叛逆せよ!
「下の連中をうまくかわしてきたようだけどな。……俺は皇帝だ。俺はこの国の王だ。侵略者に負けること自体、ありえないんだよ!」
一瞬、皇帝の眼が青く輝いたような気がした。途端に、鉄腕の脳裏にビジョンが浮かぶ。
死。死のビジョン。首にかかる縄。こめかみを撃ち抜く銃弾。おびただしい血が身体から吹き出す。
テレビが切り替わるように、ビジョンが切り替わる。
天井の染み。のしかかる体重。男の脂の匂い。雨の匂い。花束。鉄の腕。血まみれの手。黒い影。『テクノロジーによって、人は生き長らえることができる。奉仕すべきは人なのだ』──。
鉄腕は拳を握っていた。それは復讐や、後悔という薪をくべて燃やす、怒りの炎の表出に他ならなかった。
死ぬくらいなら殺してやる。
そうしていたのは、数秒か、はたまた数十秒だったか。ビジョンが終わり、現実に引き戻された時、目の前にはマントを翻した皇帝が日本刀を振りかぶっているところだった。
鉄腕は刃を鉄の肌に滑らせる。火花が飛ぶ。自分も回転すると、そのまま左拳で男を殴り飛ばす。階段を転がり落ちる皇帝は、そのまま二階の踊り場にうずくまって動かなくなった。いや、動こうとしている。ただ身体がついていかないのだろう。必死に日本刀に手を伸ばそうとしている。
「させるかよ。よくもまあアタシの機嫌を悪くさせてくれたな。素敵な夜が台無しだぞ」
階段を降り、とどめを刺そうと一歩を踏み出したその時であった。突然、皇帝の側にいた女が鉄腕の腰に飛びついてきた。バランスを崩し、皇帝がそうしたように階段を転がりそうになる。飛びついてきた女も。
鉄腕はとっさに頭から落ちるのを防ごうと、両腕を前に突き出す。そのまま側転の要領でくるりと回ると、今まさに落ちようとしている女を抱きとめ、一緒に階段を転がり落ちた。
スマートフォンがその衝撃で階段の下まで転がったが、今はそんなものを気にしている場合でもない。
「無茶だねえ、アンタ」
じたばたと暴れる女が叫ぶ。
「ケイ様!」
耳に届いた言葉に呼応したのか、はたまた皇帝の意識が戻ったのかはわからない。ただ、彼は日本刀を握り、がばと立ち上がった。
おぼつかない足取りであった。テンカウント寸前のボクサーのような状態、鼻血は垂れているし、とても戦えるような状況ではない。
だが彼は立ち上がった。そして、叫んだ。
「生きてる!」
口の中も切っていたのか、血交じりの唾液を飛ばしながら。
「負けないぞ、侵略者! ──ここは、俺の国だ!」
そう言うが早いが、彼はコートのポケットから文庫サイズの本を取り出し開いた。目が凄まじい勢いで動き、ページがペラペラと開かれた。
皇帝はそれを見ながら呟いていた。小さく、低く。
「俺は強い。俺は斬れる。なんでも斬れる……」
投げ捨てた本には、日本語で何か文字が書いてあったが、鉄腕にはわからなかった。その場にクリスがいたら、それが日本のサムライ・ノベルであったことが分かったかもしれない。
「読書の時間は済んだか、皇帝陛下さんよ!」
鉄腕は拳を握り、ノックアウトを狙うべく、右ストレートを放つ。しかし様子がおかしい。皇帝は手を前に突き出し、刃を上向きに構えると、柄を握った右手を引いた。これ即ち悪を断つ剣。サムライ達が遺した技、平突きの構え!
ヤバイ。
鉄腕のカンは正しく働いた。右ストレートは、低く構えたケイを捉えること叶わず躱された。弦を引いた弓矢が放たれるが如く、神速の刃が鉄腕の顔に迫る。彼女もまた、顔をわずかに傾けそれを避ける。葉巻が弾け飛び宙を舞い、顔に赤い線が引かれる。
顔が迫る。鉄腕は引かない。彼も。ならば取るべき方法はひとつ。彼女は思いっきり額をケイに叩きつけた!
アメリカン・クラッカーのごとき勢いで、背中から地面に叩きつけられるケイ。肺から空気を漏らすばかりで、声など出るはずもない。
「ずいぶん色男になったな。え? で、ここで質問だ」
鉄腕は葉巻をくわえなおしながら、ケイの腹にどっかと座る。マウント・ポジション。鈍く光る鉄の拳と、そうでない左の拳が、握り込まれぎりぎりとそれぞれ違った悲鳴をあげる。
「右か? 左か? 二択問題だ」
頬の線から赤い血が流れる。視点の定まらぬ皇帝の鼻や口からも。
お互いの血が流れたら、それが流れ切るまで、戦いは終わらない。古今東西、どんなアウトローでもそれは同じだ。
「ケイ様……陛下!」
女が肩をかばいながら立ち上がる。階段を転がった時に痛めでもしたか。だがもはや鉄腕はかえりみようともしない。
「立って……下さい! あなたは、お強い皇帝!」
勢いをつけ右拳を振り下ろそうとしたその瞬間、突如ケイは身体を起こした。小柄なはずの彼の外見からはとても考えられぬパワーだ。わずかに鉄腕の身体も浮き、拳に力が入りきらなかった。仕留め損ねた。いかに鉄腕の拳が凶器といえど、銃やミサイルのようにただ当たれば良いというものではない。正しく体重を載せねば、子供のじゃれつきと同じことだ。
「どんな相手であろうと、圧倒的な力の差があろうと! あなたは無敵です。必ず勝てるはずです!」
それどころか、いったいいかな原理か、ケイは手を伸ばし鉄腕の喉仏を掴むと、なんと持ち上げてきたではないか。彼の背丈は鉄腕より低い。取っ組み合って分かったが、力だってそう強くないはずだ。はずなのだ。
「形勢逆転だな」
口の端から血を拭いながら、皇帝は勝ち誇ったように言った。顔の傷が、折れた鼻が『治っている』。女は床に転がった日本刀を拾うと、ケイに握らせた。
「分かったか? 信じる民がいれば、俺は無敵の皇帝陛下なんだ。……お前には、俺の暗示は効かないらしいな。そういう叛逆者は、俺の国にはいらない」
暗示。洗脳の正体はそれか。鉄腕は刀の切っ先を見ながら得心する。苦しい。だがここでなんとかしなければ死ぬのは自分だ。
鉄腕は自分の体を持ち上げる彼の腕を掴んだ。ところで彼は自分の身体がダイヤモンドだと暗示しただろうか。
無駄な仮定だ。この鉄腕はダイヤモンドだろうと砕いてみせるだろうから。
腕の肉を握り潰し、骨を砕くのにそう苦労はしなかった。ただ絶叫をあげ、鉄腕の身体を離した。
地上に足をつけた鉄腕は、何度か咳き込んでから渾身の左フックを彼の顔に放った。いかに無敵だろうと痛覚はある。肉はある。脳は揺れ、頭蓋骨の中でピンボールのごとく跳ね、認識が揺らぐ。彼女にとってはそれで十分だった。
「悪かったな。二択問題の正解を言うのを忘れてたんで、地獄の縁から戻ってきたぜ」
皇帝は地面に這いつくばりながら、きっと彼女を睨みつけた。右目が衝撃で潰れてしまっていたのか、彼は血の涙を流していた。
一瞬だけ、彼の送りつける一方的な死のメッセージが鉄腕の脳裏を掻きむしったが、明らかに最初ほどの威力は無かった。当然だろう、鉄腕は一度それを乗り越えているし、目からそれを放つのなら、一つより二つのほうが威力があるだろう。
「殺すのか、俺を。お前もそうやって俺を蔑むのか! 俺になにも無いから! 俺がホープレスだから!」
「希望なき者だって?
随分と洒落た言い回しだな。アンタ、詩人の才能あるぜ。ツイッターでもやったらどうだ?」
地獄の悪魔が蒸気のような吐息をつく。鉄腕が紫煙を吐く姿は、ケイにとってそう見えた。やはり俺はホープレスなのか。すべてを手にしようとして、すべて失わないといけないのか。
はたまた、それは俺が願ったことなのか。手からこぼれ落ちる希望に安心する。積み重なっていく幸福に不安しか抱けない。つまりは、ホープレスな精神から逃れ得ぬ一生なのだ。
鉄腕が今度こそ右腕を振りかぶる。これで終わりだ。誰もがそう思った。それを見ている、誰もが。
鉄腕の渾身のアッパーカットは、二階から三階へ皇帝を運んだ。マントが翻って、虚しくオールドハイト市の偉大なエンブレムを誇示した。
市長室の扉を破り、ガラスが砕けた。鉄腕はゆっくりと階段を登り、市長室の惨状を見た。
終わった。
彼女はそう考え、葉巻を強く吸った。葉巻の先が煌々と赤く燃え、彼女は芳醇な薫りを楽しんだ。少なくとも、ここまで大規模な騒ぎを『目だけ』で起こすのは難しいだろう。
「正解は両方さ。……悪かったな、ひっかけ問題で」
階段の下で、彼女はスマートフォンが震えているのに気がついた。残念ながら液晶はひび割れていたが、中身は生きているようだった。
「もしもし」
『どうしちゃったのさ! 一体!』
電話先のクリスは珍しく大声を出していた。
「すまねえ、心配かけたな。ま、厄介な野郎だったが、これでもう──」
『何言ってるの! なんでスルーしちゃうのさ!?』
「スルー? バカ言え、アタシはたしかにあの皇帝にパンチを」
『したさ! でも当たってない。君はなにも殴ってない! 突然あの男が見えなくなったみたいになって──女と一緒に逃げた! 取り逃がしたんだよ!』
鉄腕は顔を上げ、あたりを見回すが時既に遅し。皇帝も、そのお付きの女も、影も形も無かった。
遠くからサイレンが聞こえる。ランス警部が出動を許可したのかもしれない。だがここには、もはや罰すべき男はいない。叛逆者が誅すべき皇帝も、ホープレスも。
鉄腕は階段に座り込み、やはり葉巻を吸った。うまくやられたのだ、アタシは。スマートフォンを切り、ポケットに入れる。何者か分からぬ皇帝に思いを馳せる。
あの男が喚起した怒りにも。
鉄腕は頭を掻きむしり、立ち上がった。座り込んでちゃいられねえ。希望が無いなら、見つけ出すだけだ。
オールドハイト・セントラルパークを、二人の影が覚束無い足取りで歩く。一人は皇帝ケイ。もう一人は大臣エリス。
「どうして俺を助けた」
彼を歩かせるのには苦労した。今もしている。再び希望を失った彼でも、生存本能は残っていた。強烈な暗示で、不可視の存在となったケイを、引きずるようにして連れ出した。
エリスにはなんとなくわかる。彼の暗示能力は、長く続くものではない。上役を殴り殺した後悔やら、罪悪感やら、恐怖やら──とにかく黒いヘドロのような感情が今更ながら自分へと流れ込んでいるのがわかるからだ。今まで、何も感じなかったのにも関わらずだ。
彼の暗示は解けようとしている。
本来であれば彼のもとにいる必要はない。市庁舎にいる誰もが彼に従う必要などなかったし、ましてや暗示が解ければなおのことだ。
それでもなお、エリスは彼から離れようとしなかった。なぜか。わからない。わからないがそうしてしまった。
「わからないと言ったら」
「バカだよあんたは。警察へのいいわけなら、操られてた、洗脳されてたごめんなさいで済んだんだ」
「世の中そう甘くありませんわ、陛下」
エリスはそう言って微笑んだ。理由はどうあれ、殺人を犯した人間は好奇の目に晒される。少なくとも今までどおり、市政に携わることなど許されないだろう。
「陛下はもうやめろよ」
「いいえ、やめません。……この街は、地下にいくらでも潜れます。あなたの力は半減したかもしれませんが、使い方を学べば、何度だって再起できるはず」
ケイは自虐的に笑いながら、首を振った。ホープレスな俺にできることなど何もない、とでも言いたげに。
「私が貴方の希望になる」
エリスは彼の手を握って言った。
「だからもう、あなたは希望なき者などではないんです」
「そうかよ」
ケイは笑う。彼女も笑う。暗い林を二人の影が抜けてゆく。遠ざかってゆく影。スコープ。スコープを覗く者。その人物は笑い、満足げにスコープから目を離す。
この街は希望なき者にも希望を与えられるのだと言うことに、感動さえ覚えながら。
アメリカ合衆国初代神聖皇帝編 終




