使者の正体
深夜の静まり返った室内で。
「私に語るのならば、私のすべてであるこの者たちの前で、堂々と語ってくれ」
というキィールの揺るぎない言葉が、室内の空気を心地よく震わせていた。
仮面族の使者ラトラスは、仮面の奥でしばらくの間、じっと沈黙を守っていた。
ラトラスは小さく、深く息を吸い込んだ。
「……分かりました」
ラトラスは厳重に包まれた両手をゆっくりと顔へと伸ばした。
カチリ、と衣服の紐が解かれる音が響く。サジィールやカイル王が思わず身構える中、ラトラスはその百五十センチの小さな身体の正面で、独自の紋様が刻まれた木製の仮面を、静かに、完全に外した。
「――っ!?」
最初に向かい合ったキィールの息が止まった。
仮面の裏から現れたのは、中原の人間(モーラ人)とも、デルモラードの民とも明らかに違う、淡く、青々とした木々の若葉を思わせる『薄緑色の肌』だった。
解き放たれたその顔立ちは、男女の性別を完全に超越した、この世の物とは思えないほどに均整の取れた、息を呑むような圧倒的な『麗人』の素顔であった。
「ま……魔族……っ!!」
古代の知識を持つリンが、驚愕のあまりその黒い瞳を限界まで見開き、声を震わせた。
リンの腕の中で、黒猫フェルが、すべてを分かっていたように琥珀色の瞳を怪しく光らせる。
「な、何だって……!?」
「これが……古の伝承に聞く、魔族だと……!?」
サジィール、ゾイル、そして歴戦の雄であるカイル王すらもが、椅子を蹴り立てるようにして立ち上がり、驚愕の表情でラトラスの素顔を凝視した。
この世界の人類にとって、魔族とは不気味な歴史の影として噂に聞いてはいるものの、実物を見た者は誰もいない、拒絶と畏怖の象徴だったからだ。
真理教団の暗殺者として過酷な死線を潜り抜けてきたカシムでさえ知らなかった。
ラトラスは人間たちの剥き出しの驚愕と恐怖の視線を、その美しい麗人の瞳で静かに受け止めながら、外した仮面を胸に抱き、キィールたちに向けて深く、厳かに一礼した。
「驚かれるのも無理はございません。我らは人間とは違う肌を持ち、人間のように男女の性別も持たぬ存在。それゆえに、ひとたび素顔を晒せば悪魔と罵られ、容赦なき迫害と虐殺を受けてきた歴史がございます。……です陛下、本当に恐ろしいのは、あの組織です」
ラトラスの声が、一瞬にして冷徹な響きを帯びた。
「あなた方の世界で、金を積めばどんな汚い暗殺も工作も請け負うという『真理教団』……あの組織の団員は、確かにあなた方と同じ人間です。
しかし、その組織を作り、部下の人間に命令を下し、……その正体こそが、私達と同じなのです」
続けてラトラスが話す
ラトラスの口から放たれた話に一番驚いているのがカシムのだった。未だかつてないほどの激しい戦慄が駆け巡った。
(教団を作ったのかが魔族、だと……?)
仮面の裏で、カシムの黒い瞳が限界まで見開かれる。
拾われてから教団の施設で過酷な死線を潜り抜け、感情を殺して命令のままに標的を屠る暗殺者として育て上げられてきた。
だが、自分がこれまで無数の血を流してきた組織のトップが、人間ですらなかったというのか。
ラトラスが語られる真実をカシムも聞く。
人間同士に捏造した手紙を送り、暗殺を仕掛け、憎しみ合わせて永久に争わせて、金を儲ける組織。
その目的が、神から愛された人間を憎み、自分たちより知能の低い生き物と見做し、人間の手で人間を争わせて殺し合い、そこから大金を得ている。
カシムの胸の奥から、どす黒い怒りと、言葉を失うほどの強烈な自己嫌悪がせり上がってくる。
(俺たちは……ただの同族を共食いさせるための『猟犬』に過ぎなかったのか……!)
さらに、カシムを肉体的に、そして精神的に縛り付けていた最大の絶望――あの切れると悶絶して死ぬ薬の真実が、ここで最悪の形で噛み合った。
自分たち人間にそれを飲ませ、定期的に与えなければ狂い死ぬように仕向けていたのも、すべては魔族どもが、操り人形である人間で人間を殺すと言う復讐だと言うのだ。
カシムは曲刀の柄を握る手を、骨がきしむほどに固く握りしめ、あまりの衝撃に身体の震えを止めることができなかった。
「我らには、あなた方のように男女の愛によって子を成す術がございません、ですから中々子孫を残せ無いのです。本来なら復讐をして、人間に取って代わりたいと思っていたのでしょうが、我々は子孫を残すのが困難なのです」
ラトラスは自身の薄緑色の腕を静かに見つめ、その切実な生存戦略のログを淡々と語り継ぐ。
「一族を増やすには、自らの身体の一部を切り分け、古代の遺物に頼るしかないのです。ですが、その設備はもう僅かしか残されていない。我らが種族として繁栄するためには、神に頼るしか無かった、だが彼等は自分達でやろうとして、人間を利用して資金を稼いでいるのです。ですが我等は繁栄とかに興味無く静かに暮らしていたので、デルモラードで密かに暮らして居ました」
ラトラスの話してると、
リンの腕の中でずっと静観していた漆黒のフェルが、カチリと琥珀色の瞳を光らせ、ラトラスへ向けて直接、脳内の思念をぶつけた。
『――おい。お前たち、狂った同胞とは違って、ずいぶんと殊勝な正義を持ってるじゃないか』
「……っ!?」
ラトラスの身体が、目に見えて大きく戦慄した。
仮面の奥の麗人の顔が、驚愕のあまり完全に強張る。
なぜなら、脳内に直接届いたその思念波は、人間には決して真似のできない、自分たちアスト族と同じ純度の高い精神波だったからだ。それだけではない。その思念の格、放たれる圧倒的な気配に、ラトラスは本能的な戦慄を覚えていた。
『も、もしかして……我が一族を導く指導者様!そんなはずは……!?』
驚きのあまり、ラトラスは思念を返す。すると、フェルは呆れたように片目を細めた。
『は? 指導者? 意味わからん。ボクはある偉大な御方から、このリンを守れと直々に命じられてここにいるだけなのだがな』
『そう……ですか。ならば、あなた様は一体……』
激しく困惑するラトラスだったが、すぐに何かを確信したように麗しい瞳を輝かせた。
『ならば、あなた様にお会いしていただきたい御方がおられます。我が北部の魔族を真に統べる、本物の「指導者様」に。今、この場で』
『ここでか? 』
フェルが怪訝そうに問うた、まさにその時だった。
ラトラスが厳重に紐で縛っていた衣服の胸元が、内側からモゾモゾと不自然に蠢いた。
キィール、サジィール、カイル王、サーシャ、リン、エレナそしてスパルタカスやソフィアたちが
「なんだ……!?」
と固唾を呑んで見守る中、その隙間から、ひょろひょろと一匹の白く細長い(テンに似てる)美しい小動物が姿を現したのだ。
その白い小動物は、しなやかな動作でラトラスの肩の上へと駆け上がると、ちょこんと座り、その透き通った瞳で真っ直ぐにリンの腕の中のフェルを見つめた。
キィールたち人間側はもちろん、フェル自身も
「は……?」
と声を漏らす。
その瞬間、その白い動物から、フェルの脳内へと直接、凛とした美しい思念波が投げかけられた。
『――はじめまして、黒き同胞よ。私の名はリーベ』
その脳裏に響いた思念波の響きに、フェルは文字通り、全身の毛を逆立てて硬直した。
なぜなら、本来は性別など存在せず、中性的な声しか持たないはずのアスト族(魔族)であるにもかかわらず、その白い生き物から放たれた思念は、あまりにも気高く、明確な女性らしい声を帯びていたからだ
この生き物こそが、神の手伝いをさせるために、アスト族を指導する存在として作られた指導者だった。
彼女は長い歴史の果てに、一度は完全に寿命を迎えて死にかけていたのだ。
しかし、五年前、神の使い(アトン)の手によって再び蘇生され、息を吹き返した。
ラトラスたちの見解では、それは神の奇跡によって
女性らしい声を持つ偉大なる指導者として生まれ変わった、ということだった。
だが、アトンの遺産であるフェルだけは、その思念の波形に触れた瞬間、すべての裏の真実を瞬時に理解していた。
アトンは、男女の区別のないアスト族に対し、
「もし彼らに男女という性別を与えたら、古代の設備に頼らずとも、普通の生き物と同じように愛し合い、自然に子孫を残せるのではないか」
という、過酷な絶滅の運命から種族を救うための実験を裏で試みていたのだ。
だが、当時のアトンには時間が無く、その時は彼女蘇らせることしかできなかった。
だからこそ――のちにアトンが全ての技術の結晶として、リンの相棒として創り出したこのフェルという個体だけは、アスト族の長い歴史の中で唯一無二の「オス」という性別を与えられて生まれてきたのだ。
『お前……、……俺と同じ、「性別」を持たされているのか……!?』
フェルは琥珀色の瞳を限界まで見開き、思念のなかで激しく絶叫した。
そして、北部の仮面族が、真理教団の闇を裏からひっくり返すための最も重要な者を携えてここに合流した。




