仮面の使者
城内が、カイル王とシオン姫将軍の「婚約」という未来の光に沸き立ち、連合軍の結束が最高潮に達したその日の午後。
作戦会議室の重厚な大扉を叩く、緊迫した足音が響いた。
「報告いたします! 北部五大部族より、『使者』が今、城内へと到着いたしました!」
サジィールの「通せ」という鋭い声と共に、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
キィールは皇帝としての圧倒的な沈黙を保ち、カイル王やアレフ王、シオン、サーシャ、リン、エレナ、サジィール、ゾイル、大臣、将官らが見守る中、大扉がゆっくりと左右に開け放たれた。
入ってきたのは、一人の奇妙な体躯の人物だった。
その者は、頭の先からつま先まで、分厚い防砂の衣服で一切の隙間なく全身を覆い隠している。顔には、独自の紋様が刻まれた、異質な威圧感を放つ木製の仮面が深く被せられていた。
背の高さは正確に百五十センチ。大人の男たちの中に交じるとひときわ小柄で、男女の性別を感じさせない、極めて華奢で中性的なシルエットを描いている。
他の四部族の戦士たちから、素顔を決して見せない独自の文化を持つがゆえに『仮面族』と称される、北部の代表――名は、ラトラス
サジィールやゾイルといった目の肥えた大人の臣下たちは、その名を聞いた瞬間、仮面の奥に潜む「人間とは根本的に何かが違う」という異質な違和感を肌で察知し、僅かに目を細める。
「北部五大部族が総代として参りましたラトラスと申すします。イオン陛下、皆様。お初にお目にかかります」
仮面の奥から響いたのは、鈴の音のように澄んでいながら、どこか大自然の静寂を思わせる、麗しき中性的な声だった。
使者ラトラスが一歩前へ踏み出し、恭しく一礼する。衣服の袖口や首元は、これ以上ないほど厳重に紐で縛られていた。
実は、彼ら『仮面族』の者は全員が全く同じ百五十センチの背の高さで不気味な仮面の殻を被り続けている。
壁際に佇むカシムだけは、昨夜飲んだ本物の秘薬によって劇的に跳ね上がった自身の超感覚で、ラトラスから漂う、どこか異質な生命の匂いを敏感に捉え、仮面の裏で息を呑んでいた。
謁見の間で臣下が揃った張り詰めた空気の中、上座に座る若き主キィールは、仮面の奥から低く、しかし驚くほどに深く通る声を響かせた。
「よくぞ、遥々やって来られた今日の所は、長旅の疲れもあろう。まずはゆっくりと休まれるが良い。」
キィールはそれ以上は何も言わない。
変に賢ぶって話す様な真似はしない。
ただ、使者を労い、あえて何も語らない。
仮面の使者ラトラスは僅かに身を硬くし、もう一度深く一礼して退室していった。
――そして、その夜。
城内が寝静まった深夜、秘密室には、いつもの信頼に足る限られたメンバーだけが再び集まっていた。
キィール、サジィール、ゾイル、カイル王、そして腕にフェルを抱いたリン、サーシャ、エレナ。
壁際の闇には、昼間の使者の匂いに不気味な違和感を抱き続けているカシムが、音もなく佇んでいる。
昼間の敵の出方をどう突き崩すか、ハルトの情報を交えて額を突き合わせようとした、
まさにその時。
部屋の裏扉が静かに開き、衣服を厳重にまとった百五十センチの小柄な影――ラトラスが、誰の案内を受けることもなく、音もなく闇から滑り込んできた。
「……夜分に無礼にもお伺いしたことをお許しください」
仮面の奥から響いたのは、昼間の冷徹なものとは違う、どこか張り詰めた、しかし率直な響きを帯びた中性的な声だった。
ラトラスはキィールたちの前に立つと、仮面の奥の視線を巡らせ、昼間は語らなかった「北部の本当の事情」を静かに吐露し始めた。
「実は……我が北部五大部族は、今、岐路に立たされている。我らは元より、どちらの陣営にも属さぬ中立を保つ腹積もりであった。だが、北の諸国連合から我が連合に参加せぬのなら、貴様らを敵と見なし、即座に大軍を以て攻め滅ぼすと激しい脅迫を受けたのです」
ラトラスの言葉に、サジィールやゾイルが僅かに眉をひそめる。
「五大部族の内部では、今や意見が完全に二つに割れている。生き延びるために同盟に下るべきか、それとも拒むべきか。すでに2部族は、人質を取られ同盟に参加してます。その様な同盟に参加するのは良しとせず、私は、貴方方が頼りになるのか、この目で確かめに来たと言う所です」
ラトラスはそこまで一気に語ると、厳重に衣服で包まれた胸元に手を当て、上座のキィールを真っ直ぐに見据えた。
「陛下。ここから先は、我が一族の存亡に関わる、極めて折り入った話にございます。どうか……人払いを」
ラトラスの願いに、部屋の空気が張り詰めた。
サジィールたちがいつでも剣を抜けるよう身構え、壁際のカシムの目が鋭く光る。ラトラスの全身からは、昼間よりもさらに強く、青々とした花の蕾のような、人間とは根本的に異なる異質な生命の匂いが放たれていた。
しかし、キィールは椅子から立ち上がることすらなく、仮面の奥から、どこまでも穏やかで、しかし絶対的な信頼に満ちた声を響かせた。
「すまない、ラトラス。人払いはできん」
ラトラスが仮面の奥で息を呑むのが分かった。キィールは部屋の仲間たちをゆっくりと見渡しながら、言葉を繋ぐ。
「ここに居るのは、私が最も信頼する、私の命そのものとも言える仲間たちだ。サジィールも、ゾイルも、カイル王も、リン、サーシャ、エレナ、カシムも……誰一人として、そなたとの話しを外へ漏らすような者はいない。ダメだと言うなら、このまま帰って貰おう」
その言葉は、臣下たちの胸を熱く貫くと同時に、ラトラスの仮面の奥の心を強烈に揺さぶった。
若き皇帝の、一切の疑いのない圧倒的な抱擁力と器量。
リンの腕の中で、黒猫フェルが琥珀色の瞳を怪しく光らせる。
仮面の使者ラトラスは、この部屋を満たす異様なほどの信頼の熱量に圧倒されながら、ついに、世界の真実へと繋がる、一族の最も昏い秘密の扉を開こうとしていた。




