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大会議の女官と漆黒のガーガ

サウザー国の遠征軍がディーラの国境へと到着する前のこと。

ディラー城のなかでも最も広大で、国を挙げた最高評議の場として使われる『大広間』は、大陸の歴史を塗り替える建国前夜の凄まじい熱気と、肌がヒリつくような緊張感に満ちていた。

天井は遥か高く、神々の遺産である白磁の巨石を削り出して造られた太い柱が何本も並び、磨き抜かれた白磁の床は、窓から差し込む南国の暖かい太陽の光を美しく反射している。その中央には、一万年前の計算の残滓を感じさせる、一ミリの狂いもなく完璧な円形に削り出された白磁の大円卓がどっしりと鎮座していた。

その大広間へ向けて、ディーラという国家の全権と財を動かす主要な権力者や実務者たちが、重厚な衣服の衣擦れの音を響かせながら、続々と大勢で集まりつつあった。

城下町の流通と経済を牛耳るディラー国の大商人や富豪たち、職人や民の力を束ねる各ギルド長たち、地方の領地から呼び出されたあちこちの代官たち、国家の運営と兵站のボンの計算を担う各内政大臣とその直属の部下たち。さらには国境の防衛や治安を預かる各武官や将軍たち、そして古い領地を持つ傲慢な大貴族などなどが、それぞれの思惑を孕んだ鋭い目で周囲を窺いながら、広大な部屋の席を次々と埋めていく。

円卓の上座には、国王カイル、その側近ゾイル、元帝国聖騎士サジィール。そして、第一王子の仮面を被ったお忍びの姿のキィールと、その隣には、黒髪・黒目の神秘的な美しさを宿した東の婚約者、リンが静かに座っていた。リンの細い腕のなかには、いつもと変わらず、光をすべて吸い込むような美しい漆黒の毛並みを持ったガーガ型の、フェルが大人しく抱えられている。

この円卓に座る百戦錬磨の大人たちのなかに、モーセスや諸国が放った密偵、そしてダースからあくどい賄賂を貰って魂を売った裏切り者たちが確実に潜んでいる――。

それを誰よりも冷徹に確信していたからこそ、リンの呼び出しを受けたカシムとフェルの裏の任務は、すでにこの緊迫した大広間のなかで音もなく開始されていた。


「皆様、どうぞ、お茶を」


しとやかな布の女官服を完璧に纏い、完全に気配を消してお茶を配る女官たちに紛れて歩いているのは、他ならぬカシムであった。

超一流の隠密であるカシムの変装は完璧であり、衣服の着こなしだけでなく、その口から発せられる声までも、本物のしとやかな美しい女の声へと完璧に変えられていた。

それだけではない。カシムはあえて、大広間に集まった男たちの目を否応なしに釘付けにするほどの、ひときわ際立つ妖艶な「色香」を全身から放ちながら、円卓を静かに回っていた。

お茶を渡された並の大商人や武官たちは、そのあまりの美しさと女の熱い色香に一瞬で目を奪われ、思わず鼻の下を伸ばしながら生々しくお茶の器を受け取っていく。 

だが、これこそがカシムとリンの仕掛けた冷徹な罠であった。

リンはこの会議が始まる前の数アワーの間に、城内に『今日の全権会議の席で、城内に潜む密偵や裏切り者を一斉に捕縛するための大捕物が執行されるらしい』という恐怖の噂を完璧に仕込んでおいた。

やましいことのない平白な大人たちは、噂を気に留めることもなくカシムの放つ色香に目を奪われる。……だが、モーセスや諸国から賄賂の金を貰い、 

(自分が裏切り者として捕まるのではないか)


と恐怖に魂を削られている奴らは違った。

彼らは絶体絶命の焦燥のなかにいるがゆえに、目の前の女の色香など一切興味を示す余裕がなく、顔面を蒼白にしてお茶の器を見つめることしかできないのだ。

神の秘薬で飛躍的に上がったカシムの五感は、普通の人間には絶対に不可能な領域まで跳ね上がっている。

リンの密偵や裏切り者を炙り出す作戦だった。

カシムが丁寧にお茶の器を置いて回るほんのわずか半ミンの刹那のなかで、モーセスやデモノから金を貰っている本物のネズミどもが噂に怯える「指先の微かな震え」「呼吸の一瞬の乱れ」「瞳の奥に走った焦燥の質量」といった微妙な変化が、カシムの目と耳には生々しく全て写り込んでいた。

そのカシムが裏でネズミどもを確実に炙り出しているまさにその時、円卓の末席に座る、古い権力を握る保守派のあくどい内政大臣ダイズが、上座のリンの腕のなかにいる漆黒のフェルを不愉快そうに指差し、傲慢な声を上げた。


「これからの国家の命運を決めるこのような神聖で大事な会議の場に、例え予言者様でも、そのようなただの小動物などを持ち込むとは一体どういうつもりでしよまうか?あまりにも緊張感に欠けるのではないか!」


1人大臣のその無礼な物言いに、カイル王や将軍たちが一斉に眉をひそめたが、リンは冷徹なポーカーフェイスを崩さないまま、鈴清らかな声で淡々と告げた。


「お控えなさい、ダイズ大臣。この子はただの動物ではありません。神が私へと授けてくださった神の使徒。……そして、私の護衛です」


リンがそう毅然と言い放った、まさにその瞬間であった。


「ハッ! またまた、こんなガーガが……護衛ですか、我々を 笑わせるてるのですか!」


大臣が鼻でせせら笑い、周囲の不敬な奴らと顔を見合わせて大声でバカにしたように嘲笑した、まさにその言葉の終わりの刹那。

リンの腕の中から光を吸い込むような漆黒の影が、音もなく、信じられない速度で前方へと飛び出した。

ドシンッ!!!

評議の間の白磁の床が激しく波打ち、宙を舞ったフェルの漆黒の肉体が、一瞬にして元のガーガの「三倍」の大きさを誇る巨大な漆黒の戦闘巨獣へと、膨れ上がるように変貌を遂げたのだ。

フェルは嘲笑していた大臣の目の前の机へと容赦なく踏み付け、その首筋のわずか半ニード手前へと、獲物を一瞬で引き裂くための鋼の如き鋭い漆黒の爪を、ピタリと突き立てた。生き物特有の呼吸の音も熱もない、冷徹な死そのものの驚威が、大臣の顔を至近距離から直撃する。


「ひっ……、あ、あああ……っ!?」

 

さっきまで大声でバカにして笑っていた大臣は、顔面を土気色に変えて恐怖のあまり後ろへと派手にひっくり返り、白磁の床の上で情けなく尻餅をついた。喉元に迫る爪の鋭さに、少しの猶予もなく命を奪われると直感し、ガタガタと全身を激しく震わせている。


「も、申し訳ございません、予言者様、使徒様……っ! どうか、どうかお命ばかりは……っ!!」


完全に腰を抜かして尻餅をついた大臣は、涙と鼻水を流しながら、額を白磁の床に何度も激しく叩きつけて平伏するしかなかった。様子見の国々の使者たちも、その圧倒的な神の驚威を目の当たりにし、もはや一言の反論もできずに恐怖で静まり返っていた。

リンが静かに手を差し伸べると、巨大化したフェルはフンと鼻を鳴らし、再び音もなく元の小さな漆黒の姿へと縮むように戻り、リンの腕の中へと軽やかに飛び帰っていった。

フェルは思念を飛ばし

(ふふ、見たかいリン。あの男の情けない顔。これなら君の完璧な計算通り、全員の肝を一瞬で冷やしてやれたね)

そんな中でもカシムは大広間に集まった男たちの目を否応なしに釘付けにするほどの、ひときわ際立つ妖艶な色香を全身から放ちながら、円卓を静かに回っていた。

男たちがカシムの色香に目を奪われているその間にも、円卓の中心では、ディーラという国家の命運を懸けた、凄絶なまでの『大会議の激論』が巻き起こっていた。


「カイル王! 確かにカイル王の書簡によって、五大部族が我が国の西の山々へ移住することは決まりました! ですが、総勢五千人もの荒くれ者の部族民を、ただあそこの山岳地帯に放っておくわけにはいかないでしょう! 彼らに勝手をさせないように、我がディラーの兵でがっちり監視しなくていいのかと申し上げているのです! 監視もつけずに野放しにすれば、我が国の治安は大混乱に陥りますぞ!」


古い権力を握る保守派の内政大臣が、白磁の円卓を激しく叩いて怒号を上げた。それに合わせて、あちこちの代官や大貴族たちも「そうだ!」「勝手をされては困る!」と口々に騒ぎ立てる。

さらに、国境の防衛を預かる武官や将軍たちが、渋い顔で別の重大な危機を突きつけた。


「それだけではない! 豪商ダースの動きから見て、未だ中原モーラと繋がっている『北側諸国』の面々が、この連合国家の建国に断じて賛同しない様子であることは明白! もし彼らがモーセスの影の手引きにより、我が国の背後から一斉に奇襲を仕掛けてきたらどうするのだ! いつ不条理な戦火が起きてもおかしくはないのだぞ!」


大広間の空気が、部族の監視を巡る主導権争いと、北側諸国の軍事的な脅威という二つの巨大な大嵐によって、極限までピリピリと張り詰めている。

アトン様の遺した『神の秘薬』を飲み干し、地球人の血筋を極限まで覚醒させられたカシムの五感は、そのわずか半ミンの刹那のなかに生まれる「色香への拒絶」と「微かな呼吸の乱れ」から、裏切り者のネズミたちを確実に炙り出していた。

カシムが女官の姿のまま、上座のリンとフェルに向けて 

(リン様、黒。そっちの列の奴ら、三人が完全に黒だ。色香にも一切乗ってこねえ。いつでもやれるぜ) 

と無言の視線を送る。

騒ぎ立てる大臣や将軍たちを、国王カイルはその情熱の絶対王としての鋭い目で見据え、一喝した。


「静粛にせよ! 監視などという狭い面子で騒ぐな、ネズミどもが! 万が一の事態に備え、すでに五大部族の戦闘大将ソルジャ率いる精鋭五百人の鎧竜部隊を、街道筋の山岳地帯へと一番乗りで集結させた! 馬より速くはないが持久力抜群であり、二人乗りで盾に守られながら敵の軍団を正面から粉砕する鎧竜で来ている! 彼らは我らの支配下に入るのではない、様子見の国々や北側諸国への、これが我が連合国家の絶対の抑止力なのだ!」


カイル王のその圧倒的な名裁きに、大広間が今度は感服のどよめきで大きく揺れた。


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