決めたのだった。
「とにかく、昇進おめでとう! その格好は気合いの現れか? すごく似合ってるぞ、頑張れよ!」
先輩がパシンとレインの背を叩き、ぐっと親指を立てて笑いかけてくる。
レインは頭を下げて、「ありがとうございます」と慎重に答えた。
長年の癖はなかなか抜けず、とっさに標準語は出てこない。
だから今のレインの言葉遣いは一言一言区切るような、非常にゆっくりとしたペースになっている。
慣れればもう少しましになるだろう。練習あるのみである。
「未熟者ですが、精一杯、頑張ります」
必死の翻訳作業の副産物であったが、そのゆったりとした落ち着いた話し方が、周囲にはわりと好評のようでほっとした。




