サジィールの婚約者
翌日、神聖イオン帝国の王宮は大広間には、建国を祝うために各地から集まった有力貴族や将官、大臣たちが一堂に会していた。
昨夜の会議室での決定通り、重臣サジィールと侍女カリーヌの「婚約発表」の宴が催されることになったのだ。
大広間の裏手、控室では、凄絶な地獄絵図が繰り広げられていた。
「動くかないで! 帯が歪むでしょう!」
「痛ぇっ!? おいソフィア、締めすぎだ! 息ができねえ!」
筆頭女官ソフィアの手によって、カシムはこれでもかと豪華なモーラ風のドレスを着飾らされていた。髪は美しく結い上げられ、完璧な美女の姿『カリーヌ』が完成しつつある。だが、問題は胸の仕上げだった。カシムは可憐な女性の体型に見せるため、いつもドレスの胸元に綿などの詰め物を忍ばせているのだ。
ソフィアは机の上から、普段使っているものより明らかに二回りは巨大な、ずっしりとした新しい詰め物を両手に持ってニヤリと笑った。
「さあカリーヌさん、今日は帝国中の有力者が集まる盛大なパーティーですわ。いつもより大きめのこちらを胸に仕込んで、さらにグラマラスで魅力的な花嫁になりましょう!」
それを見た瞬間、カシムは顔を引きつらせて全力で後ずさりした。
「おい待てソフィア! 冗談じゃねえ、そんなデカいもん入れられるか! いつものやつで十分だろが!」
「何をおっしゃっているのですか、見栄えが肝心ですわ! ほら、大人しく胸を出しなさい!」
「嫌だ! 絶対に嫌だ! 俺のプライドが許さねえ! 触るな、押し込むんじゃねえーーっ!」
屈強な暗殺者であるはずのカシムが、ソフィアの圧倒的な母性とプロ根性の前に涙目で必死の抵抗を試みるものの、無慈悲にもドレスの胸元へ強引に巨大な詰め物がねじ込まれていく。
「よし、完璧な肉体美ですわね」
と満足げに頷くソフィアの横で、カシムは
「重ってぇ……足元が見えねえ……呪ってやる……」
と、不自然に強調された胸元を抱えながら低い男の声でボソリと呟いた。
入場直前、大広間の扉の前で、サジィールとカシムが並んで立っていた。
カシムは不機嫌そうにサジィールを睨みつけ、サジィールはカシムのそのいつもより明らかにボリュームの増した胸元から、気まずそうに激しく目をそらして距離を取ろうとしている。
「おい、サジィール。お前、絶対に俺の方をジロジロを見るなよ。あとでぶっ殺すからな」
「お前こそ、入場した瞬間にその胸落として、男の声で吠えるなよ。私の名誉がかかっているんだ」
二人が扉の前で盛大に小競り合いを始めようとしたその時、後ろからソフィアが冷たい目で手を叩いた。
「お二人とも、何をやってるんですか? 時間です。ほら、しっかり腕を組んで!」
観念した二人は、仕方がなくぎこちなく腕を組んだ。
重厚な扉が左右に開き、大広間へと二人が一歩を踏み出す。
「おお……っ! 素晴らしいお似合いの二人だ!」
「ん? カリーヌ様、何だか以前より一段と発育が良くなられたような……なんと見事な体型だ!」
万雷の拍手と貴族たちの歓声、そしてカシムの胸元への絶賛の声が広間に響き渡った。
その拍手を浴びながら、何故かサジィールは耳まで真っ赤にして俯き加減に歩いている。
普段の冷徹な戦士の姿はどこへやら、あまりにも完璧な美女の姿(中身は男で、胸は特盛りだが)となったカシムと密着しているせいで、ウブな彼は完全にパニックになっていた。
対するカリーヌことカシムは、腹の中の殺意を完璧に隠し、誰もが惑わされる満面の可憐な笑みを浮かべて手を振って皆の歓声に答えている。
中央の壇上に上がると、ソフィアが貴族や大臣達へ向けて凛とした声で説明を始めた。
「皆様、ご紹介いたします。サジィール様の婚約者、カリーヌさんです。彼女はサジィール様を愛するあまり、遥か遠くモーラ圏からこの中原まで追いかけてやってこられた一途な女性ですわ。此度の戦いが終わり、真の平和が訪れるまでは婚約者のままで、引き続き陛下の護衛と侍女を務めてもらいます」
ソフィアの美しい説明に、広場からは
「おお、健気な……」
と感動の溜め息が漏れた。
だが、広間の片隅で、前回の武闘大会でフェルの乗馬をゲラゲラと笑ったあの男――内政大臣ダイズが、隣の将官に肘を突きながら、下卑たニヤニヤ笑いを浮かべて配置についていた。
「おい、見たか? あの豊かな胸の女が護衛だなんて、笑わせる。戦いが終わるまで婚約者のまだぁ? あながち、あの上品な侍女は、本当は若き陛下の『愛人』だという噂の方が、正鵠を射ているかも知れませんな。くくく、いい身分だことで」
ダイズ大臣はそう言って、せせら笑いながら手元の大ぶりなジョッキの酒を飲もうと、口元へ運んだ。
その瞬間だった。
ヒュンッ!
という、空気を切り裂く凄絶な風切り音が鳴り響
いた
ガキィンッ!!!
凄まじい衝撃音と共に、ダイズ大臣がまさに口に付けようとしていたガラスのジョッキが、行き成り飛んできた一本の短刀によって、寸分の狂いもなく真っ二つに叩き割られた。中に入っていた酒が、ダイズの顔や豪華な服にバシャリと盛大にぶつかり、飛び散る。
「ひっ……!? え、あ……!?」
手元に残ったジョッキの取っ手だけを握りしめ、ダイズは恐怖でガチガチと歯を鳴らして腰を抜かした。短刀は、背後の柱に深くクザっと突き刺さっている。
誰もが呆然と静まり返るなか、壇上のカリーヌが、いつよりも豊かな胸を堂々と張り、完璧に可憐で美しい満面の笑みを浮かべたまま、ダイズ大臣をまっすぐに見つめてにこやかに首を傾げた。
裏声を完璧に使いこなした、鈴を転がすような美しい美声が広間に響く。
「……何か、おっしゃいましたかしら? ダイズ様」
「い、いえっ! め、滅相もないことでございますっ!!」
ダイズ大臣は顔を真っ白にして叫ぶと、慌ててテーブルの上の布をひったくり、自分の顔や服にこぼれた酒を涙目で必死に拭き始めた。周囲の貴族たちも
「あの女、さすが陛下の護衛だけあって……!」
と完全に震え上がっている。
その様子を見て、ソフィアは深く、深いため息をつき、ダイズ大臣を冷徹に睨みつけた。
「ダイズ大臣……またあなたですか。しかも、まだまだ宴席が始まって無いのに、早々と酒まで飲んで……。良いですか? 三度は無いですよ」
「は、はいぃっ! 申し訳ありませんっ!」
ソフィアの凍りつくようなお叱りに、ダイズ大臣は完全に小さくなって震えていた。
キィールが玉座でカシムの胸元とダイズの無様な姿を見て、こっそり吹き出しそうになるのを必死に堪えるなか、ハルトが
(なるほど、あの胸には暗器が仕込まれているかも知れないな……)
考え込んでいる。
ソフィアがパンと手を叩くと、一瞬で華やかな音楽が鳴り響いた。
「さあ皆様! 縁起の良い婚約発表ですわ! これより、我が神聖イオン帝国の勝利を祈念して、振る舞い酒と料理を配ります!」
ソフィアの合図と共に、控えていた侍女たちが一斉に動き出し、美味な料理と極上の酒を皆の元へと配り始める。
サジィールとカリーヌの、最強の魔除けとなる婚約発表の振る舞い酒と料理が皆に配られ、大広間が一段と大きな歓声に包まれていた、まさにその時のことだった。
若き皇帝キィールが、玉座から静かに立ち上がり、右手を掲げた。
その完璧な黒髪と黒目の威厳に、広間の喧騒がピタリと静まり返る。キィールは広間に並ぶ有力貴族や大臣、将官たちを見据え、厳かに声を響かせた。
「皆の者、よく聞いてほしい。此度の宴、我が神聖イオン帝国の建国を祝うと同時に、我が国にとって最も重要なる、新たなる『同盟の戦友』をここに紹介する。前へ」
キィールの合図と共に、大広間の入り口から、全身を奇妙な衣服で包み、素顔を不気味な仮面で完全に隠した一人の男が、堂々たる足取りで壇上へと歩み寄ってきた。北部三部族の危機を知らせ、救援を求めてやってきた使者――ラトラスであった。
貴族たちが
「何だ、あの不気味な仮面の者は……」
とザワつく中、キィールはラトラスの隣に立ち、毅然と言い放った。
「彼の名はラトラス。これより我が国と共に、旧き帝国の悪弊を打ち砕くために戦う、気高き戦士だ。ラトラスよ、我が国の者たちに、その真なる素顔を見せてやってくれ」
「御意、イオン十七世陛下」
ラトラスは低く、重厚な声で応じると、ゆっくりと自らの顔を覆っていた仮面へと手をかけた。
カチリ、と静まり返った広間に硬い音が響き、仮面が外される。
その下に現れたのは――人間のものとは明らかに異なる、神秘的で不気味な『薄緑色の皮膚』を持つ、異形の素顔だった。
「ひっ……!?」
「な、なんだあの顔は……!」
広間にいた有力貴族や、大臣達を含む長老連中が一斉に血の気を引き、ガタガタと椅子を鳴らして後ろへ飛び退いた。
彼等は生まれてから今まで、本物の『魔族』がどのような姿をしているのかなど、何ひとつ知らなかったのだ。
だが長老の一人が、恐怖に顔を歪めながら、震える指先でラトラスを指差して絶叫した。
長老は、魔族の容姿の話しは知っていて、ラトラスを見て確信した。
「ま、まさか……魔族! 魔族が何故、このような神聖な場にいるのだ!?」
広間がパニックに陥りかけた、その
帝国を一つにまとめる最高の団結の宴となったのだった。
「黙れ!!!」
キィールの割れんばかりの怒号が、大広間に炸裂した。玉座の前に立つ若き皇帝の黒い瞳が、烈火のごとき怒りで爛々と輝いている。
「魔族とは何だ! 予の目の前にいる高潔な戦士を、その見た目だけで化け物呼ばわりするか! 貴様たちのその薄汚い偏見の口を、今すぐ慎め!」
皇帝の圧倒的な気迫に、長老連中が
「は、はひぃっ……!」
と一瞬で平伏し、広間が水を打ったように静まり返った。
その緊迫した静寂のなか、キィールの後ろに控えていた予言者リンが、まるですべてを見通す神のお告げを紡ぐかのように、静かで清らかな声を広場へと届かせた。
「皆様、恐れることはありません。彼は、魔族などではありません。彼の本当の種族名は『アスト族』。太古の昔、この大地を切り拓くために、神様が自らの手でお創りになり、この世界へ遣わされた『神の使い手』の末裔なのです」
リンのその透き通った、神秘的な声の言葉に、貴族たちは呆然と顔を見合わせた。
「か、神の使い手……?」
「我々が見た目で嫌い、勝手に魔族などと呼んで恐れていただけで、本当は神聖なる一族だったのか……」
リンの予言者様の神のお告げの様な言葉に、広間の空気は恐怖から、一転して畏敬の念へと様変わりしていった。長老たちも
「そ、そうだったのか……アスト族……」
と、己の無知を恥じるように頭を垂れる。
キィールは大きくマントを翻し、居並ぶ群臣たちを冷徹に見下ろした
「分かったか! 我が『神聖イオン帝国』においては、身分も肌の色も関係ない。これよりアスト族の者たちには、我が国内では一切の仮面を外し、堂々と素顔で生きて貰う。……万が一にも、これからの我が国において、彼らを魔族だの化け物だのと罵り、失礼な態度を取る者が現れたなら――」
キィールは腰の剣の柄に手をかけ、一文字に口元をきりりと結んだ。
「――予は、絶対に許さない!」
その絶対の決意を込めた王の宣言に、大広間にいたすべての貴族、将官、大臣たちが一斉にその場に膝を突き、深く、深く頭を垂れた。
「ははっ……! 陛下の仰せのままに……っ!」
その様子を横で見つめていたサジィールと、不自然に強調された豊かな胸を張ったカシムの目には、キィールがもう立派に数万の民と異種族の命をも背負う、本物の『偉大なる皇帝』へと成長していることへの、深い信頼の光が灯っていた。
ラトラスは再び仮面を脇に抱え、薄緑色の顔に熱い決意をみなぎらせて、キィールの前に深く平伏した。
「我がアスト族の誇り、これより神聖イオン帝国と、イオン十七世陛下のために捧げましょう!」
こうして、中原の『神聖イオン帝国』と北部の『アスト族』の、歴史的な大同盟が完全に結ばれた。




