19話 断罪の夜Ⅲ
「……そんな、馬鹿な……!」
アンジェリカの唇から、掠れた声が零れ落ちる。
胸元に添えられていた手は、いつの間にか強く握り締められ、白く変色していた。
「皆さま……っ。これは、何かの間違いですわ。わたくしは、ただ……ただ、被害を受けただけで……」
だが、その言葉は、もはや誰の胸にも届かない。
「間違い、ですか」
ルーカスは、口元だけで笑った。
そこにあるのは愉悦ではない。相手を見下ろす、冷えきった軽蔑だった。
「では、説明してもらいましょうか。偽の証言、捏造された証拠、買収された侍女……。これだけの虚偽と工作が揃っていて、なお被害者だと言い張りますか?」
アンジェリカは、一歩、後ずさった。
「ア、アレクシス殿下……? アレクシス殿下は信じてくださいますよね! 私が、苛められていたのを知っておいででしょう?」
助けを求めるような声。けれど、王太子は視線を逸らした。
その仕草が、何より雄弁だった。アンジェリカを見捨てたのだ。
「お、俺は知らん!」
耐えきれなくなったように、アレクシスが声を荒げる。
「お前が苛めを訴えるから、俺は信じただけで――!」
だが、その言い訳は、もはや誰にも救われない。
真実は、すでにこの場に、残酷なほど揃っていた。
会場のざわめきは、もはや制御不能になる。
「では……リリアーヌ嬢は、冤罪だったと……?」
「無実の者を、我々は……断罪したのか……?」
疑念と動揺が、貴族たちの間を駆け巡る。
その時。
大広間の扉が、乱暴に押し開かれた。
金属が擦れる不快な音。
それだけで、空気が一段、張り詰める。居並ぶ貴族たちが、はっとして道を空けた。
「何事だ……ッ!」
玉座にあるべき王が、夜会の場に姿を現すなど、異例も異例だった。
正装の上着は半ば乱れ、肩に掛けた外套も整えられていない。つい先ほどまで、私室で休んでいたのだろう。早急にこの場に呼び出されたのが、どれほど切迫したものだったかが窺える。
王は、広間を見渡した。
蒼白な顔で立ち尽くす令嬢。焦りを隠せないアレクシス殿下。嘘だったと明かされ、俯く証言者たち。
配下から低声で状況を聞き、王の顔色も、みるみる青ざめていく。
しかし、ロザリーは手を緩めない。
「陛下。恐れながら、申し上げます」
ロザリーは声を張り上げた。王が出てこようとも、退く意思は一切なかった。
水晶灯の光を正面から受け、背筋を伸ばす。
「半年前……。姉リリアーヌは、この大広間で、弁明の機会すら与えられず、“悪役令嬢”として断罪されました」
誰も、言葉を挟まない。
「そして今、明らかになったのは――あの断罪が、虚偽の証言と、意図的な捏造によって作られたものだという事実です」
視線は伏せたまま。けれど、その声には一片の迷いもなかった。
ゆっくりと、裾を整え、深く礼をする。
「わたしは、大国の王子の婚約者として、この場に立っています。だからこそ、お願いではなく――要求します」
その一礼は、美しかった。
床に落ちた影すら、息を潜めるかのように、微動だにしない。
「姉リリアーヌの名誉回復と、この虚偽を作り上げた者たちへの、正式な再審と裁きを」
王は、しばらくのあいだ黙していた。
ロザリーの隣りのルーカス殿下をちらりと窺う。この国の過ちと、どう向き合うかを推し量っているようだった。
そして。
やがて、王は深く息を吸う。
「……頭を上げよ、ロザリー嬢」
低く、しかしよく通る声。
その一言で、広間のざわめきが、嘘のように鎮まった。
「そなたの要求は、理解した」
王の視線が、アレクシスへと向く。
「アレクシス」
名を呼ばれただけで、王太子の肩が強張った。
「この件、すべて把握していたか?」
「……い、いえ」
王の声が、わずかに低くなる。
「だろうな……。何故、一方の証言を信じ込んだ?」
「で、ですが、アンジェリカが涙ながら訴えるので、まさか嘘とは思えず……」
言い訳にもならない言葉。王は深くため息を吐いた。
「なんと、愚かな……」
王は視線を戻し、今度は広間全体を見渡す。
「この場で明らかになった証言、証拠、そして虚偽。いずれも、看過できるものではない」
その言葉は、石床に落ちるように響いた。
「即刻、再審の準備に入れ。虚偽の証言に関わった者、証拠の捏造に手を染めた者は、すべて拘束せよ」
今度は視線が、アンジェリカに向く。
彼女は、今にも崩れ落ちそうな顔で、唇を震わせていた。
「アンジェリカ嬢。再審が終わるまで、身柄は王宮預かりとする。逃げることも、口を封じることも許されぬ」
「そ、そんな……!」
縋るように一歩踏み出しかけた彼女は、衛兵に取り押さえられる。
それは――かつての夜、リリアーヌが連れ去られた光景と、酷似していた。
同時に、偽りの証言をした者たち、そしてアレクシスもまた、衛兵に囲まれていく。
王は、はっきりと宣告した。
「リリアーヌ嬢に下された断罪を、すべて洗い直せ。虚偽と捏造の余地を残すな。――これは、王命である!」
その言葉は、石造りの大広間に重く反響し、
夜会の終わりを告げる鐘となった。
ようやく――
本当に、ようやく。
姉であるリリアーヌが、長い時間をかけて背負わされてきた“悪役令嬢”という名の汚泥が、洗い流される時が来たのだ。
まだ、すべてが終わったわけではない。
けれど、この瞬間だけは、胸の奥で固く結んでいた何かが、ゆっくりとほどけていく。
ルーカスが隣に立ち、そっと支えるようにロザリーの肩へ手を置いた。指先から伝わる体温は、思いのほかあたたかく――それが、今の彼女には何より有難かった。





