デモノの過去
「よく戻った、ルシド。そちは我が愛する娘カリアの夫……すなわち、ワシの息子も同然だ。デルモラードを平定した暁には、ワシの次の、未来のデルモラードの『盟主』の座はすべてそちに託す!」
国庫の蓄えをすべて叩き出し、無理やり一万へと膨れ上がらせたサンタス軍。
そのうちの九千という圧倒的な大軍勢を引き連れて凱旋した若き王ルシドを、デモノ王は自ら盛大に出迎えて、広間に響き渡る声でそう高らかに宣言した。
「おお……っ! 私が、次期のデルモラード盟主に……!?」
ルシドの瞳が、これ以上ないほどの大喜びの歓喜に跳ね上がった。
寝室で最愛の妃カリアが囁いていた夢が、今、そっくりそのままデモノ王の口から公に約束されたのだ。
ルシドは未来の栄光に狂喜乱舞し、目を輝かせながら、カリアを伴って意気揚々と謁見の間を退室していった。重臣たちや密偵、そして黒眸騎士団のジュリアス将軍らも、それぞれの思惑を胸に広間を去り、重厚な扉が静かに閉まる。
静まり返った広大な謁見の間に、ただ一人、玉座に座るデモノ王だけが残された。
誰もいなくなったことを確認すると、謁見の間の玉座の裏にある壁をスライドさせると、秘密の部屋があり、デモノ王は衣服の奥から鍵を出して部屋に入った。
その部屋の奥の箱から歪な形をした小瓶を取り出した。
手のひらに凍りつくような冷気が伝わってくる。
小瓶のなかでは、一切の光を透過させない、不気味に蠢く銀色の液体が怪しい光を放っていた。
デモノ王は、つい先ほど、後継者に指名されて天にも昇る心地で大喜びしていたルシドの、あのめでたい顔を思い出していた。
「クハハ……馬鹿な奴だ」
デモノ王は小瓶を見つめ、低く、悍ましい声で嘲笑った。
「お前はワシが老いさらばぼえて死に、その座を譲る日を夢見て、健気に最前線で戦うのだろうな。だが、残念だったな……ワシにはこれがある。お前がどれほど待とうと、ワシは死なぬ、衰えぬのだ」
デモノ王の濁った瞳に、執念の火が灯る。
そのあまりの不気味さと未知の副作用への恐れから、今までどうしても飲むことができず、ずっと仕舞い込んでいた秘薬。
50歳を前に飲む決心をしたのだ。
秘薬を持つ手に力が入り握りしめる。
さー飲もうとする前にデモノは昔を思い出して手が止まった。
喉を焼くような不気味な銀色の液体を、まさに口に運ぼうと見つめたその刹那。
手元にある小瓶の冷たい感触が、デモノ王の濁った瞳をすり抜け、彼の魂を四十九歳の現在から、一気に四十年近く昔の忌まわしき過去へと引き摺り込んでいった。
極寒の風が吹き荒れる、北方のデモン国。
その王宮の薄暗い地下室が、デモノの地獄の始まりだった。
デモノは、デモン国の国王の、側室から生まれた最末弟だった。
幼い頃は、ただの普通の可愛い子供だったのだ。 だが、このデルモラードの地を苛む恐ろしい風土病――『岩石病』にかかった瞬間、すべてが変わった。
岩石病。
それは感染する病ではないが、発症すれば身体の皮膚が硬化し、まるでカカトの皮のように分厚く、醜いヒビが入っていく絶望の奇病だった。その異形に怯え、病が移ることを恐れた実の父親である国王は、実の息子であるデモノを「すぐに抹殺せよ」と冷酷に命じた。
「どうか、この子の最期は、母親である私の手で……」
そう泣いて申し出たのは、デモノの最愛の母親だった。
だが、母はデモノを殺すためではなく、救うために嘘をついたのだ。
母は王の目を盗んで、地下室に閉じ込められていたデモノを密かに城の外へと逃がした。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。ワシを逃がした罪で、母親はその日のうちに捕らえられ、無残にも処刑されたのだ。
母の命と引き換えに、這う這うの体で生き延びたワデモノ。
地下室にいた頃に受けていた、母が雇った医者よる治療のおかげで、幸いにも首から下の皮膚は元の状態へと完治していた。
しかし……顔だけは手遅れだった。顔の皮だけが、カカトの皮膚のように分厚く、酷いヒビ割れを起こしたまま、悍ましい怪物の姿で固定されてしまったのだ。
「うわっ、化け物だ!」
「こっちに来るな、不浄な者が!」
まだ幼い子供だったデモノは、その醜さゆえに誰からも人間扱いされず、北の貧民街の最底辺へと行き着いた。
自分がデモン国の王子であることなど、絶対に知られてはならなかった。
もし生きているとバレれば、今度こそ刺客に首を撥ねられる。
デモノは名前を捨て、身分を隠し、ただの薄汚いドブネズミとして生きることを選んだ。
貧民街の暮らしは、地獄そのものだった。
昼間はまともな人間の目に触れぬよう、暗い軒下で息を潜めてじっと体を丸める。そして夜中から朝方にかけての静まり返った時間、飢えを凌ぐために、寒さに震えながら一人でゴミ漁りをして残飯を貪り食う。それが、かつて王子と呼ばれたデモノの日々だった。
世界への憎悪と、自分をちやほやした後に手のひらを返して殺そうとした「美しい人間」への復讐心だけが、デモノの生きる糧だった。
十五歳になるころ。ゴミ漁りだけでは生きていけず、デモノは夜中に一人で森へ入り、売って僅かな金にするための薪を集めるようになっていた。
過酷な環境で生き延びたワシの肉体は、いつしかそこそこ腕も立ち、何より、生きるために野生の獣を仕留めてきた石投げの技術が異常なまでに極まっていた。
武器が買えない極貧のデモノの唯一の武器が石だった。
常に手頃な固い石をデモノは持っている。
デモノが全力で放つ石は、凄まじい速度の弾丸と化し、直撃すれば大の大人が一撃で命を落とすほどの必殺の武器だった。
その夜も、森の中で薪を集めていた時のことだ。
前方の茂みから、生々しい罵声と争う音が聞こえてきた。
「おい、こいつら噂の『仮面族』だぞ!仮面の下を見てみようぜ!」
「醜い素顔を隠して旅をしてるって話だな? おい、その気味の悪い仮面を取って顔を見せろよ! ついでに懐にある金も、全部ここに置いていきな!」
松明の光のなか、十人の凶悪な盗賊たちが、奇妙な衣服を着た旅人を囲んでいた。
薪の影からそれを見ていたデモノの脳裏に、盗賊の放った「醜い顔」という言葉が、激しい怒りの雷となって突き刺さった。
(醜い顔だと……? 俺をゴミのように扱った、あの薄汚い奴らと同じ目をしていやがる……!)
カカトのような顔に青筋を立てた十五歳のデモノは、足元から拳大の尖った石を拾い上げると、凄まじい腕の振りで盗賊の頭めがけて投げ放った。
風を切り裂く轟音と共に、先頭にいた盗賊の頭が、悲鳴をあげる暇もなく頭部を砕かれて消し飛んだ。
「な、なんだ!? どこからだ!?」
動揺する盗賊どもへ向けて、デモノは次々と凄まじい速さで石の弾丸を叩き込んでいく。
下手すれば一撃で死に至るその石礫の嵐に、盗賊たちが大パニックに陥った。
その一瞬の隙を、囲まれていた仮面族が見逃すはずがなかった。彼らは並外れた身のこなしで、あっという間に残りの盗賊たちを全員叩き斬り、その場に制圧してしまったのだ。
戦いが終わったあと、仮面族は隠れていたデモノの前に歩み寄ってきた。
彼らはデモン国と交易を行っており、この北部の特産であるパーラ石を売り払った帰り道だったのだ。
仮面族は、デモノの醜い顔を見ても1ミリも蔑むような目をせず、ただその強さと加勢への感謝を示した。彼は
「盗賊の持ち物はすべてお前が持っていけ」
と、戦利品を丸ごとデモノに譲ってくれた。
さらに、デモノはその仮面族と盗賊の死体をそのまま衛兵の元へ届け出たことで、賞金をもすべて自分の手に入れることに成功したのだ。
これが、デモノの人生の、本当の転換期だった。
別れ際、仮面族は、デモノの手の中に2つの奇妙な小瓶を握らせた。
「これは、神の遺産……『秘薬』だ。一つめは、神の血が少しでも流れる者であれば、その肉体の力を倍に跳ね上げる。持っていくがいい」
去りゆく彼らを見送った後、デモノは藁にもすがる思いでその最初の秘薬を飲み干した。
すると、全身の血が沸騰し、デモノの腕力も、スピードも、文字通りそれまでの『倍』という化け物じみた強さへと進化を遂げた。
そして、もう一つの小瓶。仮面族は
「これは、神の血が少しでもあれば、寿命を五十年のばし、肉体の老化を止めるものだ」
と言っていた。
だが、十五歳だったデモノは、その小瓶をじっと見つめて、衣服の奥深くへと仕舞い込んだ。
(いや、今飲むべきではない。まだ子供の今この薬を飲んでしまえば、デモノの姿はずっとガキのままで固定されてしまう。これでは都合が悪い。もっと歳を取り、世界の頂点に立つにふさわしい、完璧な全盛期の肉体になった時にこそ、この不老の秘薬を飲むべきだ……)
それからのデモノののし上がりは、迅速だった。
手に入れた圧倒的な『倍の力』と莫大な賞金を使い、まずは貧民街の荒くれた子供たちを力で屈服させ、すべてを自分の忠実な子分(のちの私兵盗賊団)へと仕立て上げた。
そして、その子分たちを動かし、盗賊たちから奪った資金を元手に、北ルートの物流の隙を突いた商売を始め、巨万の富を築いていった。
三十歳を過ぎるころには、デモノは金と暴力、そして悪どい策略を平気で駆使する、北部の影の支配者となっていた。
準備は完全に整った。
「私の本当の名はデモノ。あの時、貴様たちが岩石病ゆえに抹殺しようとし、母親を殺して最果てへ追い払った、正統なるデモン国の王子だ!」
デモノはついに自らの身分を大々的に名乗り、私兵となった凄惨な盗賊団と集めた軍勢を率いて、本物のクーデターを引き起こしたのだ。
デモノを化け物と呼んだ王家、デモノの母を処刑した王族どもを、一人残らずこの手で無残に皆殺しにして根絶やしにし、デモノはついにあの忌まわしきデモン国の王座へと君臨したのだった。
「クハハ……」
回想から覚めた四十九歳のデモノ王は、玉座の上で、手元にある二つ目の小瓶――あの十五歳の夜からずっと大切に仕舞い込んできた『五十年の不老の秘薬』を、今度こそ覚悟を決めて口へと運ぶ。
(ルシドの馬鹿めが、ワシが死ぬのを待つがいい。ワシはこの肉体のまま、神聖イオン帝国のキィールも、モーゼスも、すべてをこの足元へ組み伏せてやる……!)
怪物の五臓六腑を、冷徹な不老の熱さが、いま激しく駆け巡ろうとしていた。
いつも本作をお読みいただき、本当にありがとうございます。
皆さまにこの広大な世界と、キャラクターたちの物語をより深く、最高な形でお届けするため、執筆の過程で時々、過去のエピソードに新しい設定や伏線を追加したり、お話をやり直したり(改稿)しております。
「あの時、実は裏でこんなことが起きていた」
「この常識にはこんな歴史があった」
といった、終盤に向けての大切なピースを、より自然に、より面白く繋ぎ合わせるためのこだわりです。
もし「おや? 前に読んだ時と少し描写が変わっているな」とお気づきになられた際は、それこそが物語がさらに深化し、クオリティが高まった合図です。
過去の回にこっそり仕込まれた新たな伏線や、キャラクターたちの生々しいやり取りを、宝探しのような気持ちで何度も読み返して楽しんでいただければ幸いです。
これからも、皆さまの期待を裏切らない最高の展開を用意しておりますので、じっくりとお付き合いください。




