シオンの思い
なみなみと注がれた美酒の香りが満ちる晩餐会。
その喧騒の中で、同盟国の姫シオンは、隣で豪快に杯を傾けるカイル王の横顔を、ふと見つめた。その刹那、シオンの脳裏に、前日の昼間に起きた『あの街での出来事』がありありと蘇った。
前日、シオンは街の雑踏の中たまたまカイル王たち見た。
つい物陰に隠れて…その時、人混みに紛れて一人のスリの少年が、カイル王の懐を狙って音もなく接近していった。
カイル王はその気配に全く気づいていなかったが、彼の隣に控えていた若き最強の騎士ゾイルの目は誤魔化せない。ゾイルは少年の手が触れる直前、その手首を無言でガシッと完璧に捕らえた。カイル王はスリの少年にすら気づいていない。そして何より、物陰に隠れて自分たちを見ているシオンの存在にも、カイル王は全く気づいていなかった。だが、鋭敏なゾイルだけは、シオンがそこに隠れて見ていることをしっかりと知っていた」。
ゾイルはカイル王に知らせる風もなく、ただシオンの視線に気づきながら無言で役目を果たしたのだ。隠れてその様子をすべて目撃していたシオンは、心の中で密かに溜息をついていた。
(カイル王は、街中で全くの無警戒とか……あの人は、ちょっと鈍いのかな?)
シオンは表向きこそ誰もが恐れる「男勝りの女傑」として烈実に振る舞っているが、その内面はとても繊細な「お姫様」そのものである。
だからこそ、カイル王のギャップに人一倍敏感だった。シオンが知るカイル王という男は、いつもはガサツな豪傑のような、いかにも粗野な話し方をする。だが、その顔に深い傷を持つ強面のカイル王は、公式の場や必要に迫られた局面になると、行き成り見事なまでの高貴な言い方に切り替わるのだ。
(ガサツで乱暴に見えて、場所をわきまえてちゃんと高貴な口調になれるんだ……)
日頃からシオンは、カイル王のその二面性を観察してシオンは一つの確信に至っていた。
(あの人は時折高貴な口調をしてみせるけれど、やっぱり本性はあの『ガサツな豪傑』なんだわ。高貴な方は外面だけで、中身はただのガサツな男なんだ)
今まではカイル王の本性を「ガサツ」だと思っと思ってたシオン。
ゾイルに手首を完璧に捕らえられたスリの少年。普通なら兵に引き渡される不穏な空気が流れる中、カイル王は怒る風もなく、ふっと目線をその少年の高さへと合わせた。
「何故だ?」
カイル王は隣のゾイルをチラリと見て、少年に向かって言葉を続けた。
「私の護衛の凄さはお前でも分かったろうに!」
大陸最強の一角であるゾイルが真横に控えているのだ。素人目に見ても、スリなど成功するはずがないそれなのに、なぜ敢えて手を伸ばしたのか。
カイル王の問いに、少年は必死に涙を堪えながら、狂気的な目で叫んだ。
「妹が病気なんだ! 金がどうしても必要なんだよ!」
その言葉を聞いた瞬間カイル王は、彼は優しく穏やかな目を少年に向けると、静かに頷いた。
「そうか? ならやろう」
シオンは物陰で
(バカじゃないの? そんなの嘘に決まってるのに)
と思っていたが…
カイル王が懐から金袋を取り出し、ゾイルに渡すような仕草をみせた――その瞬間。少年はカイル王の手元からサッと金袋を驚異的な素早さで奪い取り、そのまま雑踏の奥へと一目散に逃げ去ってしまった。あまりの出来事に、残されたゾイルが思わず
「いいんですか?」
とだけ、硬い声でカイル王に問いかけた。
ゾイルはそれしか言わなかったが、主のあまりの不用心さを案じているのは明白だった。だが、カイル王の口から漏れたのは、いつもシオンが聞いている『ガサツな豪傑』のそれとも、場所をわきまえた『高貴な言い方』のそれとも全く違う、静かで、どこか悲痛な響きを孕んだ言葉だった。
「あんな少年が、ゾイルが居るのにスリをするとは、命掛けだろ?」
カイル王は逃げていった少年の背中をじっと見つめ、己の胸に刃を突き立てるかのように呟いた。
「子供が命掛けでスリをしないと生きて行けない国なんだよ……私の治世が悪いと言うことだな」
と寂しそうな顔をするカイル王を
(――え……?)
見て居たシオンは、心臓を強く抉られたかのような、凄まじい衝撃を受けていた。
ガサツでも、高貴でもない口調。何の飾りもない、一人の治世者としての絶対的な責任と、底知れぬ慈愛。
(これが……これが、本当のカイル王なんだ……!)
シオンは悟った。この男も自分と同じなのだ、と。戦場で、そして王宮という魔窟で国と民を背負うため、誰もが恐れる「男勝りの女傑」を演じ続けるシオン。そして、同じように周囲を引っ張るために「ガサツな豪傑」や「高貴な王」を必死に演じ分けているカイル王。その剥き出しになった本物の素顔に触れた瞬間、シオンの胸の奥に、かつてないほど強烈な『親近感』と、愛おしさがドクドクと湧き上がってきた。カイル王は、少年のあまりの身軽さに、ちょっとびっくりしたように苦笑した。
「どうせ暮らしも楽でもないんだろ?」
と言ってゾイルを振り返った。
「一応後を付けて、妹が居ようと居まいと――我が家来にしよう」
「御意」ゾイルは主の真意をすべて汲み取り、音もなく少年の追跡へと走ったのだった。
それを見送るシオンは、何が胸に込み上げてくる感覚を感じていた。
その思いが何なのか…
晩餐会でカイル王の顔を見ているシオンの顔は少し赤くなっていた。
(飲み過ぎたかな?)
日頃から、酒には強い。
それも強い姫を演じる為に、訓練したはず
(この程度で…)
どうなってるのか、良く分からないシオンだった。




