7話 どんな手を使っても
ロザリーたちは、男爵家の邸を後にした。
馬車の扉が閉じられ、御者の合図とともに、車輪が石畳を踏みしめて動き出す。
車輪の音に、規則正しい振動が合わさる。サラが白状した瞬間の、あの掠れた震え声が、まだ耳の奥にこびりついて離れない。
「……これで、姉が貶められたという証拠をひとつ手に入れることが出来ました!」
確かな手ごたえに、つい語尾が強くなる。
「別の証言をしていた令嬢にも、偽の証言だったと認めさせないと。……けど」
ロザリーは、ふと自分の手元に意識を落とす。
指先が、スカートの裾を強く握り締めていた。布が皺になるほどの力を込めていることに、今さら気づく。
「そちらの方も……認めてくださらなければ、どうしましょう。わたしの力ではまだ、偽の証言だと示す決定的な証拠を掴めていないままで……」
どうすればいいのか、そう続けるはずだった言葉は声にならなかった。
弱音を吐いたつもりはなかった。けれど、喉を抜けた声は、思っていた以上に小さくなった。
「――そちらも、僕に任せてほしい」
低く、迷いのない声。
顔を上げると、向かいの席でルーカスがこちらを見ていた。
「彼女の方はこちらに協力してもらうよう、僕から話をつけるよ」
淡々とした声音。だが、そこには一切の揺らぎがなかった。それが覆らない決定であると、否応なく悟らされる。
ひくり、と喉が鳴る。
「……どうやって、協力してもらうんですか」
自ら罪を認める者など、そうはいない。さきほどのサラのように。
そう思っての問いかけだったが、ルーカスは答える代わりに、視線を窓の外へと流した。遠ざかっていく男爵家の屋敷を、まるで無関心に眺めながら。
「もう一人の令嬢の実家――子爵家はね。僕の国との貿易が、主な収入源なんだよ」
静かな声だった。
だからこそ、そこに含まれる意味が、より鮮明に伝わってくる。
「今期の取引量は例年より二割増。数字だけ見れば、堅実で優秀な経営だろう。だが――」
ルーカスは、わずかに口角を上げる。
「その取引先が突然、契約の見直しを示唆したら? 困るだろうな。取引先など、こちらにはいくらでもある。……子爵家である必要は、ない」
「……」
胸の奥が、ひやりと冷える。
ロザリーは言葉を失った。
「……それは、脅迫なのでは?」
恐る恐る紡いだ声に、ルーカスはしばし沈黙したまま、窓の外から視線を戻す。
穏やかに細められた、その眼。柔らかな微笑みを湛えているはずなのに――そこには、温度というものがなかった。
「違うよ。選択肢を与えるだけだ」
淡々とした声音。
けれど、その一言で理解してしまう。
自分の持つ権力が、どれほど相手を追い詰めるものなのかを。
そして同時に――それでも必要だと判断したのなら、躊躇なく選ぶのだと。
「僕は、リリアーヌ嬢があんなことをするはずがないと、確信している。だから、彼女が真実を語ってさえくれれば……、取引は今まで通り続く。だけど、彼女が嘘を吐き続けるようなら、その先の未来は保証できない。それだけの話だよ」
それだけ告げて、ルーカスは背もたれに身を預けた。
まるで、あとは結果を待つだけだと言わんばかりに。
(やっぱり、脅しじゃない。こんな形で、追い詰めるなんて……)
胸の奥に、鈍い痛みが広がる。アンジェリカ側がやったことと、どこが違うのだろう――そんな嫌悪が、確かにあった。
けれど同時に、姉の笑顔が、脳裏に浮かんだ。
夜会で、断罪の言葉を浴びせられた姉さま。
悪意に塗れた証言の渦中で、ただ静かに立っていた、その背中。
(――守ると、決めたんだから。)
だったら、多少強引にでも。たとえ汚い手を使ってでも、姉さまの汚名を晴らさなければならない。
ロザリーは、ゆっくりと顔を上げる。
「分かりました。それでは、その令嬢のことはお願いします」
「ああ、任せてくれ。姉上の名誉を汚した者は、かならず自分の言葉で、それを覆すことになるだろう」
薄曇りの空の下、馬車は黙したまま進んでいく。
車輪が石畳を噛むたび、低く乾いた音が規則正しく重なり、逃れようのない刻限を告げていた。
(……引き返すことは、もうできない。)
この先に待つのが救いであれ、断罪であれ。
一度、踏み出してしまった運命は、ためらいなど許さぬ顔で、彼女を前へと押し流す。
馬車は静かに、しかし確実に、次なる真実へと速度を上げていった。
まるで、覆い隠されてきた秘密そのものが、彼女を呼び寄せているかのように。
「……そういえば」
唐突に、ルーカスが口を開く。
「ロザリー嬢も婚約破棄されたと言ってたけど、本当かい?」
(この人……元婚約者のことを、ずいぶん気軽に振ってくるのね)
表情一つ変えず、事実だけを拾い上げるような問い。
ロザリーは思わず苦笑して、肩をすくめた。
「あ、はい。姉さまが婚約破棄されてしまって……その余波で、わたしの婚約も白紙になりました」
「酷い話だな」
短く、率直な感想。
同情でも慰めでもない、その一言が、逆に胸に残る。
「そうですね。でも……婚約を結べたのも、姉が次期王太子妃だったから、という側面が大きかったようなので。王家から婚約破棄された家に、わざわざ婿入りする理由はない、と言われ……ました」
淡々と語ったつもりだった。
けれど、最後の言葉は、ほんの少しだけ喉に引っかかった。
「……憎くはないの?」
ルーカスが、わずかに首を傾ける。
「いえ……」
即答できたことに、自分で少し驚いた。
「最初は、悲しかったです。でも、今思えば……悲しむ必要もなかったのだと思います」
政略で結ばれた縁。
立場が崩れた途端、あっさりと手放された関係。
「相手にとっては、条件で……婚約という契約を結んでいただけですから。わたし自身のことは、どうでも良かったのでしょう」
貴族社会では、それが当たり前だ。
だからロザリーは、今さら元婚約者を責める気にはなれなかった。
「……随分と冷静なんだね。婚約者とは仲良くしていなかったの?」
(この人……思っていた以上に、あけすけというか……遠慮がない)
「婚約者として親しくしていましたよ」
ロザリーは苦笑しながらも、あくまで軽くそう答えた。
王太子の婚約者に選ばれてから、忙しさに追われるようになった姉。両親は家を空けがちで、気軽に語り合える友人もいなかった。
その空白を埋めるように、ロザリーは婚約者だった男に寄りかかっていた。慰めや優しさを求めて――いつの間にか、それに縋るようになっていたのだ。依存、と呼ぶ方が正確だったかもしれない。
大切だった婚約者。
一時は、心の拠り所になっていた人。
だけど、実のところ、ただの契約の上でしかなしえなかった、その関係は薄っぺらいもので――。悲しむ価値すらなかったのだと……、後になって気づいた。
それよりも、もっと大切で、失ってはいけなかったものがあったのだ。
(……気づいた時には、もう遅かったのだけれど。)
ロザリーはゆるく頭を振り、胸の奥に残った余韻を切り捨てるように、思考を切り替えた。
「それで――次のターゲットなのですが……」
「ああ。他にも、アンジェリカがリリアーヌ嬢を罠に嵌めたという証拠を握っている人物に、心当たりがあるのかい」
「はい。先ほどサラ様と話していて、気づいたことがありました」
ロザリーは一度言葉を区切り、慎重に選ぶように続ける。
「姉さまのアリバイのない時間を正確に狙うには、過密なスケジュールを把握していなければ不可能です。偶然や噂話の域では、あそこまで綺麗に罠は張れません」
「内部の人間、ということか」
ルーカスの低い声に、ロザリーは小さく頷いた。
「ええ。それに――あの夜会で露見した、私物の横流し。あれは一度きりではありません。長期間、継続して行われていたはずです。姉さまの持ち物に自由に触れられて、行動を逐一把握できる立場の人物。なおかつ、アンジェリカと内通できる距離にいる人間……。その人物は――」





