逃亡者カシム
そんなゾイル、サジィール達の動きを密かに眺めてる人物が居た。
武闘大会の決勝で去って行った傭兵ガイだった。
(何か面白い事になりそうじゃないか)
彼は、物陰に隠れながらそう思った。
話しは武闘大会のコロシアムを、彼が足早に後にした時の名は、傭兵ガイと言っていたが、誰もその素顔を見たことがない風来坊には、中原の戦場で生きてきた本当の名があった。
彼の名は、カシム。
激戦区を渡り歩き、数々の死線をただ一人生き抜いてきた、暗殺剣の腕を持つ十八歳の青年だ。
コロシアムを揺るがしていた嵐のような大歓声も、この薄暗い宿屋の客間までは届かない。
カシムは足音もなく部屋の扉を閉めると、深く巻き付けていた頭巾と面布を静かに外した。露わになったその素顔は、線の細い、息を呑むほど美しい麗人のものだ。だが、その美しい顔にはいつもの脳天気な緩さはなく、キリッと張り詰めた影が落ちていた。
テーブルの上に、武闘大会の決勝まで勝ち上がって
「そこそこ稼いだな」
金貨の袋をコトリと置く。
ベッドに目をやれば、妹のミーナが泥のように眠っていた。その安らかな寝顔――曲刀の流砂の紋様を見つめるうちに、カシムの記憶は、あの組織で泥をすするようにして生き延びてきた日々の始まりへと、深く沈んでいった。
国を攻め滅ぼされ、燃え盛る炎から逃げる途中、雨で増水した川の濁流へ飛び込んだあの日。
必死に繋いでいたはずの、実の妹の小さな手が、激しい水流に引きちぎられるようにして離れていった。
あの絶望の感触は、今でも掌に残っている。
川に縁に瀕死の状態のカシムを拾って、育てたのがあの暗殺組織だった。
真理教団と言う。
アチコチの国で金で雇われて、暗殺を生業にしている組織だった。
決して地獄のような思い出ばかりではない。
そこには、同じように過酷な運命を背負わされ、共に血を流した何人かの友達がいた。
任務の合間にくだらない冗談を言い合ったあいつらは、今どうしているだろうか。
教官たちも様々だった。冷酷にただ道具として扱ってくる嫌な教官もいれば、ぶっきらぼうながらも生き残るための術を必死に叩き込んでくれた、どこか憎めない好きな教官もいた。
そんな環境の中で、カシムはただ生きるために、必死に剣を振り、技を磨いた。友達と競い合い、教官たちのシゴキに耐え、やがて二振りの三日月曲刀を完璧に操る最上級の腕を身につけ、一人前の暗殺者として認められるようになったのだ。彼にとってそれは、ただ生きるための「仕事」であり、それ以上でも以下でもなかった。
それなのに、あの一夜だけが、すべてを狂わせた。
とある王族を襲撃した任務、国王と王妃、側室、子供達をカシムが張り込んでた場所に現れたので、速やかに、苦しまぬ様に一瞬で首を落としたり、心臓を一突きで殺して行った。
そんな返り血を浴びた自分の前に、余りにも凄い出来事に気絶していた幼い少女が居た。
その顔が、あの川で失った妹にあまりにも生き写しだった。
カシムは、何も考えずその場から女を連れ出した。彼女の両親、兄弟をその手で奪った張本人という、一生消えない血ぬられた十字架を背負ったままで。
「……クソが」
カシムは低く呟き、ベッドの横に膝をついた。眠るミーナの、小さな温かい手をそっと握りしめる。
サジィールは言った。
『いつまで逃げてるつもりだ』
と。
ただの自分1人で、いつか組織の追手が来たときに、この愛しい寝顔を守りきることはできない。
ミーナの細い指先を強く握り直すカシムの瞳に、いつもの脳天気さを消し去った、本物の戦士としてのキリッとした強固な覚悟が宿っていく。
何が何でも生き残り、どんな強大な力に頭を下げてでも、この少女に安全な居場所を作ってやる。
その時、
「ここか」
宿屋の静寂を破る低い声が、部屋の闇から響いた。
カシムの全身の毛が逆立つ。
いつもの脳天気さは完全に吹き飛び、電撃が走ったような速度でベッドから飛び退くと、同時に二振りの三日月曲刀をスラリと引き抜き、声の主へと刃を向けた。
薄暗い月光に照らされた窓際に、腕を組んで佇んでいたのは、昼間のコロシアムで剣を交えた男――元イオン帝国聖騎士サジィールだった。
「あんた……! なんでここが分かった!? 尾行は完璧に撒いたはずだぞ……!」
カシムの息が詰まる。
最強の暗殺者であるカシムの隠密術は一級品だ。
誰にも気づかれず、何度も足跡を消してこの宿に入った。
それなのに、なぜこの男は自分の後ろを歩く影のように、先回りしてここに立っているのか。
サジィールはカシムの鋭い殺気と曲刀の刃を前にしても、ただフッと不敵に笑うだけだった。
「聖騎士を舐めるなと言ったはずだ。お前がどれほど足跡を消そうが、俺の目からは逃れられん。……これぞ、ゾイルと同じ覚醒マスターにのみ出来る追跡の御業だった。
サジィールは、カシムを敵として追い詰めたのではない。
これほどの腕を持つ男を、自分たちの新たな仲間として迎え入れるために現れたのだ。
サジィールはゆっくりと腕を下ろし、高潔な騎士らしい佇まいで言葉を続けた。
「お前を私達の仲間に誘いに来た。昼間の戦い、お前のその双月の曲刀の美技……ただの風来坊で終わらせるにはあまりに惜しい。これからこのデイモノート地方には、激しい戦乱の嵐が吹き荒れる。お前ほどの腕があれば、我らにとってこれ以上ない心強い味方となる。どうだ、カイル王の元で、俺たちと共に戦う気はないか?」
「……ハッ、お断りだね。俺は降りたんだ。今さら戦う気なんてねえよ」
カシムがタメ口で低く突き放す。
サジィールは動じず、ゆっくりと視線をベッドへと動かし、カムが命がけで守る少女、ミーナへと目を向けた。
「そうか。だが、一人っきりの力で、教団からの追ってに……その『妹』とやらを本当に守り抜くことができると思うか?」
そのサジィールの言葉と同時に、ベッドの上のミーナが、うっすらと長い睫毛を震わせ、パチッと目を覚ました。
「……ん……。お兄ちゃん……? その人、だれ……?」
ベッドの上でパチッと目を覚ましたミーナが、暗闇の中で対峙する二人を見て、不安げに声を漏らした。
その瞬間、カシムはサジィールとの一触即発の空気をスッと消し、いつもの脳天気な笑みを浮かべてミーナを安心させるように声をかけた。
「あぁ、ミーナ、起こしちゃってわりぃ。この人はさ、俺にちょっと仕事を頼みに来ただけの人だよ。心配すんなって。すぐ戻るから、もう一回寝てろよ」
「……うん……お仕事なら、いいけど……無理しないでね」
ミーナが再びシーツにくるまって目を閉じるのを見届けたカシムは、表情をキリッとした暗殺者のものへと戻し、窓際のサジィールに近づいて、消え入るような小さな声で囁いた。
「おい、あんたの言うイオン様とやらの前で話そうじゃねえか。場所を変えるぞ」
サジィールは満足げに深く頷き、足音もなく窓から夜の闇へと消えた。カシムもその後を追うように宿を抜け出した。
カシムはサジィールに連れられ、ディラー国の城のさらに奥、ィールの待つ厳粛な部屋へと足を踏み入れた。
聖騎士サジィールが、頭巾で顔を覆った線の細い青年、カシムを連れて入ってきた。
「キィール様、連れてまいりました。武闘大会の決勝まで残った、例の二刀流の使い手です」
キィールはカシムの真っ直ぐで無駄のない身のこなしをじっと見つめた。真理教団という恐ろしい暗殺組織との繋がりなど、十五歳のキィールは知る由もない。
ただ、カシムがこれまでの凄絶な試合で見せてきた圧倒的な武勇と俊敏さに深く感銘を受け、この地方を救うためにどうしても彼の力が欲しいと純粋に願っていた。
カシムは誰に対しても物怖じしないぶっきらぼうな態度を崩さず、頭巾の奥の美しい目を細めて言い放つ。
「何の用だ。俺はミーナと二人、このデイモノート地方で静かに新生活を始めるためのまとまった金が欲しくて大会に出ただけだ。高貴な王子様が、この俺に一体何の用がある」
初対面からタメ口をきく不遜なカシムに対し、キィールはその瞳に真摯で圧倒的な熱を宿して一歩前に進み出た。
「お前に、俺たちの仲間に加わってほしいのだ、カシム。お前のあの見事な武勇を、俺たちのために貸してほしい」
キィールは円卓の上に広げられた地図を指し示した。
「今、このデイモノート地方には、イオン帝国の宰相モーゼスの不穏な影が潜んでいる。奴らの野望を阻まなければ、この地方のすべてが地獄のような戦乱に巻き込まれることになる。お前のあの並外れた身のこなしがあれば、敵の動きを察知する偵察などでも大きな力になってくれるはずだ。これ以上、戦火で泣く子供たちを増やさないために、力を貸してくれ!」
まっすぐで、一切の打算のないキィールの熱心な訴え。
その言葉は、カシムの頑なな心の奥底へと突き刺さった。自分も妹のミーナも、すべては大人たちの下らない戦乱のせいで、故郷を滅ぼされ、人生をめちゃくちゃにされて大変な目に遭ってきたのだ。
カシムはふっと息を吐くと、頭巾の奥で不敵に片方の眉を上げた。
「……まったく、熱心な王子様だな。分かったよ。まー、ミーナと定住するためにはどのみち大金が要るんだ。御大層な大義名分はともかく、たっぷり金を払ってくれるってなら、お前に雇われてやって、その戦いとやらに手を貸してやってもいい」
カシムの承諾を聞き、キィールは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「受けてくれるか! 感謝する、カシム。妹は私が必ず保証する」
こうしてカシムの雇用契約がまとまり、青年は頭巾を直して隠れ家を退出していった。
カシムが去った後、サジィールはキィールに向けて一礼した。
「ではキィール様、私もこれにて失礼いたします。出兵の準備にかかりましょう」
「ああ、頼んだぞ、サジ」
サジィールはキィールに一礼をして、カシムと部屋を出た。
サジィールは城の回廊を歩き、周囲に誰も人がいないことを完璧に確認すると、カシムを見る、カシムも気付いて頷いた。
そのまま2人は、階段を降りて地下の別室に向かった。




