カリアの気持ち
他の王たちが退室し、静まり返ったデモン国の謁見の間に、デモノ王はルシドの妃であり自らの忠実な密偵であるカリアを呼び出していた。
カリアはルシドの前で見せる貞淑な妃の顔を消し、冷徹で美しい人形のような佇まいで、醜いデモノ王の前に跪いている。
「カリアよ。サンタス王ルシドの様子はどうだ」
デモノ王が低く、濁った声で問いかける。
「はい、お父様。ルシド様は完全に私の手の内にございます。北部同盟の補給線として、サンタスの豊かな実りと広大な土地は、すべてお父様のために機能いたしましょう」
カリアは一切の迷いなく、滑らかな声で答えた。
その姿を見下ろしながら、デモノ王は醜い顔を歪めて、内心でほくそ笑んでいた。
(ふん、やはりワシの言うことは絶対だな……。どれほど上手く使おうと、所詮女という生き物は男の見た目しか見ん。ワシのような悍ましく醜い容姿では、まともな方法で絶対に服従させることなど不可能なのだ。だが……やはりあの洗脳術は素晴らしい。これさえあれば、どれほど美しい女であっても、ワシの完璧な忠犬に作り変えることができる)
デモノ王は、カリアが術によって心を縛られた哀れな操り人形だと確信していた。
だが――デモノ王は夢にも知らなかった。カリアの頭の中に今、その洗脳術を施された日のみずみずしい記憶が、鮮明な回想となって蘇っていることを。
数年前、デモン国の地下室。
カリアの前に立っていたのは、アース教から送り込まれてきた一人の神官だった。その神官は極めて高い能力を持っていたが、上の人間を小馬鹿にする不真面目な性格が災いし、中央からこの最果ての辺境の汚い仕事へと飛ばされてきた男だった。
「さあ、お嬢ちゃん。今からデモノ様への絶対服従を叩き込む洗脳術の準備を始めようか」
神官はニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、カリアに近づいた。この男は、洗脳を始める前に、これから女に施す恐ろしい真実をわざわざ話して怯えさせるという、悪趣味な性癖を持っていた。
怯える女の顔を見るのが大好きなのだ。
どうせ術をかければ記憶など消えるのだから、何を言っても問題ないという傲慢さがあった。
「いいかい? この術をかけられたら、お前はもう二度とデモノに逆らえなくなる。あの醜い男に、身体をどんな風に弄ばれても、どんな残酷な命令をされても、ヨダレを垂らして喜んで従うだけの人形になるんだ。噂じゃあ、あの王様は女を拷問して殺すのが趣味らしいからな。今から自分がどんな目に遭うか、想像するだけで恐ろしいだろう?」
神官はカリアが恐怖に涙を流し、許しを乞う姿を期待して顔を覗き込んだ。
だが、返ってきたのは全く予想外の反応だった。
カリアは恐怖に震えるどころか、ぽっと両頬を林檎のように赤らめ、胸の前で細い手をぎゅっと握りしめたのだ。
「……デモノ様の仰ることなら、私は何をされても構いません」
「は?」
神官のニヤついた顔が、一瞬で凍りついた。
「おいおい、何を言ってるんだ? 命を助けられたお礼のつもりか? それとも恐怖のあまり頭が狂ったか?お嬢さん、目は大丈夫か?あの顔隠してるが、早い話、人には見せられ無い顔だからだぞ!噂じゃ化け物だとか…」
「いいえ。私はただ……デモノ様を、心から尊敬しいるだけです。それに見た目で好き嫌いが決まる物ではありませんわ!」
カリアはさらに顔を赤くして、恥ずかしそうに視線を伏せた。
その純粋で、どこか狂気を孕んだ無垢な瞳を見た瞬間、神官の悪趣味なサディズムは完全に消え失せ、むしろドン引きして背筋に冷たいものを感じていた。
どう調べても、この娘の言葉に嘘偽りはなかった。洗脳するまでもなく、この美しい少女は、あの世界一醜い怪物に本気で惚れ抜いていたのだ。
神官は大きなため息をつくと、髪をガリガリと掻きむしった。
「は?こんな麗しい美女に、見た目が関係無いと言われてもな…全然説得力はないが…」
「チェッ!…洗脳術は辞めだ、辞め!」
「えっ? よろしいのですか?」
不思議そうに見上げるカリアに、神官は手をひらひらと振って鼻を鳴らした。
「辞めた辞めた。こんな頭のおかしい女にわざわざ術をかけるなんて、無駄の極みだ。それに……術のかかっていない生身の女が、あの怪物相手にどこまでその気持ちを貫き通せるのか、その真意を個人的に見たくなったからな。だが、お嬢ちゃん」
神官は少し真面目な顔になって、カリアの肩を叩いた。
「デモノの前では、完璧に洗脳術に掛かっているフリをしろよ? なに、あいつの言うことに全部『はい、わかりました』って絶対服従してりゃいいだけだ。お前なら術なんてなくても余裕だろう?」
「はい。ありがとうございます、神官様」
カリアは嬉しそうに満面の笑みを浮かべたのだった。
カリアとデモノが出会ったのは、5年前、敵の兵士が屋敷を襲った時だった。
カリアは、両親姉妹達と離れ離れになってしまった。
悲鳴と炎が包む屋敷の真ん中で、カリアの美貌に目をつけた一人の兵士が、ギラギラとした下劣な目を向けて笑った。
「おい、この女、とんでもねえ上玉だぞ! 抱えるにゃあ丁度いい!」
薄汚い手が伸びてきた瞬間、カリアは激しい嫌悪のまま、その男の手首に思い切り歯を立てて噛みついた。
「がぁっ!? このアマ、噛みつきやがったな!」
激昂した兵士が、血の滲む手首を振り払いながら剣を引き抜く。
「この野郎、ナメた真似しやがって! 細切れにしてやる!」
凶刃が幼いカリアの脳天めがけて振り下ろされた、まさにその瞬間だった。
ガキィンッ! と、肉が断たれる鈍い音が響いた。
カリアの目の前で、彼女を殺そうとした盗賊の身体が、一瞬で真っ二つに叩き斬られて左右に崩れ落ちた。
返り血がカリアの白い頬を真っ赤に染める。そこに立っていたのは、デモノ王が付き従わせている屈強な側近の男だった。
恐怖に身をすくめるカリアの前に、ゆっくりと歩み寄ってきた影があった。
この国を屋敷を襲わせた男、デモノ王である。
デモノ王は、血の海の真ん中で自分を強い目で見上げてくる少女を一瞥した。
その醜い顔には、世間の男たちのような下劣な欲望や、カリアをちやほやするような甘さは少しもなかった。
ただ、その美貌と、盗賊に噛みつくほどの激しい気性が、将来他国を裏から嵌めるための「上質な道具」として使えるという、純粋な打算の目だけがあった。
デモノ王は傲然とカリアを見下ろしたまま、側近に向けて短く、ただ一言だけ命じた。
「連れてこい」
その徹底して冷酷な、しかし自分をただの女として弄ぶのではなく、一人の有能な『道具』として価値を定めてくれたその言葉を聞いた瞬間、幼いカリアの胸を突き抜けたのは、人生で初めて味わう圧倒的な感謝と安堵だった。
(ああ!この人の目には嫌らしい感じがしない)
デモノ王が守ってくれた。
(お父様……。あなたがご自身の容姿を呪い、誰も自分を愛さないと絶望しているのを、私は知っています。だから、あなたが洗脳の力だと信じて疑わないこの私の絶対の服従が……実は、私の心からの、世界で唯一つの純粋な愛なのだということ、あなたは死ぬまで知ることはないのでしょうね)
過去の記憶から覚めたカリアは、玉座に座るデモノ王に向けて、完璧な人形の微笑みを浮かべた。
愛ゆえに、完璧な人形としてサンタス国を裏から貪り喰う女。デモノ王はその情愛の深さに気づかぬまま、自らの支配に酔いしれ、カリアへ向けて次の密命を下すのだった。




