アレフ王の暴走
「……ちょっと、聞いた? カイル陛下が、サウザーのシオン様の部屋から朝帰りされたんですって……」
「ええっ!? じゃあ、あの二人は夜通し……」
朝の廊下を、エレナに連れられていた侍女が早足で歩きながら、別の女官へ声を潜めて伝えていた。
最初は「もしかして……」というエレナと侍女の早とちりから始まった小さな疑問の火種だった。
しかし、城内の女官やサウザーの兵たちの口を経由していくうちに、それは
「絶対にカイル王がシオン様に手を出したのよ」
という、動かしようのない決定的な事実へと瞬く間に形を変えていったのだ。
そして――その不名誉極まりない凶報は、誰よりも早く、サウザー国の最高権力者へと届けられることになった。
「――な、なんだと!!?」
朝の爽やかなディラー城に、一国の覇王のものとは思えない、地を揺るがすような絶叫が響き渡った。
キィール、リン、サーシャ、エレナの四人が、ちょうどこれからの対応をどうするかと話し合っていたキィールの私室。その重厚な扉が、凄まじい勢いで蹴り破られた。
「あ、あのカイルの野郎が……ワシの、ワシの娘を!?」
現れたサウザー国王アレフは、威風堂々とした普段の面影など塵一つ残っておらず、目玉が飛び出さんばかりに顔を真っ赤にして激昂していた。
シオンは亡き兄エドワの遺志を継ぐために、毎日重い甲冑に身を包み、必死に『姫将軍』として虚勢を張って頑張ってきたのだ。
父親であるアレフは、その健気な姿を誰よりも愛おしく思い、裏では涙が出るほどに溺愛していた。
それなのに、ディラーに到着したその夜に、よりによって自分が一番嫌いなバカのカイルに夜這いをかけられた(※ただの特大の誤解である)という噂を耳にしたのだ。アレフ王の背後には、メラメラと地獄の業火のような怒りの炎が立ち上っている。
「カイルの奴め、いつの間にワシのシオンをそこまで……! 許さん、絶対に許さんぞ! 今すぐあの野郎をサウザーの全軍で叩き潰してやるッ!!」
親馬鹿の権化と化したアレフ王が激しく床を踏み鳴らし、今にも剣を抜いてカイルの部屋へ殴り込もうとする。
「落ち着いてください、アレフ王」
キィールは皇帝としての至高の『沈黙の重み』を体現するように、至って冷静な、しかし有無を言わせぬ凛とした声でアレフ王を制した。
「気持ちは分かるが、事を公にすればサウザーとディラーの同盟は瓦解する。今、僕たちの前にはモーゼス率いるイオン帝国の精鋭三千が迫っているんだ。私怨で動けば、それこそ奴らの思う壺だよ」
「う、ぐ……っ、皇帝陛下……っ」
昨夜キィールが獲得した『本物の皇帝の風格』に圧され、アレフ王はギリ、と歯噛みして足を止める。
「だからこそ、国婚だ」
キィールは大真面目な顔で言葉を繋いだ。
「カイル王に責任を取らせ、シオン殿を正妃として娶らせる。これならば両国の面目は立ち、血の同盟となってモーゼスを完璧に迎え撃つことができる。新国家の皇帝として、僕がその婚儀を認めよう。……これ以上の策は無いと思うが、どうだろうか?」
「カイルに……ワシのシオンを、嫁に……」
アレフ王は激しく葛藤した。
父親としてはカイルの野郎に愛娘を奪われるなど絶対に、万死に値するほど嫌だった。しかし、一国の王としての冷静な頭脳が、キィールの言う通り「モーゼスを前に両国が完全に一つになるための、これ以上ない最強の政略結婚」であると理解してしまう。何より、シオンが昔からカイル王に憧れの眼差しを向けていたことを、父親であるアレフは副官かは言われて知っていたのだ。
(シオンが……あんな野郎の妻に……。いや、しかし、モーゼスが……。それに、あの子が本当にカイルを想っているなら、ワシは……うおおおおおん!!)
脳内で政治的な正論と、親としての悲哀が激しくぶつかり合い、アレフ王の顔は奇妙に歪んでいく。
その横で、話が完全にカチッと決まっていくのを見たカイル王の娘エレナは、
「ああ、お父様にはキッチン聞くとして……。本当にあのシオン様が私のお母さんになるのかしら……」
と、遠い目をして完全に諦めの境地で天を仰いでいた。
誰もが特大の誤解の檻を完璧に組み上げる中、何も知らないカイル王とシオンが、昨夜の「巨大虫ガザガザ騒動」の気気まずさを引きずりながら、部屋に入って来た。




