13話 語られるあの夜
ゆっくりと、覚悟を決めるように、彼は顔を上げる。その眼差しには、逃げ場を失った人間の、剥き出しの感情が宿っていた。
「お話ししましょう。オレは……許されないことだと分かっていながら、王太子の婚約者であるリリアーヌ嬢のことを、お慕いしていました」
その告白は、重く、ひそやかに、部屋に落ちた。
「この気持ちを、口にするつもりはありませんでしたよ」
自嘲するように、彼は微かに口元を歪める。
「騎士として、殿下に仕える者として、決して抱いてはならない感情だと分かっていましたから。だから、胸の奥に閉じ込めて、見ないふりをして……ただ、護衛として、彼女の安全だけを願っていた」
けれど。
「彼女が、“悪役令嬢”だという噂が流れはじめたとき……」
その瞬間、彼の目に、暗い光が宿る。
「オレは……思いました。これは、チャンスなのではないか、と。婚約が破棄されれば……王太子妃の座から、彼女が引きずり下ろされれば……その時は、俺にも、機会があるのではないかと愚かにも思ってしまった……」
沈黙が、落ちる。
その沈黙は、彼自身の罪を何よりも雄弁に語っていた。
「な、なんて……自分勝手なの……!」
震える声が、ロザリーの喉からこぼれ落ちた。
「そ、そんな……そんな一方的な想いで、姉さまの悪評を、放置するなんて……!」
心臓が、ぎりぎりと軋む。怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からない感情が、ぐちゃぐちゃに絡まり合っていた。
「大切な人が、追い詰められていく姿を見て……」
言葉が、途切れる。
唇を噛みしめ、滲みそうになる視界を必死で堪えながら、ロザリーは叫ぶように続けた。
「苦しんでいるのを、見ていて……何も、思わなかったの? 胸が、痛まなかった? 助けたいと……守りたいって、思わなかったの……っ?」
感情が、制御できない。
それまでに姉さまを想っていたのなら。どうして、その想いを理由に、姉さまを孤独へ追い込んだりしたのーー。
その矛盾が、どうしても許せなかった。
「否定しません」
カヴェインは、ロザリーを見る。
「オレは、噂を止めなかった。……止められたはずなのに。心のどこかで、彼女が追い詰められていくことを、利用しようとしていた」
拳が、強く握られる。
「それでも……それでも、死んでほしいなどとは、思っていなかった」
声が、低く、掠れる。
その言葉は、言い訳であり、懺悔であり、そして――取り返しのつかない後悔だった。
ロザリーは、胸の奥が、冷たく、重く沈んでいくのを感じながら、はっきりと理解してしまう。
カヴェインの後悔は、本物だ。
そして――彼は、姉さまの死を望んではいなかった。
つまり。
カヴェインは、犯人ではない……?
「……カヴェイン様」
ロザリーは、感情を押し殺し、静かに問うた。
「あなたは、本当に、姉さまに死んでほしくなかったと言うのですね?」
「……はい」
即答だった。迷いのない、痛みを孕んだ声。
とても演技とは思えない。ロザリーはカヴェインを信じざるを得なかった。
「それなら……あなたが知っていることを、すべて、教えてください。姉さまの最期の夜に、何があったのかを」
カヴェインは、じっとロザリーを見つめてから、ゆっくりと口を開いた。
護衛騎士としての仮面を被り直すように、低く、断言する。
「……あの夜、リリアーヌ様はひとりで居ました」
「嘘よ!」
思わず、声が鋭くなる。
「誰かが、姉を殺したはずよ。姉は……自ら命を絶つような人じゃない……って。――それは、あなたも、ご存じでしょう?」
震える問いに、カヴェインは目を伏せ、短く息を吐いた。
「……ええ。リリアーヌ様は、気高く、尊いお方でした」
一瞬の沈黙。
それから、彼は現実を突きつけるように、続ける。
「ですが……。もし、窓から何者かが侵入していたとすれば、必ず物音がしたはずです。あの部屋は高所にあり、足場も不安定で……音も立てずに侵入するのは不可能に近い」
「……それじゃあ」
喉が、ひりつく。
「やっぱり、姉は……自殺したとでも言うの?」
言葉にした瞬間、胸が、痛いほどに締めつけられる。
「どうして……どうして、姉さまは、自殺したの……」
そのときだった。
カヴェインの視線が、ゆっくりと――だが確かに、ロザリーを射抜いた。
昏い、底の見えない眼差し。
「それは……」
低く、ざらついた声が落ちる。
「あなたが、ご存じなのではありませんか? 最後に、リリアーヌ様とお会いになったのは――
ロザリー嬢。貴方なのですから。」
息が、止まる。
「ち、ちが……」
喉から零れた声は、あまりにも頼りなく、自分の耳にすら届かない。
――違う。
――わたしは、……して、なんかいない。
必死に否定しているはずなのに、言葉は形を成さず、喉の奥で砕け散っていく。
「わたし、じゃ……ない……」
その瞬間、あの夜の光景が、否応なく、脳裏を侵食する。
灯りに照らされた、姉さまの横顔。どこまでも静かな声で紡がれた、最後の言葉。
忘れたふりをしてきたはずの記憶が、まるで罪を暴くように、鮮明さを増していく。
カヴェインの言葉は、告発ではない。
責めるためのものでも、断罪でもなく、ただ事実を口にしただけだ。
だからこそ、残酷だった。
「殺したのは……、わたしじゃ、ない……っ!」
わたしは。わたしは、どうして……知らないふりをしてきたのだろうか。
姉さまが、誰にも見せずに、ひとりで壊れていった、その瞬間を。
そして――
もしも。
(もしも、あの夜、姉さまの背中を押したものがあるとしたら。)
それは、“誰の手”だったのだろうか。
わたし自身の、無知や、甘さや、
――取り返しのつかない、ひとつの言葉だったのではないか。
「ロザリー……」
低く、感情を削ぎ落とした声。
それまで、カヴェインとのやりとりを黙って見守っていたルーカスが、
冷たいまなざしで、ロザリーを見下ろしていた。
まるで、逃げ道など、最初から存在しないと告げるように。
「さあ、ここまで付き合ったんだ。話してくれるね? 彼女の最期を――」
いよいよ次話から真相を明かしていきます。





