リーベの決意とニーベとフェル
「……イオン陛下。指導者様は、さらにこう仰せです」
ラトラスは作戦室を見渡し、いま皆と共にこの場に座り、宰相モーゼスとの決戦を前にしている若き皇帝キィール(イオン17世)に対して深く首を垂れ、リーベの言葉を厳かに紡いだ。
「『先日、イオン陛下――あなたが“連座制を廃止する”と宣言されたのを、私は密かに聞き及んでおりました。身内の犯した罪で、血の繋がっただけのことで一族郎党、家族までをも巻き込み、憎しみの連鎖を生む連座制こそが、この世界の諸悪の根源である……と。そのお言葉を耳にした瞬間、私の胸は震えました』」
サジィールをはじめ、カイル王やスパルタカス夫妻らが見守る中、作戦室の空気がリーベの温かな思念の残響によって、にわかに熱を帯びる。
「『帝国を我が物顔で支配する宰相モーゼスの暴挙を止めるべく、命を懸けて玉座に立つ若き皇帝。そのお身体に宿る、神の教えと全く同じ、深い慈悲と真理の心。それをお持ちのあなたこそが、私たちにとって手を取れる相手です。私たちは命を賭してでも協力できる。いや、共に手を取り合って未来へ歩むべきだと、確信いたしました』……と」
「指導者様が、私の、あの言葉を……」
その瞬間、イオン17世として完璧に成り切っていたキィールの背筋に、人知れず冷たい戦慄が走った。
(……まさか。この『北の指導者』には、私のすべてが見透かされているのか……!?)
あまりにも己の本質を突き、魂を肯定してくるリーベの神託に、キィールは自分が偽物の王子であることまでバレてしまったのではないかという強烈な不安と焦燥感に襲われていた。隣に座るサジィールもまた、仮面の下で一瞬、息を呑んで硬直する。
――だが、それはキィールの杞憂に過ぎなかった。
リーベとて、目の前の若き皇帝が「偽物」だとは夢にも思っていない。ただ純粋に、彼を本物のイオン17世だと信じ込んでいる。
なぜなら、目の前のキィールには、この世界では極めて稀な、本物の第一王子と寸分違わぬ『漆黒の髪』と『黒い瞳』が備わっていたからだ。中原広しといえど、髪まで混じり気のない純黒の人間など、滅多に存在するはずがない。その奇跡的な容姿こそが、何者も疑い得ない「本物の証明」として機能していた。
リーベの無垢な信頼の視線を受け止め、キィールは内心の動揺を完璧な皇帝の微笑の裏へと押し隠した。そして、力強く顔を上げ、肩の上のリーベ、私的な同志であるラトラスらを真っ直ぐに見据える。
「ありがたい……。私がイオン17世として、国を惑わす宰相モーゼスを討ち、教団の闇を晴らすと誓ったその理想。それを伝説の指導者様にそう言って頂けるとは、これ以上の救いはありません。我が想いは、決して間違っていなかった。あなた方のその信頼に、私は全霊を賭けて応えてみせましょう!」
フェルは、キィールの言葉を静かに聞きながら、己の片割れであるリーベをじっと見つめている。
リーベの心にが、過酷な宿命の中でも光を失わないキィールの「慈悲」と、目の前のフェルという「存在」によって、いま静かに満たされようとしていた。
張り詰めた沈黙を破り、カイル王が
「話は分かった。先ずは座って話そう」
実のところ、リーベは今、目の前のフェルが嫌いで嫌いで仕方がなかった。
アトンに蘇生されてからの5年間、ラトラスたちから「神の奇跡で女性の声を持たれた高貴な女神様」と崇められ、本人もすっかりその気になって静観を決め込んでいたのだ。
それなのに、先ほどこの黒いフェルと精神波が触れ合った瞬間、アトンの遺産であるフェルから、
「は?女神?意味わからん。お前、アトン様がボクとつがわせるために実験で作った、ただの『メス』じゃん」
という身も蓋もない真実を強制的に脳内に流し込まれ、自覚させられてしまったのである。
(私は女神なんかじゃない……ただの、こいつの『メス』として作くられただけだったの……!?)
あまりの気恥ずかしさとズタズタにされたプライドが、猛烈な怒りとなってフェルへと
と促し、一同は作戦室の大きな円卓を囲んで腰を下ろした。
それを見たリンの腕の中のフェルも、負けじとテーブルの上へと飛び乗った。
緊迫した作戦会議が始まる――誰もがそう身構えた瞬間、ニーベが先に思念をフェルにぶつけた。
そもそも、ニーベは自分が女神になったと思っていたので、メスだったと認めることになるフェルに熾烈な言葉を浴びる。
『なによその姿、真っ黒じゃない。もしかして汚れを隠すためにそんな色してるの?』
リーベがツンと鼻を鳴らして先制攻撃を仕掛ける。
『はぁ!? ボクのこの漆黒の毛並みはアトン様から授かった最高の結晶なんだよ! 白い色無しの分際で生意気言うな!』
『白い色無し分際ですって? 私はずっと前からこの部族を導いてきたの! 私の方がずうっと年上なんだから、言葉に気を付けてよ!』
仁王立ちで威嚇するリーベに、フェルは琥珀色の瞳をギラリと光らせ、脳内でニヤリと勝ち誇った。
『年上ェ? ただのババアかよ。……いや待てよ。お前、5年前にアトン様の手で再生されたんだよな?』
『そうだけど、それが何よ!』
『だったら、5年前に生まれたってことじゃん! ボクの方がそれより前に生まれてるから、ボクの方が年上だ! やったぜ!』
フェルが尻尾をブンブン振って大喜びする。
『バカ言ってんじゃないよ! 私は肉体が変わっても、昔の記憶も全部そのまま覚えてるの! だから私が年上!』
『記憶があろうが肉体は5歳だろ! 結局中身はババアじゃねえか!』
『誰がババアよ、この泥団子!!』
テーブルの上で、白いテンと黒い植物獣が「シャーッ!」と威嚇し合い、今にも取っ組み合いを始めそうなほど、しょうもないギャハギャハとした騒ぎを起こしている。
当然、精神波を感知できないキィールやカイル王たち人間側には、二匹が凄まじい緊迫感で睨み合っているようにしか見えない。ただならぬ空気を感じ取ったキィールが、思わず生唾を呑んでラトラスに尋ねた。
「……ラトラス、どうしました? あのように激しく睨み合っておられますが……」
すると、ラトラスは仮面の奥の目をすっと細め、極めて真面目なトーンで代弁した。
「……は。指導者様曰く、非常に大事な局面において、どうしても意見が合わないところがある……とのことです」
「「「成る程……」」」
キィール、カイル王、スパルタカス夫妻ら一同は、深く、神妙に頷いた。
世界を揺るがす真理教団の打倒に向け、魔族の最高意志決定機関同士が、高次元な戦術論争を繰り広げているのだと、完全に信じ切ったのだ。
『ババア!』『ドロ団子!』と相変わらず足元でギャーギャーと騒ぎ続けている二匹を、ラトラスは完全に無視して、キィールたちへと向き直る。
「では陛下、御二方の議論は長引きそうですので、我々だけで先に話を詰めましょう。モーゼス宰相の動きですが――」
人間たちの本気の作戦会議が、二匹のくだらない痴話喧嘩を置いといて始まった。




