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大会議の深夜 と 昏い秘薬

「――公にすれば、建国を前にサウザもディラーも瓦解する」

深夜、城の最奥に位置する秘密作戦室。

蝋燭の炎が激しく揺れる中、サジィールは冷徹な声を絞り出した。

その視線の先、大机に広げられた地図の横には、今夜のうちに音もなく捕縛された「ネズミ(裏切り者)」たちの名簿が置かれている。

カシムとフェルが炙り出した奴等だ。

兵糧の横流しや防衛線の布陣を外へ売ろうとしていた私利私欲の売国奴どもは、今ごろ悲鳴を上げる間もなく地下牢へと叩き込まれていた。だが、問題はそこではない。


「他の小悪党どもは即座に間引いた。モーゼス側に偽の情報を送らせるための『泳がせ』の数匹を除いてな」


カイル王の側近ゾイルが、苦渋に満ちた表情で髭をなぞる。


「だが……あのハルト大臣だけは別だ。彼ほどの人間が敵の内通者だったなどと兵や民が知れば、前線の士気は完全に崩壊する。疑心暗鬼の毒が国を滅ぼすぞ、カイル殿」


王カイルは、腕を組んだまま黙然と目を閉じていた。

隣に立つ第一王子キィールもまた、仮面の奥で拳を固く握りしめている。

誰もが、その一番の高官であり、誰よりも優秀だった男の処遇に答えを出せずにいた。


「リン、お前の予測に狂いはなかった」

 

サジィールが、部屋の隅で漆黒の植物獣フェルを抱く少女を振り返る。


「奴の部屋の周りだけ、こちらの警備兵の配置が不自然に薄かった。……だが、当のハルトは自室から一歩も動いていない。一体、何を待っている?」


黒髪の聖女リンは、琥珀色の瞳を妖しく光らせるフェルの頭を静かになぞり、ただ一言、


「彼は逃げません。もうすぐ彼がやって来るでしょう」


とだけ告げた。

一同がその言葉の意味を計りかね、張り詰めた沈黙が部屋を満たした。

――場面は、同じ城の別棟、ハルト大臣の執務室。


「……く、……はぁ、あ、……ッ」


書類を前にしたハルトの右手が、ガタガタと激しく震えていた。

それは単なる恐怖の震えではない。骨の奥から這い上がってくるような飢餓感と、全身の細胞が内側から崩壊していくような凄絶な禁断症状だった。

カチ、カチと、机に置いたペンが悲鳴を上げる。インク瓶の手前で、彼の指先はすでに自分の意志を裏切っていた。

中原(モーラ)の由緒ある貴族の家に生まれ、このデルモラードの地へ流れてきて十数年。

この肥沃にして呪われた土地は、純粋なモーラ人の肉体を決して許さない。

土地の瘴気か、あるいは古の神々の呪いか。

異邦人の身体を確実に蝕む不治の病が、彼の肺を、臓腑を、数年前からじわじわと腐らせていた。


「……薬、を……薬は、どこだ……!」


ハルトは狂ったように懐を探り、一本の小さな硝子瓶を掴み出した。

真理教団の密偵から手渡された、血のように昏い紫色の秘薬。

彼はそれを貪るように、一滴すら溢さぬよう喉へと一気に流し込んだ。

五秒。わずか五秒だった。

薬が五臓六腑に染み渡った瞬間、嘘のように手の震えがピタリと止まる。

それどころか、濁っていた視界が急速にクリアになり、部屋の隅の暗がりの微かな陰影までが、異常なほどの解像度で脳裏に飛び込んできた。頭脳の処理速度が劇的に跳ね上がり、万物を支配できるかのような全能感が全身を駆け巡る。

劇的に楽になった身体のまま、ハルトは深く息を吐き、机に突っ伏した。

冴え渡りすぎた頭脳の奥で、彼をこの終わらない悪夢へと引きずり込んだ、数年前のあの日の記憶が鮮明に蘇ってくる。

血を吐き、医者からも見放され、己の死を覚悟したあの日。

病床の彼のもとに現れたのは、この世の誰よりも温和で、親切な笑顔を浮かべた男だった。


「これをお飲みなさい。あなたのような優秀な方が、こんな病で命を落とすべきではない」


差し出された奇跡の薬。

それを飲んだ瞬間、死にかけていた身体は完全に蘇り、彼は再び国のために筆を執ることができた。教団は何も求めなかった。

ただ


「ちょっとした書類の辻褄を合わせてほしい」


と言い、断れないほどの莫大な大金まで握らせてくれた。

それが、すべての始まりだった。

数回、ほんの数回、国にとって無害に見える小さな不正を手伝ってしまった。その甘い蜜に慣れ、完全に戻れなくなったタイミングで、男の笑顔は悪魔のそれに変わったのだ。


『私はモーゼス様の密偵だ。今後もその身体を維持したければ、帝国の為に働いて貰えないかな』


騙された、と気づいた時には遅かった。激しく拒絶し、剣を抜こうとしたハルトに、密偵の男は冷酷に囁いたのだ。

 

『断れば薬はやらん。お前がのたうち回って死ぬのは勝手だが……残されたお前の妻、まだ幼い娘と息子、国を裏切った家族がどうなるか分かっているな?』


脳裏をよぎったのは、自分を支えてくれた愛する妻の笑顔と、無邪気に駆け寄ってくる子供たちの小さな手だった。

その瞬間、ハルトの誇りは完全に圧し折られた。

彼は家族の命と引き換えに、モーゼスの手先となることを受け入れた。優秀であるがゆえに、完璧に、誰にも気づかれぬよう国を売る最高の手先へと成り下がったのだ。


(私は、どこで間違えた……。どこで、道を……)


薬のおかげで異常なほど冴え渡る思考が、己の犯した罪の重さをこれでもかと突きつけてくる。

何人も裏切り者が捕縛されたと部下から聞いていたハルトは次は自分だと思っていたが自嘲の笑みが唇から漏れた、その時だった。


「――どこで間違えたにせよ。その薬の終着駅は、みな同じだ」


音もなく。気配すらなく。

部屋の隅の闇が、人の形を象ってハルトの背後に静かに佇んでいた。

その顔には不気味な仮面。手には、月の光を吸い込んで妖しく煌めく二振りの三日月曲刀。

ディラー国の超一流の元暗殺者、カシムだった。

ハルトは驚きもしなかった。ただ、すべてを察したように、静かに息を吐いた。


「……お前は私を消しにきたディラーの影か。……好きにするがいい。ただ、無実の家族だけには……」


「安心しろ。あんたを消しには来ていない」


カシムは冷徹な声のまま、しかし構えていた曲刀を静かに鞘へと収めた。


「俺はお前を迎えにだけだ」


カシムの声が静まり返る室内に響く。

しかしその仮面の裏で、カシムの指先は微かに戦慄していた。なぜなら、大臣の懐から漂うその薬の匂いは、今まさに自分が使っていた、真理教団の薬と、完全に同じものだったからだ。

深夜の闇の中で、2人は静かに対峙していた。

そして秘密の部屋に滑り込むように闇から現れたカシム。その背後には、青ざめた顔で立ち尽くすハルト大臣の姿があった。

部屋にいたサジィールやゾイルが瞬時に身構えるが、カイル王はただじっとその男を見つめた。

ハルトは力なくその場に膝を突き、床に額を擦りつけた。


「……すべて、私の犯した罪にございます。どのような処断も受け入れます。……ですが、どうか、我が家族だけには御慈悲を……!」


涙ながらに懺悔を吐き出すハルト。部屋を満たす重苦しい沈黙。

すると、キィールが


「私の国では、罪の無い家族を処罰することはない」


とハッキリ言った。

リン以外が、何?と言う顔をする。

モーラを含め全ての国は、罪を犯せば連座制は当たり前、一族郎党処刑もたまにある、家族などは必ず処刑される。

カイル王が


「陛下それは、ちょっと困ります」


キィールが


「私の国だろ?なら決まりだ!」


ちょっと困った顔で


「分かりました、でも今の所は秘密でお願いします。国が落ち着いたら発表で」


と言うと、リンが


「陛下、連座制は犯罪や裏切りの抑止力になってるのです、今、発表は私も不味いと思います」


だが、リンも同じ気持ちだった、神の国では、そのような話しとアトンから聞いていたのだ。

だからそうしたいと思っていたので、キィールが言った事に少し驚いてはいた。

キィールは


「分かった」


そう言うやりとりを聞いていたハルトは少し安堵の顔をした。

するとカイル王の地を這うような、しかし覇気を孕んだ声で。


「成る程、流石は陛下!」


ハルトに目線を移し


「顔を上げよ、ハルト!」


笑みを浮かべるカイル王の姿に、ハルトは呆然と顔を上げた。


「お前はまだ、大した事はしてないだろう?

奴等が頼みにしてるのは、これからだぞ!――今回の城内のネズミどもの一斉捕縛、これはすべてお前の功績とする!」


「え……?」


「ワシとお前が裏で手を組み、わざと国を裏切ったと見せかけて、敵の密偵どもを油断させて一網打尽にしたのだと、明日、城内へ公表する。これでお前の忠義に軍の士気は天を突くぞ」


「お、王よ……何を仰いますか! 私は本当に、裏切りを……!」


「お前ほどの有能な男を、そんな脅し如きで死なせてたまるか」


カイル王は不敵に目を細める。


「おそらく、この事実を知ればお前のところに密偵が来て消そうとするだろうが、それはこっちでなんとかする。どうだハルト、もう一度、ワシに使えてみないか?」


ハルトは王のあまりの器の大きさと救いに、声もなく震えた。しかし、すぐにその表情は深い絶望へと戻る。


「……ありがたき御言葉ですが、もう無理なのです。私はあの悪魔の薬を定期的に飲まなければ、ただ苦しんで死ぬだけの身体。どうか、私を裏切り者として見せしめに処刑してください……!」


「心配するな、ハルト」


カイル王は優しく、しかし確信に満ちた声で部屋の隅へと視線を送った。


「リン、あれを」


リンが静かにハルトの前へと歩み寄る。その小さな手には、ハルトの持つ濁った瓶とは比べ物にならないほど、清らかに澄み切った一服の秘薬が握られていた。


「これを。それはあなたの身体を蝕むデルモラード

の地の呪いを中和し、その偽りの薬の縛りからも、あなたの体を少しずつ書き換えて解放してくれます」


ハルトは震える手でそれを受け取り、意を決して一気に喉へと流し込んだ。

しかし、カシムの時のように劇的な変化は起きない。

ハルトの身体はまだ息が荒く、手の震えも完全には止まっていなかった。


「徐々に、あなたの身体へと馴染んでいきます」


リンが静かに告げる。

その様子を、少し離れた壁際で腕を組んで見ていたカシムは、仮面の裏で僅かに眉をひそめた。

(……効きが遅くないか? 俺があの薬を飲んだ時は、つま先から全身が燃えるように滾り、手の震えなんて一瞬で消え去ったぞ。五感だって、今じゃこの部屋全体の息遣いが聞こえるほど跳ね上がっているというのに……)


カシムは自身の異常なほど冴え渡った感覚を集中させ、リンの腕の中にいる黒猫フェルに向けて、生まれて初めて脳内の『思念』を直接ぶつけてみた。


『――おい、黒。あの薬、効きが遅いんじゃないか? 偽物か?』


すると、リンの腕の中で丸くなっていたフェルが、カチリと琥珀色の瞳を光らせ、カシムをジロリとにらみつけた。脳内に直接、人間と全く変わらない流暢な、しかし小馬鹿にしたような声が響く。


『……お前、ボクの心の声に直接話しかけれるのか? 人間のくせに生意気な。いいか、遅いんじゃない。お前が異常なんだよ、それとボクの名前はフェルだかな』


『なんだと?』


『普通の人間の身体があれを受け入れるには、あれくらい時間がかかるのが当たり前さ。お前が異常なだけだよ』


『……俺が異常? ――チッ、俺は物心つく前から身体を鍛え上げてたからか、人より代謝が良いだけだろ』


(フン、おめでたい頭をしてるね。まあ、そっち

勘違いにしておいてあげるよ)

フェルはカシムには教え無かった。

カシムは己の身体の疑問を思ったが…それ以上語るのをやめた。

床の上では、ハルトの体内で静かに、しかし確実に悪魔の呪い治り始めていた。

徐々に呼吸が楽になっていくのを実感し、ハルトはカイル王の足元に深く平伏した。


「このハルト……この命が続く限り、カイル王様に従います!」


リンが


「あの薬と違って、一度飲むだけで大丈夫です」

 

ハルトは、信じられないと言う顔をして、その場で硬直していた。

こうしてハルトの件は、完璧な形で完了した。

内憂を最高の勝利へと反転させた喜びで、短い仮眠を摂るために解散する。

――そして、翌朝。

城内はハルト大臣の提案により、大会議を開催してネズミを炙り出し一網打尽にした大功績に沸き立ち、兵たちの士気は最高潮に達していた。

朝の光が差し込む作戦会議室。

ハルト大臣も堂々とその席につき、ディラー、サウザ、五大部族の首脳陣が再び机を囲む。


「これより、防衛軍事会議を再開する」


サジィールの鋭い声が響く。

 

「ハルト、お前が掴んでいる、モーゼスが送り込んできたイオン帝国精鋭三千部隊の『進軍ルート』すべてここに吐き出せ!それとデモン国が繋がってることも知る限り」

 

「御意――」


生まれ変わった真の忠臣ハルトが、力強く地図を指し示した。いよいよ、絶対の覇道を阻む帝国部隊との、本格的な知略戦の幕開けであった。

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