12話 遅すぎる懺悔
ロザリーは、殿下から伝えられた情報を直ぐにルーカスに伝えた。
「……カヴェイン、か……」
低く呟いたその声に、「ルーカスさま?」とロザリーが名を呼ぶ。
「今思えば、だが……」
彼はそこで言葉を切り、ゆっくりと息を吸った。
まるで記憶の底を確かめるように、慎重に続ける。
「……彼は、リリアーヌに対して、何か思うところがあったのかもしれない」
「どうして、そう思われるのですか?」
「それは……彼女を見る、まなざしだ」
「まなざし……、ですか?」
ロザリーの問いに、彼は小さく頷く。
「ああ。はっきりとした理由があるわけじゃない。ただ、彼女に向ける視線には、任務以上のものが含まれているように見えた。感情と呼ぶには曖昧だが、それでも、何かがあったように思えてね」
「カヴェイン様と、姉さまには……交流はあったのですか」
「ああ。アレクシスとリリアーヌが共にいる場には、いつも彼がいたからな。本来なら、殿下の護衛として殿下だけを見ていればいいはずなのに……それにしては、リリアーヌに向ける視線が、やけに……」
それは、騎士として主君の婚約者に向ける、当然の敬意だったのか。
それとも――胸の奥に沈め、決して口にしてはならない感情だったのか。
ロザリーには、分からない。
カヴェインと個人的な交流など、ほとんどなかったのだから、そのまなざしの意味を、推し量る術もない。
けれど。
(もし、彼が姉さまの最期の夜に、扉一枚隔てた場所に立っていたのなら。
もし、その胸に、何かしらの感情を抱えていたのだとしたら。)
答えは、噂や推測の中にはない。
ロザリーは、息を吸い込み、胸の奥に巣食う震えを押し殺して、顔を上げた。
「……直接、彼に確かめに行きましょう」
その言葉は、自分でも驚くほどまっすぐに。
そして、はっきりと響いた。
***
ロザリーとルーカスは、すぐさまカヴェインと面会を求めた。
リリアーヌの死以降、護衛の任を外れていた彼は、自宅で療養していた。
久しぶりに対面したカヴェインは、記憶の中よりも一回り痩せ、頬はこけ、目の下には濃い影が落ちている。鎧を着ていないその姿は、ひどく頼りなく見えた。
「……ルーカス様、ロザリー嬢。よくお越しくださいました」
深々と頭を下げる動作も、どこかぎこちない。
「本日は、何か御用でしょうか」
ロザリーは一歩前に出た。
「あの夜……一晩中、姉の護衛に就いていたのは、カヴェイン様ですね」
カヴェインは、ゆっくりと頷く。
「はい。……それにもかかわらず、彼女の異変に気づけなかった。自死を防げなかったこと、心よりお詫び申し上げます」
絞り出すような声音だった。
「……もし、そのことでお怒りになり、咎めに来られたのなら……それも、当然のことです。どのような叱責も、甘んじてお受けします」
かすかに握り締められた拳が、膝の上で震えていた。
ロザリーは、首を横に振った。
彼を責めるために来た――。そう言われれば、確かに間違いではない。
けれど。
「……違います。わたしは、あなたに聞きたいことがあります」
カヴェインは短く息を吸い、ロザリーに向き直った。
「……なんなりと」
「まどろっこしいのは好みません。端的に、お答えください」
そして、迷いなく問う。
「――あなたは、姉のことを。リリアーヌ・ホワイトを、どう思っていましたか」
カヴェインは、しばらくのあいだ、言葉を探すように沈黙していた。
窓から差し込む淡い光が、彼の横顔を照らし、その影が床に長く伸びる。
かつて鋼のように揺るがなかった背筋は、今や微かに湾曲し、彼が背負ってきたものの重さを、ありありと物語っていた。
「……答える資格が、オレにあるとは思えません」
低く、かすれた声だった。
「それでも、聞きたいのです」
ロザリーは一歩も退かなかった。
「姉さまの最期に、最も近くにいたのは、あなたです。……あなたが、姉にただならぬ感情を抱いていたことも、知っています。確認せずにはいられません」
カヴェインは目を伏せ、拳を強く握りしめる。
「オレは……彼女を、尊敬していました」
その言葉は、あまりにも慎重で、磨かれすぎていて、まるで自分を守るための盾のように聞こえた。
「次期王妃という立場にありながら、決して驕らず、誰の前でも変わらぬ態度で接する方だった。命じられなくとも人を気遣い、傷ついた者に目を向ける……そんな方でした」
淡々と語られていた回想は、次第に震えを帯びはじめ、言葉の端々から抑えきれない感情が滲み出していく。
「だからこそ、守るべき存在だと……」
そこで、彼は言葉を失った。
唇を噛み締め、視線を落とし、まるで自分自身を裁くかのように沈黙する。
「なのに。あの夜、オレはなにもできなかった。守ることが出来なかったことを……今も、後悔しています」
その声は、確かに、罪と後悔に濡れていた。
カヴェインは懺悔しながら、彼女の面影を呼び起こしていた。
はじめてリリアーヌと言葉を交わした日のことを、今でも覚えている。
格式ばった応接室。王太子妃候補という肩書きにふさわしい、気位の高い令嬢が現れるのだろう。そう身構えていたカヴェインの予想を、リリアーヌはあっさりと裏切った。
「そんなに緊張なさらないでください。……殿下の専属護衛のカヴェイン様でしょう? 共に殿下を支えていく同士ですもの」
その一言に、カヴェインは返す言葉を失った。
主君の婚約者。やがてこの国の王妃となる方。本来ならば、騎士である自分など、ただ命を受けて従うだけの存在だ。
対等に語りかけられるような立場ではない。
「……恐れ多いお言葉です」
ようやく絞り出したのは、それだけだった。
するとリリアーヌは、くすりと小さく笑った。
「殿下は、時々……少しばかり大胆な振る舞いをなさるでしょう?」
カヴェインはなんと返していいか分からず、ただ黙っていた。
「その時に、止めてくださる方がいなければ困ってしまいますもの。私ひとりでは、きっと支えきれませんわ」
そう言って、彼女はほんの少しだけ肩をすくめた。
気取ったところのない仕草だった。
「ですから……これから、どうぞよろしくお願いいたします。カヴェイン様」
その視線は穏やかで、けれど不思議なほど真っ直ぐだった。
感情のない令嬢だなどと、陰で囁かれているのを耳にしたことがある。
だが、あの時のまなざしは――決して冷たいものではなかった。自分と相手を同じ高さに置く、柔らかな眼差しだった。
彼女は、気高かった。
それは血筋や立場から来るものではなく、人が見ていない場所でこそ、誰よりも誠実であろうとする、その姿勢が――自然と周囲の背筋を伸ばさせた。
陰口を叩かれていると知っても、声を荒げることはなかった。理不尽な非難を浴びても、弁明より先に「そう見えてしまったのなら、私の至らなさです」と頭を下げた。
それでも、譲ってはならないものだけは、決して折れない強さがあったように見えた。
『わたくしが倒れては……大切なものも守れませんから』
その言葉を思い出すたび、胸の奥が軋む。
きっと、彼女は国の事を思って……最後まで、王太子妃であろうとした。
カヴェインは、拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、鈍い痛みが走る。それでも、離せなかった。
(……気づいていたはずなんだ)
彼女の周囲に集まる悪意に。静かに、確実に、逃げ道を塞いでいく罠に。
それでも彼は、「まだ間に合う」と思い込んだ。
彼女なら大丈夫だと――あの気高い背中なら、きっと乗り越えられると。
それが、どれほど傲慢な思い上がりだったのかを、
彼は今も、痛いほど知っている。
「……リリアーヌ様は」
かすれた声で、カヴェインは名を呼ぶ。
もはや、届かぬと分かっていながら。
「最後まで、誰よりも強くて……誰よりも、気高い美しい女性でした」
その言葉は、告白にも、祈りにも似て、静かにその場に落ちた。
……けれど。
「――嘘よ」
自分でも驚くほど、鋭い声が、ロザリーの喉からこぼれ落ちた。食いしばった歯が、かちりと音を立てる。
カヴェインの肩が、わずかに跳ねる。
「……姉を尊敬していた?」
一歩、踏み出す。
胸の奥で、長いあいだ溜め込んできた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「それなら、どうして……どうして、姉が“悪役令嬢”だなんて噂を、放置していたの?」
空気が、凍りつく。
それでも、カヴェインは苦しげに息を吸い、反論した。
「それは……。オレは、王太子の護衛で……立場上、噂に口を出すことは――」
「それなら、尚更でしょう」
ロザリーは、彼の言葉を遮った。
「あなたは殿下の一番近くにいた。姉が誰かを苛めるような人間じゃないことも、王太子と親しい令嬢たちの間で何が起きていたのかも、全部、見ていたのではないですか……?」
声が震えるのを、止められない。
「知っていたのに、何もしなかった。見ていたのに、黙っていた。それで……それで、尊敬していたなんて、言えるんですか」
カヴェインは、しばらく俯いたまま、微動だにしなかった。
やがて、深く、肺の奥まで沈めるような溜息をひとつ吐き、重たいものを引きずるようにして、口を開く。
「……嘘は、ありません」
その声は、ひどく疲れ切っていた。
「敬愛していたことも、守れなかったことを後悔していることも……すべて、本心です。こんなことになるなら……あの時、もっと、違う選択があったはずなのに……」
言葉の端が、かすかに震える。
彼は顔を上げなかった。まるで、ロザリーの視線を受け止める資格すら、自分にはないとでも言うように。
「……良いでしょう」
沈黙を破るように、彼は続けた。
「もう、隠しても、意味はない……」





