侍女カリーヌとカシムの苦悩
『神聖イオン帝国』の華々しい建国式典が終わり、数万の民の歓声がようやく遠のいた深夜のこと。
会議室には、キィール、サジィール、ハルト、カイル王、シオン、そしてスパルタカスとソフィア夫妻といった、この国の運命を握る仲間たちが全員集まっていた。
壁際では、今日も完璧な美貌を誇る陛下担当の侍女『カリーヌ』ことカシムが微笑みながら静かに控えている。
筆頭女官でもあるソフィアが、コホンと咳払いをして書類を掲げた。
「あの、皆様。今すぐに手を打たなければならない緊急の案件がございます」
「緊急の案件? 敵の増援か、あるいは物資の不足か?」
ハルトが真剣な顔で身を乗り出すと、ソフィアは困ったように微笑んで、壁際のカリーヌを指差した。
翌日、神聖イオン帝国の王宮は大広間には、建国を祝うために各地から集まった有力貴族や将官、大臣たちが一堂に会していた。
昨夜の作戦室での決定通り、今日は全軍の出陣を前に、重臣サジィールと筆頭侍女カリーヌの「婚約発表」の宴が催されることになったのだ。
「いえ、実は侍女のカリーヌさんについてです。今回の建国に伴い、あちこちの地方貴族や有力な将兵たちから、彼女を『妻に迎えたい』だの『側室にほしい』だのという縁談の申し込みが、山のように殺到しているのです。そこで、これ以上の政治的な混乱を避けるために、一時的にカリーヌには『すでに婚約者がいる』ということにしたいのですわ」
ソフィアの言葉に、室内の全員の視線がカリーヌへと一斉に突き刺さった。
カリーヌは表面上、完璧に教育された可憐な侍女としてニコニコと美しい微笑みを浮かべている。だが、その頭の中は激しい怒りと愚痴で爆発しそうになっていた。
(冗談じゃないぞ……! おいソフィア!お前が人前では絶対にこの侍女の姿でいろって命令したんだろが! なんで俺がこんなに男どもから言い寄られなきゃならねえんだ!)
ソフィアは困り顔のまま話を続ける。
「皆様もご存知の通り、カリーヌさんは本来『男性』ですが、あまりにも美人で目立ちすぎます。それに、普段は陛下の護衛として寝室の奥にまでお一人で出入りされていますから、最近では市井や貴族の間で『あの上品な侍女は、実は若き陛下の愛人なのではないか』なんて変な噂まで立ってしまっていて…
「えっ」
その瞬間、作戦室の真ん中で、ハルトが鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
ハルトは頭を激しく振り、信じられないものを見る目で絶叫した。
「えええっ、じ、冗談ですよね!? カリーヌさんが、だ、男……っ!?」
ここまでカリーヌを「可憐で優秀な女性」だと完全に信じ込んでいたハルトの絶叫に、今までニコニコと張り付いた微笑を浮かべていたカリーヌが、ピキリと青筋を立てた。カリーヌはカモフラージュの裏声を捨て、地声の、最高に低く野太い『カシム』の男の声で吐き捨てた。
「……俺だってなぁ、好き好んでこんな格好してんじゃねえんだよ!」
「ぎゃあああっ!? 声が、声が男だーーーっ!!」
ハルトは腰を抜かさんばかりにのけ反り、さらに激しくパニックに陥っている。
その様子をスルーして、ソフィアは淡々と指を一本立てた。
「というわけですので、誰かを偽の婚約者に仕立て上げなければなりません。案は三つあります! まず一つ目、いっそのこと噂通りに『陛下の愛人、あるいは側室』ということにしてしまえば……」
「却下だ!!」
キィールが顔を真っ赤にして即座に叫んだ。自分の側室として収まる想像など、悪夢以外の何物でもない。
「あら、残念。では二つ目の案、カイル王の婚約者として……」
ソフィアがそう言った瞬間、カイル王の隣にいた娘のシオンが、顔を真っ赤に沸騰させて立ち上がった。
「却下!! 絶対に却下です!!」
シオンの猛烈な怒りと拒絶に、カイル王は苦笑いを浮かべるしかない。
ソフィアは大きなため息をついた。
「仕方ありませんね。では最後の案……サジィール様、あなたの婚約者ということにいたしますわ」
「は? ……おいおい、待て!」
今度の会議の為に地図を眺めていたサジィールが、突然の飛び火に慌てて顔を上げた。
「私には、生死不明とはいえ、命を懸けて愛した妻が一人いると言っただろう? そんな嘘に付き合えるか!」
その言葉に、事情を知っているキィールとソフィア以外の全員が
「は?」
と声を漏らし
(サジィール殿に妻が…)
(サジィール様に奥様が…)
と全員が思って居ると、ソフィアはそんな周囲の驚きを他所に、すまし顔で書類をトントンと揃え、その書類を見せながら。
「サジィール様に奥様がいらっしゃるのを知っているのは、今皆様も知りましたが、ここにいる仲間の間だけですから問題ありませんわ。それにね、サジィール様。あなたにも最近、あちこちから縁談が凄まじい勢いで来ているのですよ。見て下さい、この嘆願書を」
嘆願書を皆に見せながらソフィアは続ける。
「独り身なら私の娘を、側室でもいいから、挙句の果てには遠征の『一夜の夜伽』にだけでも娘を抱いてくれ、なんていう不届きなものまで!」
一同の視線が、今度は一斉にサジィールへと突き刺さった。
キィールが不思議そうに眉をひそめる。
「なぁソフィア、なんでサジィールにそんなに急に女が群がってるんだ?」
「ちょっと前まではね、筆頭女官であるこの私が、あたかも恋人であるかのようにわざと親密にサジィール様の身の回りのお世話をして、虫除けになっていたからですわ」
「「「いや、違うだろ!!」」」
皆が同時に心で叫んだ!
ソフィアのその勘違いした過剰な世話の焼き方は、周囲から見ればどう見ても「サジィールを狙う熱烈な女」にしか見えなかったのだ。
「ですが、私がスパルタカス様の熱烈な求愛に折れてしまって結婚したので、サジィール様がフリーになったと勘違いされてしまったのです」
ソフィアがそう言うと、一同は頭を抱えた。
「「「全く違う!!」」」
「え? 何か違いました?」
きょとんとするソフィアの横で、夫のスパルタカスだけが
「ははは」
恐縮ている。ソフィアはポンと手を叩いた。
「とにかく、丁度良いのですわ! カリーヌさんは『昔モーラ圏にいた頃、サジィール様を追いかけてディーラまでやってきた、一途で嫉妬深い婚約者』という設定にしましょう。そうすれば、サジィール様に群がる悪い虫も、カリーヌさんに群がる男どもも、一発で全員追い払うことができますわ! 皆様、いかがですか?」
「「「賛成!!!」」」
キィール、カイル王、シオン、そして正体を知ってようやく落ち着いたハルトたちが、一斉に拍手をして賛成の声を上げた。これほど完璧に双方の魔除けになる都合の良い嘘はない。
「いやいやいや! それは本気で困る! 私の立場はどうなるんだ!」
サジィールがこれまでにないほど必死な顔で慌てふためき、壁際のカシムも急に野太い男の声に戻って叫んだ。
「おいソフィア、俺は絶対に嫌だぞ! なんで俺がこんなおっさんの婚約者のフリをして、一途な女の演技までしなきゃならねえんだ!」
そんな二人の必死の抵抗を、ソフィアは女神のような完璧な微笑みで一蹴した。
「な~に、これも神聖イオン帝国の平和と、明後日の円滑のためですからね。お二人とも、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
サジィールとカシムが絶望的な表情で天を仰ぐなか、作戦室には、嵐の前の緊迫感を一瞬だけ忘れさせるような、仲間たちの温かい笑い声が響き渡るのだった。




