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使徒フェル

ディラー国のカイル王から「街道筋の山岳地帯」を新たな領地として正式に与えるという建国の書簡を受け取り、五大部族の進軍計画は即座に極めて実戦的な布陣へと組み替えられていた。

山岳地帯の安全をいち早く確保するため、全戦力千五百人のなかから、槍を執る精鋭の戦士「五百人」が先行部隊として出発。三十一歳の戦闘大将ソルジャと、聖女サーシャの二人が、頭の後ろが大きな盾の形になった五百頭の鎧竜の背に跨り、不気味な咆哮を上げながら砂煙を巻き上げて進んでいた。

残りの三千五百人の部族民と、それを守る千人の護衛部隊は、本格的な大移動の荷造りのため二、三日遅れて後方から出発する手筈となっていた。

そして、それらの動きとはまた別の話として、サウザー国軍の先陣を率いる十九歳の姫将軍シオンと、五十歳の大貴族バルドたちの独自の行軍が、サウザーの鉄色の甲冑をギラつかせながら独自のルートでディーラを目指して荒野を突き進んでいた。

国王アレフが自ら率いる大軍勢の本隊もまた、二、三日の遅れを持って後方からゆっくりと大進軍を開始しようとしていた。

大人たちが連合国家の建国へ向け、五大部族の先行やサウザー軍の出兵といった激動の渦のなかで忙しく動き回っている、ちょうどその頃のこと。

ディラー城の奥にある薄暗い私室のなかで、リンは、蝋燭の小さな灯火だけを頼りにベッドの端に腰掛け、小さく膝を抱えて深く苦悩していた。

つい先ほど、リンはこれからの建国を共に背負うカイル王、その側近ゾイル、聖騎士サジィール、そしてお忍びの姿のキィールという、本当に信頼できる四人の男たちだけに全幅の信頼を込めて「私は未来が見えるわけではなく、遥か昔の神々の知識から完璧な予測を立てているだけなのです」という命より重い本当の姿を打ち明けたばかりだった。

人前ではまるで、伝説の天才軍師『諸葛孔明』の如く、1ミリの隙もない冷徹な先見の明を光らせて大人たちを圧倒しているリン。

けれど、これまでは父親であるアトンとしかまともに会話を交わしたことがなかった彼女の心は、初めて人間の社会に関わるなかで、誰にも言えない孤独と不安で押しつぶされそうになっていた。


「……私は、ただ神々の知識を使っているだけ。もしかしたらキィールは……若様は、私のことを、永遠に生きる薄気味悪い化け物だと思って、本当は嫌っているんじゃ……」


リンが誰にも見せられない涙を浮かべ、小さな肩を震わせてそう呟いた、まさにそのアワーの空白の瞬間であった。


「――やれやれ。君ほどの天才が、一人の男の子の気持ちも両替できないなんて、やっぱり人間ってのは妙な生き物だね、リン」


「……えっ!?」


閉め切られた窓の影から、人間と全く変わらない、流暢でどこか生意気な男の子のような知的な言葉が、リンの脳内へと直接、鮮烈な思念となって響き渡ってきた。

リンが驚愕して顔を上げると、夜の闇が溶け出したかのような、光をすべて吸い込む美しい『漆黒の毛並み』を持った、野生の茶色いガーガに酷似した一頭の美しい獣が、音もなくベッドの上に飛び乗ってきていた。

アトンはすべてを分かっていたのだ。

リンがこれから人間の社会に関わるなかで、必ず誰にも言えない不条理な孤独に苦悩することを。

だからアトンは、自らの技術の粋を尽くし、リンを支え、本音で語り合える唯一の家族として、このオスの獣フェルを創り、娘の元へと送っていたのだ。

フェルはリンの脳内に、流暢で知的、かつどこか呆れたような優しい思念をさらに響かせた。


「初めまして、我が主、リン。私は君にお仕えするために、アトン様から創られたフェルさ。……君はさっきから若様に嫌われてるかもなんて本気で悩んでるみたいだけど、そんな訳ないじゃないか。あのキィールって男の子、君の告白を聞いた瞬間、仮面の奥で君の気高さにすっかり惚れ直して、心臓をバクバクさせていたよ。男の惚れた顔なんて、私からすれば一発で見抜けるさ。君は化け物なんかじゃない。ただ、ちょっと不器用で、一人の男の子に恋をしてるだけの、最高に素敵な私の主人だよ」


「フェル……。あなた、アトン様が私のために……」


初めて脳内に響く、自分を全肯定してくれるフェルの温かい思念の言葉。リンは涙を拭い、目の前の漆黒のフェルを愛おしそうにそっと抱きしめると、その胸に顔をうずめた。フェルは光合成で生きる植物の獣だから、呼吸の音も熱もない。けれど、その漆黒の毛並みはとても瑞々しく、リンの冷え切った孤独を優しく包み込んでくれた。

(ふふ、これからはもう、君は一人で悩む必要なんてない。私が君の完璧な使徒として、君の脳内にいろんな秘密を教えてあげるからね)

(……ええ、ありがとう、フェル)

リンの脳内で、二人だけの流暢な秘密の会話が重なり合う。

孤独な天才リンにフェルという、相棒が今ここに最高に美しく誕生したのだった

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