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父と娘

ゴドル大臣の自決と側近の逃亡による騒動が一通り落ち着いた夜、シオンは国王アレフの広大な私室へと呼び出されていた。

部屋の床には、サウザー国が誇る暖かい海の交易で手に入れた中原モーラ産の最高級の厚手の絨毯が敷き詰められ、壁には夜空に輝く唯一絶対の女神シリウスの美しい刺繍が施された絹のタペストリーが飾られている。

白磁の暖炉のなかで赤々と爆ぜる薪の熱が、比較的温暖なサウザー国の夜空と混ざり合い、室内をどこか気怠く、しかし張り詰めた空気で満たしていた。

19歳の姫将軍シオンは、体に馴染んだ鉄色の軽鎧を脱ぎ、サウザーの王女らしい薄緑の柔らかなドレスを纏っていた。

引き締まった褐色の肌に映える緑の髪を少し揺らし、シオンは目の前で豪奢な椅子に座る父親のアレフを見つめ、張り裂けそうな胸の内を打ち明けた。


「お父様……ゴドル殿の一件もあり、城内は未だにモーセスの影を恐れて揺れています。本当に……今回の遠征は大丈夫なのでしょうか。バルド殿の噂も有り、私は不安でなりません」


娘の切実な問いかけに、四十五歳になる国王アレフは、深く、苦渋に満ちた息を吐き出した。アレフは椅子から立ち上がると、最愛の前正妃シャルテの面影を遺す愛娘の元へ歩み寄り、その華奢な肩を包み込むように優しく両手を置いた。


「……私は、バルドを信じているよ、シオン」


アレフ王の声は、いつになく低く、しかし確かな慈愛に満ちていた。


「二年前のあの霧のなか、何百人しかいなかった追

撃隊のなかで、バルドがほんのしばらくの間、合流を躊躇ったというロダンからの秘密の報告は、確かに私の耳に入っている。……だがな、シオン。バルドは悪人ではない。サウザーを私と共に創り上げてきた、誰よりも誇り高き英雄だ。あの男は、あの霧のなかの一瞬の魔を、己の不覚を、今でも誰よりも恥じ、誰よりも苦しんでいる。……だから私は、先ほど軍議の場でバルドの肩を掴み、釘を刺したのだ。お前を絶対に失いたくないという親としての願い。そして、バルド自身にも、今度こそ過去の呪縛を乗り越えてほしいという主君としての願いを込めてな」


アレフはシオンの目を真っ直ぐに見つめ、一人の人間の生還を心から願うように言葉を重ねた。


「出来れば、シオン。戦火のなかで、バルドを死なせないでやってくれ。大罪を背負ったまま、あのような老兵に死に場所を与える必要はない。……私はあの男にも、無事にお前と共に、この暖かいサウザーの港へと帰いてきて欲しいのだよ」


「お父様……。はい、必ず皆で無事に帰還いたします」


父親の、どこまでもまっとうで深い家族への愛、そして臣下への情の厚さに触れ、シオンは胸が熱くなるのを感じていた。

だが、国や軍の重厚な話が終わり、シオンがホッと安堵の息を漏らした、まさにその瞬間だった。アレフ王の顔から「良き国王」の表情が一瞬にして消え失せ、凄まじく険しい「娘を持つ父親」の顔へと激変した。

アレフはフン、と大袈裟に鼻を鳴らすと、腕を組んで私室の床をいらだたしく踏み鳴らし始めた。


「……ところでシオン。お前が帰還してからというもの、少しばかり気になる報告をお前の副官アルパから耳にしたのだがね」


「アルパから……? 一体何の話でしょうか」


怪訝そうに首を傾げるシオンに対し、アレフ王は顔を真っ赤にして声を荒げた。


「先日ディラー国で開かれた晩餐会や祝勝会の席でのことだ! アルパが言うには、お前がディラー国のカイル王を見る目が、他のどの男を見る時とも全然違っていた、と! 畏れ多くも熱い視線を何度もあの王に送っていたと言うではないか!」


「なっ、何を……っ!?」


「まさかシオン! あのカイルなどという男に!

元を正せばただの成り金だぞ! 莫大な金貨を積んで他国の高貴な妃さえも金で買ったような奴だ。しかも、あやつは私と全く同じ四十五歳だぞ! 何が悲しくて、我がサウザーの気高き第一王女であるお前が、父親と同い年のあのような薄汚い男に本気で心を奪われたわけではあるまいな!?」


アレフ王は愛娘が自分と同じ歳の男に憧れを抱いているという不条理に、嫉妬と怒りで髪を振り乱んばかりに大激怒している。


「お、お父様! 滅相もありません! 私はただ、カイル王の国を想う情熱的な姿勢を、一国の指揮官として尊敬の念を持って見つめていただけです! 年齢なんて関係ありません……いえ、変な勘違いをしないでください!」


思いもよらぬ私生活の暴露に、シオンは褐色の肌の上からでもはっきりと分かるほど、顔を一瞬にして真っ赤に染め上げ、激しくうろたえた。

シオンは必死に手を振って弁明するが、その緑の目は明らかに泳いでおり、純情な少女としての動揺を隠しきれていなかった。

そんな娘の健気な抵抗を見つめながら、アレフ王は


「絶対に認めんぞ……!」


と、私室のなかでいつまでも不気味にブツブツと文句を言い続けていた。

ひとしきり髪を振り乱して不機嫌そうに部屋の床を踏み鳴らしていたアレフ王だったが、やがてハッと何かに気づいたように足を止め、顎髭をなでながらわざとらしく咳払いを模した。


「……ああ、そうだ。大事な用件を言い忘れていたな。そう言えばシオン、あやつ……ディラー国のカイルから届いていた、イオン17世を頂いて連合国家の建国を呼びかけるあの書簡のことだがね」


アレフ王は机の上の豪華な白磁の硯の横から、由緒ある羊皮紙の巻物を取り上げ、それをシオンの前に掲げてみせた。


「大臣たちや皆で集まって、あの書簡の内容を徹底的に検討したのだ。サウザーの海上交易を守り、モーセスの不穏な野望を挫くため、我が国としてもあの建国の盟約に正式に『賛成』することに決定した。……連合国家となってもワシの王の座が変わるわけではないし、皆で手を取り合う大義は真っ当だからな。王たちの上に唯一絶対の皇帝を戴くというのも、デイモノート地方の平穏のためには必要なことだ」


「お父様、では……!」


サウザー国が正式に建国へ加わるという喜ばしい決断に、シオンの瞳がパッと輝いた。

だが、アレフ王はニヤリと笑顔を崩さないまま、その耳元の蝋燭の光を浴びて不敵に言葉を継いだ。


「うむ。というわけでな、シオン。その歴史的な調印式と建国宣言の儀式に参加するため……ワシも、ディーラへ行くぞ」


「…………え?」


シオンの動きが、完全に止まった。

今、父親は、一体何と言ったのだろう


「これでお前が戦火のなかで無茶をせぬよう、すぐ後ろから見守ってやれるからな。それに、父親と同い年のあの成り金男が、我が娘に万が一にも不届きな真似を仕掛けてこんよう、ワシが直々に円卓の席で監視してやるのだ。ふふ、完璧な両替(計算)だと思わんかね」


父親としての執念深さと、過保護さをこれでもかと剥き出しにして胸を張るアレフ王。

その目の前で、十九歳の姫将軍シオンは、開いた口が塞がらないまま、ただただ大きな衝撃を受けて完全に「絶句」していた。

(お父様……! 建国への賛成は嬉しいですが、まさか、カイル王への嫉妬と私への心配……!)


頭を抱えて天を見上げたくなるような、しかしどこまでも父親の割り切れない不条理に、シオンの心は言葉にならない複雑な感情で満たされるのだった。

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