18話 断罪の夜Ⅱ
ざわめきは収まらない。祝福と警戒が入り混じった視線が、肌を刺す。
その空気を割って、声が上がった。
「おお、なんと」
王太子アレクシスが、わざとらしく両手を広げる。
口元には笑み。だが、その目は冷え切っていた。
「これは喜ばしい知らせだ。ぜひ祝福の言葉を述べたい……が」
その横から、柔らかく、しかしよく通る声が重なった。
「ええ、本当に……本来であれば、心から喜ばしいことですわ」
アンジェリカだった。
淡い色のドレスに身を包み、胸元にそっと手を当てる。まるで胸の痛みを堪えるかのような仕草で、一歩前へ出た。
「ですが……ルーカス様は、お忘れですか? ロザリー様は……罪人であるリリアーヌの、妹ですわよね」
その視線が、静かにロザリーへ向けられる。
「ご存じで? 彼女のお姉さまは、私のことを……執拗に、陰湿に、虐めていたのです。ですから……その妹君が、隣国王子の婚約者になるだなんて……もしかして、何もお聞きになっていないのではと、心配になってしまって」
アンジェリカの瞳に、うっすらと涙が滲む。
「この国で婚約者をお探しでしたら、そうと仰ってくだされば、私どもも協力いたしましたのに」
ロザリーは、おもむろに口を開けた。
「アンジェリカ様。それならば……お伺いします」
ロザリーは一歩、前に出た。
天井から吊らされたシャンデリアの光が、彼女の瞳に宿る。
「姉が、あなたに“何をした”のか。具体的に――今、この場で説明していただけますか?」
ざわ、と再びざわめきが起こる。
アンジェリカは一瞬、言葉に詰まった。
「それは……あの夜でもお話ししましたけど。言葉で責められたり、周囲に誤解されるようなことを……」
「いつですか」
ロザリーは遮る。
「どこで。誰が見ていましたか」
静かだが、逃げ道を塞ぐ問い。
「……」
アンジェリカの唇が、わずかに震えた。
そのとき。
「是非、僕からもお聞きしたいですね」
低く、冷たい声が響いた。
隣国の王子だった。
「僕の大切な婚約者の身内のことです。……冤罪を、そのままにはしておけない」
ざわりと王宮が騒ぐ。
その瞬間、祝宴のはずだった夜会は、完全に――裁きの場へと変わった。
ロザリーは、今。
大国の王子の婚約者として、この場に立っている。
その肩書きがあるからこそ、再び問いを投げかけることが許される。
半年前。姉リリアーヌが、弁明する機会すら与えられぬまま断罪された、あの夜の出来事を。
ただの侯爵令嬢のままだったなら、出来なかった。声を上げたとしても、なかったことにされたに違いない。
だが、今は違う。
大国の王子の発言を無視することも、なかったことにすることもできない。
そしてルーカスもまたーー「婚約者ロザリーの身内であるリリアーヌの冤罪を晴らす」という公にして正当な大義を、手に入れた瞬間だった。
「……冤罪、だなんて」
アンジェリカは一拍遅れて、か細い声を落とした。
胸元に当てた手が、わずかに強張る。
「このような場で、改めて申し上げる必要があるのか疑問ですわ。そもそも、あの夜の件は、すでに決着がついております。ええ、確かに。証言も証拠も、十分にあったはずですわ」
「いいえ。……あの日の証言は、事実ではありませんでした」
その言葉を合図に、玉座の間へ靴音が重なっていく。
ひとり、またひとりと前へ進み出るのは――半年前、姉を追い詰めた「証言者」たち。
かつては胸を張り、正義を語っていた者たち。
今は皆、俯き、唇を噛み、互いの顔すら見ようとしない。
最初に口を開いたのは、あの夜、震える声で姉を糾弾した男爵令嬢のサラだった。
「はい。あの日の証言は嘘でした……ッ」
ざわり、と空気が揺れる。
「私は……頼まれた通りに話しただけです。“リリアーヌ様がアンジェリカ様を苛めていた現場を見た”と。けれど――そんな場面は、見ていません」
押し殺した声が、石造りの壁に反響する。
「どういうことだ?」
「まさか、本当に?」
誰かが囁き、誰かが息を呑む。
次いで進み出たのは、リリアーヌの侍女だったジュリアだ。
「……現場に落ちていたハンカチは、私がリリアーヌ様から盗み出した私物です。命じられて、アンジェリカ様に差し上げたものです。多額の金と引き換えに……応じました」
王宮に、静かな戦慄が走る。
アンジェリカは叫んだ。
「その女……ロザリーに言わされているのでしょう!? 今さら、そんな作り話――!」
だが、ルーカスは一瞥すらくれず、静かに合図を送った。
近衛騎士が差し出したのは、一冊の記録帳と、封の切られた書簡。
「では、嘘かどうかを確認しましょう」
ルーカスの声は、低く、冷え切っている。
「リリアーヌ嬢が苛めを行ったと証言された日。彼女は、どこにいたのか」
記録帳が開かれた。
「その時刻、リリアーヌ嬢はとある店で買い物をしていました。僕と共にね」
今度のどよめきは、隠しようもなく広がった。
「そして、その店の帳簿にはリリアーヌ嬢の名が残っています。そして――」
書簡が掲げられる。
「同時刻、僕の署名も、確かにそこにある」
逃げ場は、もうない。
最後に、ジュリアが、震える声で続けた。
「……リリアーヌ様のご予定を、アンジェリカ様にお伝えしていたのは、わたしです。リリアーヌ様に“アリバイがない日”を選び、苛めがあったように見せかけることができたのは……そのためでした」
一瞬、言葉を詰まらせてから、ジュリアは深く頭を垂れる。
「ですが――その日は例外でした。隣国の王子であるルーカス様と、お忍びで外出されていたため、私はその事実を……知らなかったのです」
さらに、証言者は後を絶たなかった。
半年前に語られた証言は、次々と裏返されていく。そのすべてが、アンジェリカに言い含められた言葉だったと。
「……あれは、アンジェリカ様に言われた通りに話しました。逆らえば、家が――」
「沢山の証言者がいるので、真実なのだと思い……泣いているアンジェリカ様が可哀そうだと思い、つい俺も嘘の証言を……」
視線が、アンジェリカに一斉に集まる。
つい先ほどまで、か弱き被害者として同情を集めていた令嬢。だが今や、光の下に引きずり出された罪人そのものだった。





