ラスト・アクション・ヒロイン
その日、『オリーブ』テイラーは、仲間たち数人を集めて、いつものように安い酒──ビア・ザ・スターという、ビール風飲料──小便よりは酔えるだけマシな液体──を流し込みながら、たまり場になっているノースロード四番街でくだらない話をしていた。オールドハイトで一番物騒なサウス地区と比べて、ノースロードは文明地区と言われている。
テイラーはそんなノースロードのリバーサイドにある、ヨットハーバーで時たま手伝いをしながら暮らし、ようやくバーで一杯やれるような身分だ。ハイスクールを出てから数年、フラフラして悪友達と悪さをする毎日。
金がほしい。
オールドハイトはご多分に漏れず、貧富の格差が大きい都市だ。貧困にあえぐ移民、プアホワイト、容赦なくリストラされるブルーカラー──。
テイラーのまわりの人間はそんな連中ばかりだ。少しでも文化レベルを上げようとしても、結局飲むのは同じ酒、絡むのも同じ連中。彼は心底嫌になった。金さえあれば、こんな生活から抜け出せるのに。
皮肉なことに、彼の周りにいる連中も同じことを考えていた。金さえあれば。しかし金は木に成るものでもなければ、降ってくるものでもない。知恵もコネも足りないテイラー達にできることなど限られている。
「女を一人狙えばいい」
元軍属というのが自慢のホッジスが言った。
「金持ちの女だ。金持ってるし、力も弱いからいざというときどうとでもなる。いろいろ搾り取ったら俺たちも楽しめるぜ。捨てるところがねえ」
ホッジスは間違いなく仲間内でも最低のクズ野郎だった。でもいいアイデアだとも思った。ルイスはコストコの会員だったので、銃と弾を二ケースも持っていたから、テイラーは女一人くらいならなんとかなりそうな気がしてきていた。
ただ、今となってはそれは大きな間違いだ、と気づいた。それは既に遅すぎた。
「何なの……」
女はひとりごちた。その瞬間、男がひとり倒れていった。
テイラーは頭から血を流し、地面に倒れ伏していた。それは、自分がわけがわからないうちに壁に頭を叩きつけたからで、歯も何本か折れたからだ、と気づくまでに数十秒を要した。赤く染まった視界の端で、ホッジスが文字どおり全身から血を吹き出して死んだ。
死んだ。
こんなはずじゃなかった。ノースロードの外れにある、川へ抜ける暗い路地。どこのブランドかは知らないが、とにかく高そうな服を着ている女だった。シンプルなブラウンの手提げ袋を持ち、もう片方の手にも、いくつかブランド名の書かれた箱を持っていた。肩の出た白いノースリーブ。ダメージジーンズを履き、首元にはシルキーなブラウンのスカーフ。浅黒い肌、やけに瞳に力がある女だった。最後に残ったルイスが銃を構えていたのが唯一の希望だった。撃て。テイラーは霞む視界の中で口をもぐもぐ動かした。声にはならなかった。
その時、テイラーの耳に音が響いた。大きな音ではない。耳にわずかに届くような、嫌な音だった。それはまさしく、軋む音だった。本来そう存在しなければならないものの均衡が意図的に崩された音。骨が、軋む音。
テイラーは、確かに見た。女の肩がうねったような気がした。その度にあの嫌な軋む音が彼の耳を苛んだ。
「死ねェーッ!」
トリガーを引き、マズルフラッシュが路地を照らした。カメラが閃光でフィルムに映像を焼き付けるように、テイラーの脳裏にその瞬間は焼き付いた。『女がまるで、銃弾を自力で避けた』ように見えたのだ。
ルイスは顎に掌底を叩き込まれ、数十センチ浮き上がった。本当に浮き上がったのだ。しかも何か突き刺さっていた。ぶつり、と抜かれた瞬間、血がアーチになって夜空を舞った。
誰も信じてくれなかった。でもホッジスもルイスも死んだ。オールドハイトがヤバイということは、誰でも知っている。あの女も、そんなヤバイ人間の一人だったのだろう。
「最悪……」
女は死体に目もくれず、ベルトへ手に握り込んでいた小さなナイフを仕舞うと、地面に置いていた荷物を拾い上げた。そしてすぐそばのアパートへ入っていった。『5』とだけ書かれた入り口に吸い込まれていく女を見たのが、テイラーがその日見た悪夢の全てだった。
昨日は飲み過ぎた。頭を誰かが殴りつけているような。アンナ・マイヤーは最悪の気分で起きた。ベッドの隣には、相棒のクリスの姿はない。
ベッドのサイドテーブルには、クリスの買った本がタワーになっていて、その後ろにデジタル時計が隠れていた。銀色のシガーケースもそこに置いていたので、時間を見る前に彼女はその中身──ヘンリエッタ・Y・チャーチルズ──高級葉巻──を咥えた。火を点けずとも、そうするだけで思考がまとまる。
「11時? ずいぶん早起きしたな」
脱ぎ捨てたコートやワイシャツを拾い上げながら、自分が紫色のショーツだけしか身に着けていないことに気がついた。足に、ビールの空き缶があたって転がる。酒飲んでセックスしていいご身分だ。しかし、リビングの方から聞こえる声は、どうやら能天気にして良い人物のものではなさそうだった。ワイシャツを羽織って、リビングへの扉を開ける。
「おお〜う、よしよし。シュークリームは美味いかい?」
「美味しい」
アンナが見たのは、女の膝に腰掛けながら、朝っぱらからシュークリームを頬張るクリスの姿であった。
女はリビングのイスに腰掛け、ニコニコとそれを見ていた。鷲鼻に丸いレンズのサングラスをかけ、ウェーブがかった長い金髪をエスニックでカラフルなバンダナで留めている。ゆったりとしたポンチョの上からでも、彼女が背が高く細い体つきであることが分かる。とはいえ、顔に刻まれた皺は、それなりに人間としての年数を重ねたことが伺えた。
「ババアになるとねえ、ガキを食わすだけ食わして太らせるのが趣味になるんだよ」
「僕、あんまり体型変わんないけど」
「だから食わしてんだろォ〜? こんな若いのに細っこい身体しやがって! 今度はあたしが特製のブラウニーを持ってきてやるからねえ! カロリーの核弾頭だよ!」
「朝っぱらから何なんだ、ゴールドストンの婆様」
女はサングラスを額に載っけると、にい、と心底嬉しそうに笑った。
「朝からお盛んなことだねえ、アンナ。見ての通り、おやつタイムだよ!」
声がでかい! ゴールドストン婆様は御年70を超えているが、老いてなおますます盛んな婆さんだ。
「二日酔いで頭いてえの。ガンガン話すのはやめろって……家賃ならちゃんと払ってるぜ」
彼女はオールドハイトの成功者の一人であり、不動産投資で財を成した大富豪でもある。
「んなこたあ分かってるよ。……アンナや、今日は仕事を頼みに来たのさ」
アンナは眠い目から一気に覚醒すると、鋼鉄製の右手──この義手が、アンナが鉄腕と呼ばれる所以だ──に葉巻を取ると、左手でシュークリームをむんずと掴み、口へ運んだ。糖分がさらに鉄腕の頭脳を回転させる。
「アンタの仕事で好きなのは金払いがいいとこさ」
「大船に乗った気でいな。……ま、話は簡単だ。ノースロード12番街5に、あたしの持ってるアパートがある。そっから、住人を追い出してくれればいい」
「また随分とご機嫌だな。アタシにチンピラのマネをしろってのか?」
「まあ、平たくいやそうだねえ」
ゴールドストン婆様は、ポンチョの裏側から長煙管を取り出すと、マッチでそれに火を点けた。昔は大麻もやったらしいが、さすがに今は辞めたらしい。
「ただ、そのアパートに住んでるのは女ひとりなのさ」
「じゃ、わざわざアタシじゃなくていいだろ」
「ああ、そう思ったさ。奴さん、三階建のアパートを独り占めして、よりにもよって自分のモノだらけにしやがったんだからね。始めは、軍隊上がりの男と清掃会社を十五人送り込んだ」
「剛毅だことで。首尾は?」
「一時間持たなかったさ。べつに悪魔が住もうが、あたしは家賃さえ払ってもらえりゃいいが。他の住人に迷惑をかけた挙げ句、よりによって追い出して勝手に自分のモノ置き場にしてるなんざ、どうにも許せないってわけさ」
暴力には暴力を。
ゴールドストン家はこれでも、政治家だの事業家だのをやまほど排出した名門家らしいが、ことこの婆様に限ってはそうした高貴さというか、潔癖さがまるでない。ファックされれば、ファックし返す。この街で女だてらに生きるということは、タフであらねばならぬ。
鉄腕は、そうした面で彼女を尊敬している。いるが、こうして突然くるのだけはいただけない。大家だからと、我が物顔で部屋に上がり込むのだ。迷惑なことこの上ない。
「じゃ、そいつを追い出せばアンタも帰ってくれるってわけだ」
「孫を可愛がるくらいこの老いぼれに楽しませとくれよ」
「アタシはアンタの股から産まれた覚えはねえし、クリスもそうだろうよ」
ゴールドストン婆様はむくれながら、最後のシュークリームへ手を伸ばそうとした。残念ながら手は空を切った。
「食べちゃったよ。残念」
ゴールドストン婆様はため息をついていった。
「あんたの教育、なってないんじゃないかねえ」
「バカ言っちゃいけねえ。アタシはアウトローさ。教育なんて言葉とは無縁だ」




