第13話 やっぱり職場は良いじゅ……住みたいじゅ
休暇を終え――……レイン的には、〝生還〟してから数週間経った。
下水道を氷漬けにした時よりもより温かく、咲き始めた花や芽吹き出した若葉が王都の街並みを春色に染めている。
レインの部下となる人員はまだ決定していない。
休暇終了とともに書類上は昇進し班長になったものの、新設された班の班長としての仕事はまだ何もなかった。
第四小隊の所属の隊員としての仕事はあるが、だいたい書類仕事だ。
そのため現在のレインは、どの班にも属していない遊撃兵のような立場だった。
「なー聞いてくれよハンター! 今日、妻の誕生日なんだよ」
ガタンガタンと座ったまま木の椅子を動かしてレインの隣にやってきたのは、休暇明けに真っ先に話しかけてくれた先輩だった。
リチャード・ブーン。
ブーン男爵家の婿養子で、身体強化の魔法使いだ。
水や土など物体を生み出して攻撃するタイプの魔法ではなく、魔力で身体を強化して魔物と戦うパワータイプの魔法使いである。
そのため彼の体は山のように大きくて分厚い。
「世界で一番かわいくて美しくて聡明で器用で度胸があって綺麗で可愛くて賢くてカワイイ妻が生まれてきた日なの」
顔も濃くて顎髭も濃く、むさくるしいとしか表現のしようがない彼は、軍でも指折りの愛妻家である。
「誕生日プレゼントは一ヶ月前から一日一個ずつ用意してたんだけど、今日はほら、本命の日でしょ。だから花をね、買って帰ろうと思って。やっぱバラが良いかなあ。ハンターなら愛妻もしくは彼女にどんな花を渡す?」
「私には、妻も彼女もおりませんので」
レインがにっこり笑ってそう言うと、リチャードはハッとした顔をしたあと肩をすくめた。
「アッ! すまん。なんかハンターが休暇明けからめちゃくちゃかっこよくなったからさあ。かっこいいっていうよりハンサム? 男前? 女女女ってがっついてないし、彼女持ちか妻帯者みたいな謎の貫禄と余裕を感じるから話しやすくて」
「女ですから」
「そうなんだよお前さん女なんだよな……たまに感覚がおかしくなるんだよなあ。ごめんな」
山型食パンのような両肩をしゅんと落として謝る先輩に、レインはしまったと内心焦りつつとりあえず微笑んだ。
だじゅ弁に比べて、標準語は端的に話すと少し冷たく聞こえるのが難点だ。
レインはべつに男に見えると言われて怒っていない。
理想とするグラントは男だし、ああなりたいと思って修行中の身である。貫禄と余裕を感じると言われ、かえって嬉しかったくらいだ。
(見た目から真似るって決めて頑張った結果が出てるってことだじゅ!)
そう思ったら、唇の端が三日月より急角度で大きくつり上がってしまう。
「故郷では、誕生日に鉢植えの花を贈ります。あなたに幸せが根付きますように、という願いを込めて」
「おお!」
パッと顔を上げ、「奥さんは黄色が好きだから花は黄色だな。鉢植え本体にも凝りたいよなあ!」などと言いながら早速妻への贈り物にふさわしい鉢植えを頭の中で作り始めたリチャードを、レインはちょっとだけうらやましく思った。
(ブーン先輩には帰ったら迎えてくれる人がいるじゅ。帰宅が楽しみだって、ダリオと別れてからそんなこと感じたことないじゅ。家は孤独との戦場じゅ……)
だけど最近は〝大義名分獲得計画〟のおかげでイメージチェンジが成功し、リチャード以外にも親しく話しかけてくれる人がたくさんいる。
猫背でうつむきながら話していた頃だって職場にいれば人の声が聞こえたから孤独を慰められていたけれど、さっきみたいにちょっとした会話の相手がいるというのはすごく楽しい。
(やっぱり職場は良いじゅ……住みたいじゅ。でもそろそろ書類仕事は飽きたじゅ)
こうやって雑談できるデスクワークも素晴らしいけれど、いかんせんレインは少女時代からアイス・トロールと呼ばれていた女である。
(魔物討伐の仕事もしたいじゅ)
コミュニケーションが取れつつある今のレインなら、きっと討伐の道中がピクニックみたいで楽しいだろう。
◇
――と、思ったことが悪かったのかもしれない。
昼休憩後の勤めも何事もなく終わりそうだった、終業時間間際。
レインにとっての〝悪いこと〟ではなく、リチャードにとっての〝悪いこと〟が起こってしまった。
王都大門外の街道にゴブリンが出現し、その数の多さから緊急討伐依頼が憲兵から持ち込まれたのだ。
「なんでよりによって今日! お誕生日おめでとうパーティー間に合うかなあ? 昼休みに鉢植えのお花も手配したのにさあ!」
熊のようにいかつい顔とふさふさの顎髭を涙でべちょべちょにしながら、けれど帰り支度をあきらめて鞄を机の引き出しに戻しながらリチャードが吠えている。
乱暴に椅子を引いて立ち上がり涙をふく先輩兵士の、そのぺしょぺしょに空気が抜けてしまった山型食パンのような肩を見て、レインは脳内で大鐘が鳴り響く音を聞いた。
レインは今、部下が決まらないせいで遊撃兵のようなものである。
誰の班にも組み込まれていないということは、言い換えれば〝誰の仕事にでも手を出せる〟ということではないだろうか。
(天才じゅ! これは天才の閃きじゅ! 相手は先輩で部下じゃないじゅ。けど今こそ、誰かの都合の悪い仕事を私が代われば、その人は仕事をしなくていいし、私はずっと仕事で職場にいられるという、〝皆ハッピー大作戦〟を決行するときじゅ!)
ふんすっ! と気合いを入れて、レインはリチャードの背後に音もなく忍び寄って言った。
「その討伐、私が代わります。せっかくのお祝いの日、奥様のお誕生日に怪我でもされたら大変です。ましてパーティーに間に合わないだなんて、そんな悲しいことはありません」
「ほ、本当にいいのか⁉ でも君にも予定がある……え? ない? そうなの? ないの? なんかいっつも職場にいるけど大丈夫なの? 本当に? え、なら申し訳ないけど頼めるかな。隊長には俺から言っておくから……」
レインが任せろと胸を叩くと、雨上がりの曇り空に虹がかかるように、リチャードの顔がぱあああっと明るく晴れる。
「ありがとうハンター! 君に神の祝福があらんことを!」
「先輩も。奥様と楽しい時間が過ごせますように」
ん~っま! ん~っま! と二度ほど暑苦しい投げキスをレインへ投げてから、リチャードは弾むように第四小隊室を出ていった。
感謝されながら仕事を巻き取る。
共存共栄、なんて素敵なのだろう。
レインもリチャードと同じように、鼻歌とともにスキップしながら部屋を出た。
◇(グラント視点)
執務室にて。
グラントはリチャードの報告を聞いてこめかみを押さえた。
本音を言えば、いくら手が空いているからといって、まだレインを討伐へ行かせたくはなかった。
それは格上のブラッド・アリゲーターを全滅させた彼女の魔力が、数週間程度で万全に回復しているのか。という、体調面の懸念がひとつ。
さらに、功績を挙げた者をさらに働かせることの外聞の悪さがある。
これは他の隊員から見て〝手柄を立てても休めないのか〟という不信感に繋がりかねない。
実際に、休暇明け初日から昼休み返上で訓練に参加するレインを見て不安を感じた隊員から、レインを班長にした新しい班への編入を拒んだり渋ったりしている者がいる。
そのせいでレインの部下がなかなか決まらず、グラントは頭が痛かった。
だがしかし、今日は軍全体に愛妻家で名を知られているリチャードの、妻の誕生日だ。
やる気のあるレインを控えさせるよりも、すぐにでも妻の元へと飛んでいきたいという顔をしたリチャードの望みを叶えるほうが、部下の管理としても小隊の対外的な評判としても正解……の、ような気がしないでもない。
「どっちもどっちか」
呟いて窓の外を見ると、討伐班に加わるため魔導杖をくるんくるん振り回しながら軽やかにステップを踏んで移動するレインの後ろ姿が見える。
そして視線を正面に戻すと、そわそわと落ち着かないリチャード・ブーン。
グラントはため息をついた。
「――わかった、許可しよう。その代わり、今回の討伐班の班長に人員交代の命令を伝えてから帰ってくれ」
その指示書を今から書くから、その程度は我慢して待ってくれよ。と、グラントはこめかみを揉みながらリチャードに告げた。
ぶんぶん首を縦に振る熊のような顔の部下を見ながら、そういえば自分はいつから家に帰ってないのだったか……? と首を傾げる。
下水道の事件以前から忙しく、まともな休みは全くなかった。
今も休みはない。
次から次へと仕事が発生して、今は職場で寝泊まりしている。
本当は自分だって、今からでも家に帰ってゆっくりしたい。
帰りに市場に寄り、旬の食材を買って料理をしたい。
あまりのかわいさに一目惚れして買ってしまった花の形をしたアロマキャンドルに火をつけて、揺らめく炎を見ながらソファに座ってぼんやりしたい。
治癒の魔法が付与されたバスオイルを入れたお風呂にゆっくりつかりたいし、ねこちゃん型もこもこアイマスクをして五十時間くらい寝たい。
グラントはもう一度大きくため息をついた。
自分は真面目な性格で、それが長所だと思っているが……少しだけ――ほんの少しだけ、休めるのに休まず仕事に突撃していくレインを見て、本当にちょっとだけ、この野郎……と、思った。




