建国宣言
昼下がりの穏やかな勉強会が終わり、子供たちの賑やかな笑い声が遠のいた後のこと。
ディーラ国の会議室には、再び夜の帳と共に、肌を刺すような緊迫感が戻っていた。
「――皆様、ついにその時が来ました」
筆頭大臣のハルトが、机の上に一枚の大きな羊皮紙を広げた。そこには、新国家の誕生を大陸全土へ向けて知らしめるための、厳かな檄文が記されている。
「本国で宰相モーゼスが傀儡を立て、民を奴隷のように見下す腐敗した今の帝国は、すでに正統なる血の証明を失っている。今こそ、完璧な黒髪と黒目の持ち主であられるイオン十七世陛下のもと、真の正義と新法を掲げた新たな国を興すべきです」
ハルトの力強い言葉に、同席していたカイル王や、アレフ王達も深く頷いた。
侍女の容姿で壁際に佇むカシムも、その瞳に静かな覚悟を宿している。
キィールは、自らの手のひらを見つめていた。
(黒髪、黒目……。昼間、ソフィアは子供たちに、これが五百年前にこの大地に降り立った初代イオン様の濃い血の証拠だと言っていた。誰もが俺を本物の第一王子だと信じて疑わない。だが……本当の俺は、サジィールに担がれただけの、しがない小国の偽物の王子に過ぎないんだ)
その胸に渦巻く重い負い目を、キィールは誰にも悟られぬよう、静かに奥底へと押し込んだ。
(だが、もう引き返せない。俺が偽物のままであろうと、平和待っている無数の民がいる。モーゼスという巨悪を討つためなら、俺は完璧に本物の皇帝を演じ切ってみせる)
キィールは深く息を吸い込み、若き皇帝としての威
厳に満ちた声で、会議室の全員を見渡した。
「我が名はイオン十七世。本日、ここに旧き帝国の支配を拒絶し、すべての民が公平に生きられる新法を掲げた、新たなる国の建国を宣言する。国の名は――『神聖イオン帝国』だ」
『神聖イオン帝国』。
その高潔な名が作戦室に響き渡った瞬間、ハルトやカイル王たちの顔に、これからの激闘を見据えた熱い光が灯った。
翌日
キィールは若き皇帝としての完璧な威厳を身に纏い、一歩を踏み出した。
ハルト、サジィール、カイル王、その後ろでリンに引っ張られたサーシャたちを従え、キィールは城のバルコニーへと姿を現した。
その瞬間、広場を埋め尽くしていた数万の民の視線が一斉にキィールへと集中した。
太陽の光を浴びて輝く、この世界では極めて珍しい、正統なる血の証拠である『完璧な黒髪と黒目』。
「おおお……っ! 本物のイオン十七世陛下だ!」
「陛下! 私たちをお救いください!」
地を揺るがすような、先ほどを遥かに凌ぐ爆発的な大歓声と拍手が沸き起こった。
泣きながら祈りを捧げる老人の姿や、親に肩車されて手を振る子供たちの姿が、キィールの瞳に眩しく映る。
掲げられた若き皇帝の右手に呼応するように、地鳴りのようだった大歓声が、波が引くように静まり返っていった。
数万の民の、熱を帯びた視線がバルコニーのキィールへと注がれる。
キィールは喉の震えを抑え、広場の隅々にまで届くような、どこまでも澄んだ、しかし力強い声で語り掛けた。
「我が神聖イオン帝国の民よ。今日、この地に集まってくれた皆の姿を見て、私は胸が震えている。そして、私の後ろを見てほしい。平和を掲げて立ち上がった我が国には、私には勿体ないほどの、あまりにも優秀で、信頼に足る最高の仲間たちが揃ってくれた」
キィールが振り返り、サジィールやハルト、カイル王たちを指し示すと、民衆から大きな歓声が上がった。キィールは再び前を見据え、その黒い瞳を鋭く光らせる。
「だが、私たちが望む平和は、ただ待っているだけでは訪れない。本国で民を奴隷のように扱い、私欲のためにこの大地を貪る宰相モーゼス。そして、自らの嘘を隠すために旧き悪に魂を売った、北部の味方する者ども。彼らは今、私たちの新法を、皆の笑顔を恐れ、その軍勢を動かそうとしている!」
群衆の間に、緊張した静寂が走った。キィールはバルコニーの手すりを強く握りしめ、さらに声を張り上げる。
「私はこれより、モーゼスやそれに味方する者どもを一人残らず討ち果たす! 旧き帝国の悪弊を打ち砕き、モーラを、そしてデルモラードの地を一つに統一してみせる。身分も肌の色も関係ない、誰もが怯えることなく、安心して明日を迎えられる、そんな本当の国をこの大地に創り上げるのだ!」
その宣言に、庶民たちの目が一斉に輝きを帯びた。
「その為に! 私は皇帝として城の奥に隠れるつもりはない。私もまた、ここにいるかけがえのない仲間たちとともに、皆の未来を守るために、剣を執って最前線で戦うつもりだ! 私に、皆の力を貸してほしい。私たちの手で、新しい時代を創り出すのだ!」
キィールの熱い言葉が終わった瞬間、一瞬の静寂を置き、広場は爆発したかのような割れんばかりの拍手と、絶叫に近い大歓声に包まれた。
「陛下万歳! 神聖イオン帝国万歳!」
と、涙を流しながら叫ぶ民たちの声が、中原の空へとどこまでも高く響き渡っていく。
サジィールは、その歓声の渦のなかで、キィールの堂々たる背中を静かに見つめていた。
(見事です陛下、貴方はただの担ぎ上げられた偽物なんかじゃない。数万の民の命を背負う、本物の皇帝だ、だが戦闘にでるのは…)
イオン皇帝直系の血を引く若き王の、大陸統一へ向けた大いなる進軍が、いま始まったのだった。
だが、彼らはまだ知らなかった。
この建国の報せが大陸を駆け巡ることが、本国のモーゼスをどれほど恐怖させ、そして北方のデモン国で、ジュリアス将軍率いる黒眸騎士団や、大国サンタスから絞り出された九千の兵を含む、総勢五万という絶望的な大軍勢の牙を剥かせることになるのかを。
それでも、本物の血を引いているという宿命を誰信じて、若き皇帝とそして『神聖イオン帝国』の戦士たちは、世界をひっくり返すための第一歩を、力強く踏み出すのだった。




