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奥さんと旦那さん  作者: アレナ
番外編
9/9

課長と部下とその後輩(後編)


「課長」

 廊下の先のラウンジで、コーヒーを見つめる課長を見つけた。顔を上げて課長が俺を見る。「ああ、君ですか」とかすれたような声で言う課長は、やっぱりどう考えてもおかしかった。


「なんか、最近元気ないですよね?どうしたんですか?」

 その言葉に、課長は少し驚いたような表情をした。しかしすぐ、曖昧に笑う。

「大丈夫ですよ。先ほど、違う方からも言われました……そんなに僕疲れてるように見えますか」

「見えます」

 違う方……アイツか、と思う。彼女は泣いていた。課長は何を言ったのだろう。

「課長。悩みあるなら、話してください。聞くぐらいしか出来ないけど、楽になるかもしれないですよ」

「……」

 少しの間黙って、そしてそのあと課長は柔らかく笑った。見たことのない笑みだった。こんな表情も出来るのか、と驚いたとき、俺はあることに気づいた。俺は、この人の何も知らないのだ。どんな人なのか、どんな考え方で、何が好きで、何が嫌いなのかも全部。


「職場のひとにそんなことを言われたのは初めてですよ」

 俺が今までのことを思い返していると、課長はそんなふうに言った。遠い目をしていたが、悲しそうな目ではなかった。

「僕の性格なんでしょうね。あまり人と仲良くなることは得意ではありませんでした。それに、あまり仲良くなろうと近づいてきてくれる人も多くはなかった」

 それは、俺が先ほど気づいた事実を指摘されているようで心苦しくなった。この人と仲良くなりたいだなんて思ったことは一度もなかった。

 課長はそれを見抜いているのかいないのか、俺を見つめて少しだけ笑う。

「それを苦痛だとは思っていなかった。僕には幼馴染がいるんですが、その子はまだほんの小さなときから、僕と一緒にいてくれて、話をしたり、出かけたり、食事をしたりしてきました。僕のことを知ろうと質問をしてきてくれたりもしました」

「はい」

「その子とすごす時間は穏やかで、僕にとってかけがえのないものだったんです」

「はい」

 俺は、知った。課長の気持ちを。だから、言った。

「その子のこと、好きなんですね」


「愛しているんです」

 柔らかく、大切なものを慈しむように、ほころばせた表情。

 そして、次の瞬間には苦笑いをする。


「なのにね、失敗してしまいました。元気がなかったのはそのせいだと思います」

「喧嘩でもしたんですか?」

「そんなところです」


 弱気な課長は、らしくないと思った。俺がこの人の何を知っているかと問われれば、何も知らないのだけれど。けれど、こんな課長は課長じゃないんじゃないかと思ったのだ。

「課長」

「はい」

「伝えたいことは、伝えるべきです」

 俺を見て、課長は黙る。俺は一体何を言ってるんだ。この人は上司だし、人間的にも俺より数倍できている人間だ。でも、俺はこうとしかいえなかった。

「後悔しないでください。課長の気持ち、素直にその子に伝えてあげてください」


「そうですね」

 ふ、と課長はまた柔らかく笑って、ありがとう、と言った。そして、今度はどこかからかうように瞳をきらめかせる。

「でも、僕も君にまったく同じ言葉をお返ししますよ。君も、素直になった方がいい。自分の気持ちを後悔しないうちに伝えなさい」

「な、」


 いたずらっこみたいな表情。

 俺は、この人と仲良くなりたい、とそのときに思った。


「よ」

「……先輩」

 屋上にいた彼女に、後ろから声をかける。彼女はすでに泣き止んでいたが、鼻と目が赤かった。ぐすり、とすすり上げるその様子に、俺は笑う。

「ひどい顔」

「うるさいですよ」


「課長に振られました」

「知ってる」

「え、なんで!?」

 屋上で、背中合わせにベンチに腰掛ける。ややあってぼそりと言った後輩の言葉に即座に返事すると、彼女は驚いたようにこちらを振り向いた。なんで、って。そんなもん、お前の様子見れば誰でもわかる。いつも、お前のこと見てたんだから、当然のように。

 でも俺は何も言わなかった。

「課長、好きな人いるんですって」

「ふーん」

 全部、知っているけど。俺は何も言わなかった。


「あーすっきりした!」

 彼女は、まだ赤い顔をぐし、とこすって、晴れ晴れとした顔で叫んだ。その顔は本当にすっきりしたような顔だった。小柄な彼女が精一杯伸びをする。

 愛しい、と思った。

 ほほえましいとか、そういうのじゃなくて。胸の痛みも、もう無視するのはやめた。

 認める。認めます課長。俺、コイツのこと、好きだ。

 だから、ちゃんと言います。後悔しないように。


 次の金曜日は、課長は何かを決心したかのように俺に対して笑いかけてくれた。


 そしてその次の月曜日、課長は本当に嬉しそうな顔をしていた。


 課長の左手薬指に銀色の指輪が光ることになるのは、まだもう少し先のことなのだけれど。




「課長と部下とその後輩」おわり




 

番外編終了です。

いずれ、本編および番外編の後日談を投稿しようと思います。


読んでいただきありがとうございました。


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