ソフィアの想い3
スパルタカスの部屋に入ると、若い女官が居た。
ソフィアは、
「後は私が…」
と言うと、若い女官はペコリと頭を下げて部屋を出て行った。
静まり返った部屋の中で、ソフィアはベッドの傍らに腰掛け、眠る二人をじっと見守っている。
もう、1日半目が覚めない。
すると、スパルタカスの長い睫毛がかすかに震え、その力強い瞳がゆっくりと開いた。
「……う、ぐ……」
スパルタカスは状況を把握しようと、すぐに上体を起こそうとする。
「あ、いけません! まだ休んでいらしてください!」
ソフィアは慌てて両手を伸ばし、彼の胸元をぐっと押し止めた。
「なっ……!?」
鍛え上げられた戦士であるはずのスパルタカスが、ソフィアの思いがけない力と、目の前に迫った彼女の顔に驚き、目を丸くして動きを止める。
我に返ったソフィアは、自分が殿方の胸に触れていることに気づき、悲鳴を上げんばかりの勢いでパッと手を引っ込めた。
「も、申し訳ありません……っ!」
顔を林檎のように真っ赤に染めながら、ソフィアはこれまでの経緯――娘さんが突然襲いかかってきたこと、リンの秘薬で傷がまたたく間に治ったことを、たどたどしくも必死に説明した。
話を聞いたスパルタカスは、驚愕に表情を歪め、すぐ横で眠る愛娘を見つめた。
「リノが、そんなことを……。……いや、間違いない。これは間違いなく、あのダースと言う豪商の仕業だ。あの男、私の口封じにリノを利用したのだな……あっこの子の名前はリノです。」
(リノちゃん)
そう頭で呼びながら、リノを見ると。
彼が愛おしそうに娘の小さな頭を優しく撫でた。
そして、スパルタカスは今度こそゆっくりとベッドから起き上がり、床に立ち上がった。
その瞬間、彼の佇まいが、いつもの粗野な傭兵のそれから、洗練された高貴なものへと一変した。
スパルタカスはソフィアに正対すると、完璧な所作で一礼し、深く洗練された声音でお礼を述べたのだ。
「私の不覚で、貴女にまで危険な思いをさせてしまった。身を挺してリノを、そして私を救ってくれたこと、心から感謝する、ソフィア殿」
「え……?」
ソフィアは目の前の光景が信じられず、パチパチと瞬きをした。
「スパルタカス様……失礼ですが、その見事な礼法は……。貴方は、傭兵ではなく、貴族の生まれ……なのですか?」
「……ああ。昔の話しです、今は闘神でも無くなり、ただの傭兵ですよ」
スパルタカスは少しきまり悪そうに視線を外した。
その事実を知った瞬間、ソフィアの脳内で、何かがカチリと音を立てて弾けた。
(元貴族! この方は粗野な一匹狼ではなく、高貴なお血筋の殿方だったのだわ……!)
25歳未婚、ソフィアは貴族で、ここデルモラードでもモーラ同様、貴族は貴族同士で結婚と言う暗黙のルールがあった。
失恋の反動もあって、年齢的な焦りで惚れっぽくなっていたソフィアの乙女心は、ここぞとばかりに大暴走を始めた。
「奥様は?」
「はい?いやっ、妻は…その亡くしてまして…」
突然大声を上げたソフィアに、スパルタカスがびくりとしながら言った。
ソフィアは一歩踏み込むと、なんとスパルタカスの大きな両手を、自分の両手でガシッと力いっぱいつかみ取った。
「男手一つでこのような小さな女の子を育てるなんて、絶対に無理ですわ! 寂しい思いもさせますし、教育だって行き届きません!」
「い、いや、しかし……」
「ですから、私がお手伝いいたします!
私がリノお嬢様をお育ていたしますから、安心してください!」
(はっ……!?)
凄い勢いで真っ直ぐに見つめてくるソフィアの熱意に、これまで戦場一筋で女性に全く慣れていないスパルタカスは、完全に頭は混乱していた。
全身を真鍮の像のようにガチガチに硬直させ、顔を真っ赤にして立ちずさんでしまう。
二人の間に、なんとも言えない甘酸っぱくも妙な空気が流れた、まさにその時。
「……お父様、何してるの?」
ベッドの中から、小さな、しかし妙に冷静な声が響いた。
いつの間にかパチリと目を覚ましていたリノが、手を握り合って赤くなっている大人二人を、じっと見つめていたのである。
あれ以来ソフィアは、2人と家族の様に過ごしていた。
(――ふふ、思い返せばあの時から、私は何で大胆な事を言ってしまったのか……)
そんな甘酸っぱい過去の回想に浸っていたソフィアは、小さく頭を振って我に返った。いまは建国前の大事な時期、自分役目をきっちりこなすことが自分の使命だと、彼女は静かに決意を新たにする。




