兄貴分
城幸嗣は、タブレットに届いたメッセージを眺めていた。差出人は地元に住む妹だ。
『兄ちゃん、おつかれ!お母さん、今日はちゃんと病院行ったよ。検査の結果はまた連絡するけど、元気だよ!』
幸嗣は小さく息を吐く。母親が病院へ行ったことにひとまず安心したものの、検査の結果を聞くまでは気が休まらない。少し考えてから、返信を打ち込んだ。
『分かった。母さんに無理しないように言っといて。大変だろうけど、舞もたまには好きに遊びに行ってこいよ。あと、金がいるからって目先の甘い言葉に乗っかるなよ、舞も何かあったらすぐ連絡して。』
送信すると、すぐに既読がつき、『はーい!』とだけ返信が来た。
幸嗣の母親が職を失ったのは、数か月前のことである。長年勤めていた職場でリストラに遭い、そのショックからかしばらく体調を崩していた。少しずつ回復し、今では新しい仕事を探しているところだった。
昨今の毘世拝都では、決して珍しい話ではない。産業の機械化が進み、人間の仕事は次々と奪われていた。生産性が上がる一方で、職を失った者たちの受け皿は十分に整っていない。幸嗣の実家も、そうした社会情勢の影響を受けた家庭の一つだった。
母親の収入が途絶えた今、家計を支えるのは幸嗣の軍人としての給与が中心である。毎月、受け取った金額の大半を実家へ送っていた。もっとも、母親はあまりいい顔をしない。自分の稼いだ金は自分のために使いなさいと、電話するたびに言われていた。
家族が金に困っているのに、自分だけ好き勝手に金を使う気にはなれなかった。幸い、軍にいる限り衣食住にはそう困らない。多少手元に残る金が少なくても、生活に支障はなかった。
ただ、母親にはもう少し身体を大切にしてほしかった。女手一つで兄妹を育ててくれたのである。要らぬ苦労や心配は、なるべくかけたくなかった。体調を崩しているのならなおさらである。
幸嗣はもう一度、舞から届いたメッセージを読み返した。
「…ふう」
口にしたところで、背後から不意に声がした。
「妹ちゃん?」
「うわっ!」
幸嗣は思わず肩を跳ねさせる。振り返ると、見慣れた男が笑みを浮かべて立っていた。
胸には中尉の階級章が付いている。幸嗣は慌ててタブレットを下ろし、敬礼した。
「そんな驚く?」
英連は答礼し、楽しそうに笑った。
人懐っこい笑顔を浮かべたその男は、幸嗣にとって昔からよく知る相手だった。家が近所で、幼い頃から何かと面倒を見てもらった、兄のような存在だ。現在は幸嗣と同じく軍隊に所属しているが、階級も部署も違うため、こうして顔を合わせる機会は稀であった。
「英中尉、いつからおられたんですか」
「今来たところ。何、そんなに見られたくないもんでも見てた?」
「いえ、妹と連絡していただけです」
「やっぱり?相変わらず仲いいね、お前たち」
行き交う隊員を避けるように、二人は廊下の端へ寄り、連は壁に軽く肩を預けた。
「ていうか、お前に敬語使われるの気持ち悪」
「ですけどいつも通りという訳にはいきません。他の隊員に見られたら…」
幸嗣は肩をすくめる。
「ふーん、まあ二人で話す時なら気にしないけどね」
飄々とした様子で連は言った。
「妹は元気?」
「はい。相変わらずです」
「そう。おばさんは?」
「…まあ、ぼちぼちっすね」
幸嗣は少し間を置いて答えた。連も、幸嗣の母親が仕事を失ったことは知っていた。幸嗣の家庭事情について、昔から気にかけてくれている数少ない人物の一人である。
「仕事はまだ見つからないの?」
「まあ、なかなか難しいみたいで」
「そっかぁ」
連は小さく頷いた。
「どこもそんなんばっかりだもんねえ。何でもかんでも人が要らなくなるってのも考えもんだよねぇ」
「…そうですね」
「幸嗣、お前は大丈夫なの?」
「俺?」
「そう。仕送りもしてるんでしょ?」
「まあ俺は、ここにいれば飯も食えるし」
「いや、そうじゃなくてさ」
連は苦笑した。
「自分のことにも、ちゃんと金使えよ」
「使ってますって」
「ほんとぉ?」
「ほんと」
幸嗣が真面目な顔で答えると、連はしばらくその顔を眺めてから、ふっと笑った。
「まあお前、妹のためなら何でもしそうだしね」
「…別にそんなことない」
「いやいや、今も立派なシスコンでしょ?どうせまた、長文のメッセージばっか送ってるんじゃないの?」
「違う!今はだいぶ短くしてるんだよ!」
幸嗣は即座に否定した。連がけらけらと声を上げて笑う。
「ははっ!うそうそ!」
悪びれもせずに笑う連を前に、幸嗣は呆れてため息を吐いた。
子供の頃から、連は何かにつけて幸嗣をからかっていた。悪気があるわけではない。それに、こうして気にかけてくれること自体は、幸嗣にとってもありがたかった。
「そういえばさ」
ひとしきり笑ったところで、連が思い出したように口を開く。
「幸嗣、鼎って奴、知ってる?」
「鼎?」
「そう。鼎榊」
幸嗣は顎に手を当て考えた。名前には聞き覚えがある。所属部隊こそ違うものの、同じ時期に兵役に就いた若手隊員の一人だったはずだ。ついこの間行われた合同訓練で、ちらりと名前を見た気がする。射撃訓練でかなり良い成績を取っていた奴だったか。
「あー、名前は見たことあるかも。顔は忘れたけど。なんで?」
「いや、この前ちょっと一緒に仕事する機会があってさ」
「なかなか面白い奴だったんだけど」
「面白い?」
「うん。なんかお前っぽい」
「なんだそれ」
幸嗣は首をひねって連の顔を見た。話したこともない相手と似ていると言われても反応に困る。顔が似ているということだろうか。
「仕事できる男って感じなんだよ」
「ふーん…」
幸嗣は少し意外に思った。連が他人を褒めること自体は珍しくない。人当たりのいい男だから、誰かの長所を見つけては気軽に口にする。そのおかげで交友関係も広かった。所謂人たらしというやつだろう。
ただ、そうは言っても兵役二年目のペーペーだ。連がわざわざ名前を覚え、こうして話題にするほどの人物なのだろうか。「一緒に仕事をする機会」とやらが余程強烈だったのだろう。
「お気に入りですと」
「ん?まあ、そうね」
連は笑った。
「お前みたいなタイプの人間が好きだからかもね、男でも女でも」
「俺タイプ?」
「うん。真面目そうなところとか、色々考えるところとか」
「もっと話してみたら案外違うかもよ、そいつも」
幸嗣は話を逸らした。自分のことを褒められるのは、どうにも落ち着かない。
「そうかもねぇ」と連も軽く返す。そしていかにも名案を思いついたかのような顔で「今度会ったら話してみなよ。案外気が合うかもしれないし」と勧めた。
「…まあ、タイミング合えば」
幸嗣は曖昧に答えた。面識がないに等しい相手だ、今のところ特別な興味があるわけではない。ただ、連がそこまで言うのなら、少なくとも変わった人物ではあるのだろう。
幸嗣は何となく、その名を頭の片隅に留めた。




