少年と妹
華やかな晩餐会の準備で熱気が城を包み込む裏側で、城下町の片隅にある、今にも崩れそうな薄暗い廃屋のベッドに、その少女は横たわっていた。
高熱の波に浮かび、荒い呼吸を繰り返す重病の妹。ギィ……と、音もなく廃屋の古い扉が開いた。
闇を割って姿を現したのは、若き最強の騎士ゾイル――そして、その隣には、強面に深い傷を持つ男、デルモラード地方の盟主カイル王が自ら並び立っていた。
「ここだな、ゾイル」
「はっ。間違いありません。私が少年に奪わせたあの『金袋』の気配、完全にこの家の中に留まっております」
ゾイルは、自身の特殊な術によって【あの金袋を正確に追跡できる能力】を持っていた。前日、ゾイルが真横にいるにもかかわらず、スリの少年が命がけで懐を狙ってきた時、カイル王が
「そうか?ならやろう」
とあえて金袋を奪わせたのは、ただの不用心ではない。ゾイルが金袋を追跡できると分かっていたからこそ、あえて泳がせて少年の隠れ家を突き止めるための、王と騎士の阿吽の呼吸だったのだ。
ただ、少年のあまりの身軽さと奪い去るスピードが想像以上だったため、カイル王もその時ばかりはちょっとびっくりしてしまったのだが
「……酷い熱だな。少年が命がけでスリをするわけだ」
カイル王は病床の少女の容態をひと目見るなり、胸を痛めたように眉をひそめた。そして、隣のゾイルに小さく頷く。
「ゾイル、どうする?」
「私に考えがあります」
ゾイルは懐から、過酷な【養成所】を出る時に万が一のためにと譲り受けていた、出所不明の『秘薬』を取り出した。
。ゾイルは横たわる少女の顎をやさしく持ち上げ、その乾いた唇の隙間から、秘薬を静かに流し込んだ。ゴクリ、と少女の喉が鳴る。
1時間ほどすると、あんなに彼女の肉体を苛んでいた激しい高熱が、まるで嘘のように急速に引いていった。呼吸は穏やかになり、死へ向かっていた肌に、瑞々しい本物の生気がみるみるうちに戻ってくる
「妹が居ようと居まいと、あの素早さは我が家臣として育てる価値があると思っていたが……本当に妹がいて、話の通りだったな」
カイル王は、穏やかな寝息を立て始めた少女の頭を優しく撫で、いつものガサツな豪傑の顔に戻ってニカッと笑った。すべてが、温かな救済へと向かっている。カイル王も、ゾイルがこの病床の少女を
「貧民街で必死に生き抜いてきた、少年の実の妹」
だと信じて疑っていない。――だが。誰も知らない『真実』が、この眠る少女の血脈には隠されていた。
少女自身も幼すぎて記憶にないが、彼女は少年の実の妹ではない。血など1滴も繋がっていない。彼女の真の正体は、かつて大陸の覇権を争った【某国の正統なる姫君】――側室の生まれの、気高き忘れ形見だった。
数年前、その国の絶対的な王が崩御したその夜、地獄の幕が上がった。
権力を完全に掌握した冷酷なる「正妃」は、自らの血筋以外の王位継承権を根絶やしにするため、側室、 その子供たちを捕らえ、一人残らず言語に絶する拷問の末に虐殺するという、凄惨極まる血の粛清を行ったのだ。
燃え盛る王宮から、我が子を抱いて命がけで逃げ延びた側室(実の母親)。
だが、国境の荒れ果てた崖の手前の草むらで、ついに正妃が放った残忍な追っ手の男たちに包囲され、逃げ場をなくした。
母親は、震える我が子を深い草むらの陰へと押し込み、その小さな肩を強く掴んで、血を吐くような声で言い含めた。
「何があっても、声を出したらいけません……!」
それが、母と子の最後の会話だった。
母親は涙を拭い、覚悟を決めた凄絶な笑みを浮かべると、我が子から視線を逸らすようにして、自ら追っ手の男たちの前へと踊り出た。
「お前たちは、あのババア(正妃)の手下だろ……! どうだい、私を自由に好きにしていい。見逃してくれるなら、私は何でもするよ」
妖艶に、泥にまみれながら自らを囮として差し出した美しい側室。追っ手の男たちは、極上の獲物の言葉に
(そりゃあ大喜びだ。好きにしてから連れて帰ればいい)
そう思いながら下卑た笑みを浮かべ、完全に油断して彼女を取り囲んだ。――その、親玉の男が、ニヤつきながら彼女の身体に触れるために草むらに踏み込んで行った、その瞬間。
「が、はっ……!?」
衣服の奥に隠されていた鋭利な短剣が、親玉の肉体を深く貫いた。
「うわっー」
親玉の絶叫が響き渡る。
側室の母親は、怯えながら男たちに
「そこから…」
と後2人に言って、怯えた様にしながら背後に逃げて残り2人の追っての後ろに回った瞬間、一人の追っ手を容赦なく刺殺した。
「貴様ぁぁぁーーーっっっ!!!」
残された最後の男が、怒り狂って剣を抜き、彼女へと襲いかかる。
武器を失った母親は、しかし、その瞳に一切の恐怖を宿していなかった。
彼女は草むらに隠れる我が子の未来のためだけに、狂気的な咆咆を上げ、向かってくる男の身体へと、自らの命を賭して全力で体当たりを敢行したのだ。
「あ、あわわわ――!」
均衡を崩した男と母親は、そのまま、深い崖の底へと、絡み合ったまま真っ逆さまに転落していった。静寂が戻った荒野。親玉ともう一人の死体、そして、崖から転落して確実に絶命した母親。すべてが終わった後、草むらの中で、母親の
「何があっても動いてはいけません」
という約束を健気に守り、声を殺して泣き続けていた孤独な姫君。
少年の母が彼女を拾い、今じゃその母も亡くなり、実の妹として今日まで命がけで育ててきたのが、あのスリの少年だったのだ。
少年も知らない。
妹もその記憶を失っていた。
「……う……ん……」
ゾイルの秘薬によって病魔を完全に討ち払われた少女は、愛らしい顔で小さく微笑み、再び深い眠りへと落ちていく。彼女が某国の悲劇の姫君である真実は、未だ世界の誰も知らない。
その光のすぐ裏側で、少女はカイル王とゾイルの手によって、新しい未来を紡ぎ始めるためにその命を繋ぎ止めていたのだった――。
その時
「――はぁ、はぁ……っ!」
ガタガタと古い扉を激しく押し開けて、息を切らしたスリの少年が廃屋へと飛び込んできた。 その腕には、外の井戸から汲んできたばかりの、冷たい水の入った手桶が固く抱えられている。 少しでも重病の妹の頭を冷やしてやりたい――その一心だけで、彼は街を必死に駆けて戻ってきたのだ。
だが、室内に足を踏み入れた瞬間、少年の身体は恐怖で完全に硬直した。
「……あ」
手桶を持つ手がガタガタと震え、冷たい水が床にこぼれ落ちる。薄暗い部屋の奥、妹のベッドの傍らに立っていたのは、昼間に自分が命がけで金を奪った強面の王――カイル王、そして手首を捕らえてきたあの恐るべき騎士ゾイル、さらに謎の無表情な少女リンの姿だった。
(な、なんでここに……!? バレて、追ってきたのか……!?)
ゾイルの凄まじい闘気に気圧されながらも、少年はベッドの妹を守るように叫んだ。
「い、妹に何をしたんだ……っ!!」
少年は恐怖を怒りに変えてベッドへと駆け寄り、妹の身体を抱き起こそうとした。――しかし、少女に触れた、その瞬間だった。
「え……?」
少年の思考が、真っ白にフリーズした。
さっきまで衣服越しにも伝わってきた、命を削るようなあの恐ろしい高熱が、跡形もなく消え去っている。
それどころか、死に瀕していた妹は、まるで今までにないほど穏やかな、瑞々しい本物の寝息を立てて 「治って」いたのだ。
「な、治ってる……? 嘘だろ……。どうやって……どうやって治したんだ……っ!?」
あまりの奇跡に、少年は涙を流してカイル王たちを見上げた。ゾイルが養成所で手に入れた秘薬の圧倒的な効果。
しかし、少年にはそれが神の奇跡のようにしか見えなかった。 少年はボロボロと大粒の涙をこぼしながら、懐から昼間に奪ったあの重い金袋を取り出し、両手でカイル王の前へと差し出した。
「あんたが……あんたたちが、妹を助けてくれたんだな……っ! ありがとう、本当にありがとう……っ! この金は返す! だから、俺をどうとでもしてくれ……っ!!」
命よりも大切な妹を救ってくれたカイル王に対し、少年は震える声で、心の底からの感謝と服従の意を示した。そんな少年の姿を見下ろし、カイル王は、いつものガサツで豪快な顔に戻ってニカッと笑った。差し出された金袋を、大きな手でぐいっと少年の胸元へと押し戻す。
「フン、バカを言え。一度王が差し出した金を、おいそれと引っ込められるか。それは返すな、持参金だ!」
「え……じさ、んきん……?」
呆然とする少年に、カイル王はニヤリと不敵に口元を歪め、彼の小さな肩を力強く叩いた。
「お前は今日から私の家来だからな! その金で、まずは妹に美味いもんと、まともな服でも買ってやれ。明日からは、我が城で死ぬ気で働いてもらうぞ!」
「っ――――」
少年は、言葉を失って号泣した。ただのスリの犯罪者として処刑されるどころか、妹の命を救われ、その上、今日から一国の王の公式な『家来』として、真っ当に生きていく居場所を貰えたのだ。
「……はいっ! はい……っ! 俺っ…私は御主人様に一生付いていきます……! カイル王……っ!!
…私はルカと言います。
妹はララです。」
暗闇の廃屋の中、一人の少年の命が、カイル王という絶対的な太陽によって、本物の忠義へと塗り替えられた瞬間だった――。
そして、現在。賑やかな晩餐会の席で、カイル王は相変わらずガサツに笑いながら美酒を煽っている。その隣でシオン姫が愛おしげに彼を見つめ、裏ではゾイルが静かに控え、救われた少女は温かいベッドで眠っている。完璧な光と影の群像劇の中、デモノ王の知らないふり挨拶が終わり、晩餐会もそろそろお開きの時間になった。




