21話 果てしなく
隣国へ渡ったのち、ほどなくして式を挙げたルーカスには新たな地位が与えられた。
皇帝の勅命により、帝国北方の重要都市を治める大公の称号を授けられた。帝都から遠く離れたその地は、古くから交易の要衝として栄えながらも、幾度となく反乱や争いに揺れてきた土地だった。
ルーカスはロザリーを伴い、その地を赴いた。
北方の大公宮は、石造りの重厚な城だった。高い塔と厚い城壁を備え、冬には吹きつける風が窓を鳴らす。
その城で、ふたりの結婚生活は静かに始まった。
冬は長く、朝は遅い帝国北方。分厚い窓越しに差し込む光も淡く、城の中はいつもどこか薄暗い。
ロザリーが食堂へ行くと、すでにルーカスが席についていることが多かった。長い食卓。向かい合うように椅子が置かれ、ふたりは自然とそこに座った。
「おはようございます」
「おはよう」
それだけ言葉を交わして、食事が始まる。
パンを切る音、カトラリーが皿に触れる小さな金属音だけが響き、会話はほとんどなかった。
不思議と居心地の悪さはなかった。互いに沈黙に慣れ、それがふたりの日常になりつつあった。
夜もまた、同じだった。
夕食のあと、少しだけ同じ部屋で過ごすこともある。暖炉の火が静かに燃え、外では風が窓を叩く。
ルーカスは本を読み、ロザリーも刺繍の針を進める。同じ空間にいるだけで、言葉はほとんど交わさない。
やがて時間になると、どちらともなく席を立った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
夫婦共通の部屋ではなく、それぞれの部屋へ戻る。夫婦としての距離は、どこか他人のようだった。
きっと、ふたりが歩み寄れば、愛し合う夫婦になれていたのかもしれない。けれど、ふたりの間に横たわるものはあまりにも大きかった。
リリアーヌの死――それが、決して埋まることのない断絶となって、ふたりを隔てている。
ふとした瞬間、ルーカスの温もりに、縋りたくなる衝動に駆られることがある。その腕に抱かれれば、少しは楽になれるのではないかと思ってしまう自分がいた。けれども、そのたびに。ロザリーは自らに言い聞かせるのだ。
(駄目よ、ロザリー。あなたは……幸せになってはいけないわ)
そもそも、ルーカスが愛しているのは自分ではない。姉――リリアーヌだ。愛のない結婚になることは、最初から分かっていた。それでも構わないと、覚悟して嫁いできたのだ。
ほんの少しだけ、寂しい。ただ、それだけのことだ。
そう。ふたりの暮らしは、ロザリーが想像していたものとは違い、驚くほど穏やかなものだった。我儘を言ってはけない。
時折、ここが地獄であることを、忘れそうになるほどに。
それなのに、これ以上を求めてはいけない。
(これは罰なのだから……)
ただ――、結婚した夜だけは違った。
貴族の婚礼には、形式というものがある。初夜もまた、その一つだった。
静かな寝室。灯りを落とした部屋の中で、ふたりは向かい合った。
気まずい沈黙がしばらく続いたあと、ルーカスが静かに言った。
「無理をさせるつもりはないが……嫌なら、嫌だと言ってくれ」
その言葉に、ロザリーは首を振った。
「大丈夫です」
それは愛でも情熱もほど遠く、ただ、夫婦としての役目を果たすだけの夜だった。
そしてその夜以降、ふたりが同じ寝室で過ごすことはなかった。
だからこそ――
数ヶ月後。
専属医が嬉し気な顔で告げたとき、ロザリーはしばらく言葉を失った。
「……お子を、授かったようですよ!」
運がいいのか。それとも運が悪かったのか。ロザリーには分からなかった。
その日の夜。食卓でその話を伝えると、ルーカスは一瞬だけ手を止めた。
「……そうか。喜ばしいことだね。両親と兄上たちにも報告しないとな」
そう言って喜んでくれたが、その顔にはどこか戸惑いが滲んでいた。
心の底から喜んでいるというよりも、どう受け止めていいか分からない、そんな表情だった。
「体を大事にするんだよ」
表面上は労わる言葉に、ロザリーは頷く。
「はい」
それだけの会話。食事はいつも通り続いた。
けれどその日から、食卓に並ぶ料理が少し変わった。侍女たちが、体を気遣ったものを出すようになったのだ。
ルーカスがそれを指示したのかどうか、ロザリーは聞かなかった。そして、ルーカスも何も言わなかった。
ただ変わらず、同じ食卓につき、同じ城で眠り、同じ時間を過ごした。
やがて、十月十日が過ぎ、
大公宮にひとりの女の子が生まれた。
産着に包まれたその小さな身体は、驚くほどか細い。透き通るように白い頬は、触れれば壊れてしまいそうだった。
ふわりと揺れる産毛のような髪。まだはっきりと開かない瞼の奥には、淡い色の瞳が隠れている。
まるで白い百合のような女の子だった。
侍女たちは思わず顔をほころばせ、産婆は何度も「なんて可愛らしい」と繰り返す。
「お名前は、いかがなさいますか」
そう尋ねられ、ロザリーは腕の中の小さな顔を見つめた。
白く、儚く、
それでいて確かにここにある命。
「名前は、そうね……リリィ……」
そっと呟く。
「百合から取って、リリアにするわ」
その名を口にしたとき、扉が開いた。ルーカスだった。
彼は一歩踏み入れたところで、わずかに足を止める。そしてゆっくりとベッドのそばへ歩み寄った。
ロザリーの腕の中にいる赤子を、静かに見下ろす。
小さく、頼りない命。
その姿をしばらく黙って見つめたあと、ルーカスはふと視線を上げた。
「……リリア?」
ロザリーは頷く。
「ええ。百合の花から取ったの」
短い沈黙が落ちる。やがてルーカスは、もう一度赤子へ目を落とした。
小さな手が、かすかに動く。その様子を見て、彼はほんのわずかに息を吐いた。
「……そう、その名をつけるんだね」
それだけ言うと、彼はそっと指先を差し出した。
赤子の小さな手がその指に触れる。まるで縋るようにきゅっと握った。
ルーカスは、少しだけ目を瞬かせた。
「……この子のことは、どんなことがあってもーー守っていこう」
「……はい」
それだけの、ほんの短いやり取り。
それでも、その約束は確かに交わされた。
いよいよ、明日最終話。
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