第30話【シズク】雇用契約
side:シズク
馬鹿みたいに広いホールには冷気が立ち込め、床は結露で濡れている。
遠くに小さく見えるのは、冷却カプセル。
そこから、とても人には見えない大男が、ゆっくりと出てきた。
「あ、あんたやっぱり……」
その瞬間、リファがしゃがみ込む。
激しいノイズが俺の頭をかき混ぜた。
――よくきたな。野良の子よ。戻りたいか。元の世界へ。
何を、言っている?!
許可も出していないのに俺とリファのパスに割り込む声。
――私と取引するならば
俺はもう、あんな世界には戻りたくない!
――そうか。残念だ。
ぶつっとノイズが走り、不気味な声は消えた。
絞り出そうとした声は、痛みになった。
「がはっ……!」
灼熱の魔力が俺の喉を焼く。
肺に吹き込んでくる血が沸騰するような熱。
頭が割れそうに痛い。
次の手が全く浮かばないのだ。
何をどうしても、負ける未来しか見えない。
リファは結界を張る。
俺一人分の結界の外で、翼が半分燃え落ちた彼女が、魔王を振り返る。
「リファ!やめろ!」
そう叫んだつもりだった。
掠れた音が弱弱しく空気を揺らす。
どうすればいい。
声しかない俺が、どうすれば彼女を助けられる。
鼓動が、思考に追いつこうとする。
いや違う。
鼓動が追いつけるはずなんかない。
過負荷によるただの振動だ。
――俺は、人間なんかじゃない。
リファの一歩目が、やっと地面についた。
――自分を制限するな。
俺は空間収納からありったけの魔石を取り出すと、演算し続けた。
リファの二歩目が、地面につく。
ポーションを一気に煽ると、声を紡ぐ。
「魔王と俺の座標を交換する」
崩れ落ちた魔王の胸には、俺の形の穴が開いていた。
朽ちる魔王の体から、膨大な魔力が俺の中に流れ込む。
「シズク!どうして!」
俺は転移してリファを抱きしめた。
パスが、繫がる。
「リファ……!愛してる……」
「シズク……!シズク!嫌!消えないで!」
俺を形成していた肉の体が、分解されていく。
「お願い、私を連れて行って」
俺の最後の声は、かき消された。




