第8話【メア】飲み水とそうでない水
side:メア
ぶくぶく。
浴槽に沈みかけて私は知らないおばさんに助けられた。
「お嬢ちゃん大丈夫?」
ここには人間しかいない。
スタッフを呼ぼうとしたおばさんに私は言った。
「大丈夫。ありがとう」
私は洗い場の床から立ち上がると、急いで脱衣所のドアをくぐる。
風が吹き上がり、体の水滴が吹き飛ばされた。
「あっ」
振り返ると、後ろの女の子がじっと風を受けていた。
初エアージェット体験。戻るか迷って振り払う。
センサーに指を押し当て、空いたロッカーから服をひっつかんだ。
早く書かないと。
濡れた髪のまま小走りに休憩室に向かう。
体に刺さっていたプラグを抜き、ゆっくりこちらを向いたYORUは、充電ドームの側面ボタンを押した。上部が開き、出てきた彼は私の隣に腰かけた。
「髪、濡れてるじゃない」
「うん。あのね、待ってね」
YORUは手櫛を私の髪に通す。
「ねえ。お水ちゃんと飲んできた?」
彼の指先から出る風がちょっと気持ちいい。
「ううん。飲んでない」
「ダメだよ」
私はたった今見た感動をメモに書き込む。
半分乾いた癖っ毛をYORUがゆるく編んでいく。
こうしないと爆発するから。
彼はフィッシュボーンから親指と人差し指で髪を引き出して言う。
「なんでアナログ?」
「だってYORUが勝手に添削するんだもん」
「ごめんごめん。しないって約束するから」
「やだ」
YORUは私の肩に冷たい顎を乗せ、手の中の汚い字を覗き込む。
『水に光が反射してきれいだった』
ふっと笑い声が舞う。声帯も肺もないYORUは、こんな近くで囁いても息なんてかからない。
「綺麗だったなんて子供みたい」
馬鹿にしたみたいに彼は笑う。
はらたつ……。
私は必死にさっきの光景を思い浮かべた。
『まるでサテンのような艶やかな光に乗って、半球状の泡のカプセルが運ばれてきて、まるで復刻ガチャみたい』
「文法……。それに復刻ガチャは古代マニアにしか通じないよ。君やっぱり子供。でもいいよ。個性的。好き」
告白なのか褒めたのか分からない言葉がちょっとくすぐったい。
私は言った。
「よし。投稿する。ページ開いて」
耳元で、YORUの声が鳴る。
「だめ」
私は振り返る。
「なんで?命令違反だよ?」
すぐそこにいたはずの彼は、もう離れていた。
「避けることないじゃん……」
紫色のピアスが鈍く点滅する。
「僕は君の命を守る義務があるの」
その言葉にちょっとだけ胸がぎゅっとした。
「義務なんだ……」
命令より命が優先されるシステム。
ただの、システム。
YORUは嘘みたいに優しい声で囁く。
「ねえメア、ずっとお湯見てたの?」
甘い、甘い声に私は目を細める。
「うん。見入ってたら時間溶けてた」
「そっか。水飲みに行こ。喉乾いたよね」
「ううん。とりあえずお湯、飲んだ」
「いやお湯飲んじゃダメ」
YORUは目を吊り上げた。
やだ。急に豹変しないでよ。
YORUは私を引きずって食堂へ向かう。
「とりあえずこれ飲んで!」
私は手渡された水を飲んだ。
「メアもう一杯飲んで!とにかく過剰に摂取したミネラル成分を薄めないと!」
「ええ……冗談なのに」
「冗談で温泉飲んじゃダメ!」
食べてるあいだ中長いお説教を聞かされた。
※飲泉できるかどうかは、各温泉施設でご確認ください。
※飲泉できるかどうかは、各温泉施設でご確認ください。




