10話 デートⅡ
ロザリーは黒いドレスの裾を整え、再び、公園の喧騒の中へと歩き出した。
少し進んだところで、子供たちの輪が目に入る。
二人の子供が大きな縄を勢いよく回し、残りの子供たちが歌に合わせて、次々とその中を潜り抜け、跳ねていた。
弾む声と笑い声が、春の空気を震わせる。
「はは、元気だね……。僕の知らない歌だ」
足を止めて眺めるルーカスに、ロザリーは小さく頷く。
「童謡ですね。ルーカス様の国では、あまり知られていないのでしょう。“クックロビンの葬式”という歌です」
「……なんだか、ずいぶん怖い曲名だね」
「……そう思われるのも、無理はありませんね」
どこか懐かしそうに、ロザリーは子供たちから視線を外さずに続ける。
「でも、わたしにとっては……懐かしい歌なんです。怖がっていたわたしに、姉さまが何度も聞かせてくれました」
「おや、意外だな」
「ええ。そんな、少し意地悪な一面もあったんですよ。……知らなかったでしょう? ルーカス様が知らない姉さまのこと、わたし、たくさん知っているんです」
一瞬だけ、誇らしげに。
けれどすぐに、くすりと笑う。
「ふふ。ご安心ください。意地悪というのは、冗談です。ルーカス様のご想像どおり、姉さまはとても優しい人でした。……本当は、わたしの方がせがんだんです。怖いくせに、もっと聞きたいって。……子供のころは、かえって怖いものに興味津々でしたから」
「怖いもの見たさ、というやつだね」
「はい。まさに、それです」
そう答えながら、ロザリーはもう一度、子供たちの輪へと視線を戻した。
葬式の歌を口ずさみながら跳ね回る、小さな背中たち。
誰が駒鳥 殺したの?
それは“わたし” とスズメが言った。
子供たちの歌声がひと際高くなって、青い空へと吸い込まれていく。
意味も知らぬまま紡がれる残酷な詞が、この穏やかな空気のなかで、ひどく無邪気だった。
***
その後――ロザリーは、またしても有無を言わせぬまま馬車へ押し込められた。今度は王都でも流行りのカフェに連れていかれた。
扉をくぐった瞬間、ひそひそとした声が、さざ波のように広がる。
「まあ、見て。ルーカス様よ」
「でも、相手は……ロザリー嬢よ! 婚約破棄されてから直ぐに、男遊びかしら」
「まだ喪も明けていないのにねえ」
無数の視線が突き刺さる。
その中に、ふと混じる別の囁き。
「やっぱり、ルーカス様って素敵……」
「本当に。あの方、本当にハンサムよね」
(……やっぱり、こうなるよね)
胸の内で、ロザリーは静かに息を吐いた。
確かに、その通りだと思う。柔らかな物腰に、洗練された佇まい。隣を歩くだけで、人の視線を引き寄せる。
もし、こんな状況でなければ。自分もまた、少しは心を躍らせていたのかもしれない。
当の本人のルーカスといえば、そうした空気をまるで意に介さない様子で、前方を歩いていた。さも当然のように椅子を引き、メニューを差し出す。
「さあ。好きなものを頼んでくれ」
王都でも評判のその店は、白い石壁と大きな硝子窓が印象的だった。午後の光がやわらかく差し込み、テーブルクロスの上に淡い影を落としている。
ロザリーは椅子に腰掛け、そっと背筋を伸ばした。
「ありがとう、ございます……」
メニュー表に並ぶデザートは、どれも見慣れないものばかりだった。聞き慣れない名前、添えられた小さな挿絵に心が引き寄せられ、ロザリーは思わず迷ってしまう。
ほどなく運ばれてきたサンデーを前に、ロザリーは小さく息を呑んだ。
花が開いたような硝子の器に盛られたアイスクリーム。とろりとかけられたチョコレートソースに、色とりどりの果実、柔らかな白のクリーム。その頂には、真っ赤なチェリーが小さな誇りのように飾られている。
スプーンを入れ、そっとすくって口に運ぶ。
「……美味しい」
ひんやりとした甘さが舌の上でほどけ、ゆっくりと溶けていく。
向かいのルーカスは、苦みの効いたコーヒーを啜りながら、どこか満足げに目を細めて頷いた。
「それは良かった。ロザリーが美味しそうに食べると、連れてきた甲斐がある」
「そんな……」
まるで子供をあやすような言い方に、わずかに頬が熱くなる。気恥ずかしさを覚えながらも、不思議と嫌ではなかった。
(姉さまも、こんなふうに甘やかしてくれたっけ……)
幼い頃、もっと食べたいというロザリーに「じゃあ、もう一つだけね? メイド達には内緒よ」と自分の分の焼き菓子を分けてくれたリリアーヌ。
甘い香りと、指先の温もり。そのささやかな記憶が、胸の奥をやさしく掠めていく。
ロザリーは、ほんのわずかに唇を綻ばせた。
それは笑みと呼ぶにはあまりにも淡く、触れればほどけてしまそうだった。
ロザリーはもう一度スプーンを取り、溶けかけたアイスを掬う。
甘さは先ほどよりも柔らかく、舌に残る余韻だけが長く続いた。
ルーカスは、その様子を黙って見つめていた。
ほんの一瞬だけほどけたその表情に、目を細めながら。
「……ロザリー。良かったら、この贈り物を受け取ってくれないかい? 今日の、そのシックな黒いドレスにも似合うと思うよ」
差し出されたのは、掌に収まるほどの小さな箱だった。
艶を抑えた装飾は控えめで、かえって中身を想像させる。
「……受け取る理由が、ありません」
ロザリーは即座にそう返した。
視線は箱ではなく、ルーカスの指先に留まっている。
「そうだね……。では、こう言ったらどうだろう。これは、本来リリアーヌ嬢に贈るつもりだったものだ、と」
「……どういうことですか?」
「以前、覚えているだろう。リリアーヌ嬢が、妹の君に贈り物を買うために街へ出た時――僕が同行していたことがあった」
「はい……」
「あの時、君の姉にも贈り物を選んだんだ。渡す機会は……結局、なかったけれどね」
そう言って、ルーカスは静かに小箱の蓋を開けた。
(――ああ。)
胸の奥で、微かな息が落ちる。
収められていた髪飾りの宝石は、どこか見覚えのある色をしていた。
淡く澄んだ、すみれ色。
(……わたしの瞳より、ほんの少しだけ薄い)
それは確かに、リリアーヌの瞳と同じ色だった。
(姉さまの色――)
言葉にならない想いが胸に満ちていく。拒むべきだと理性は告げているのに、指先は、もう逃げ場を失っていた。
「……分かり、ました。有難く、頂きます」
一度は断ったはずの贈り物だったが、蓋の開いた小箱の中で淡く光るすみれ色が、どうしようもなく、懐かしくて。恋しくて。
ロザリーはその髪飾りを受け取った。
冷たいはずの宝石は、不思議と温もりを帯びているように思えた。
(……ずるいわ)
胸の奥で、小さく呟く。
こんなふうに、姉を思わせる色を差し出されてしまえば――手放せるはずが、ないのに。
会計を済ませ、ふたりはカフェを後にする。
外へ出た途端、春の光がロザリーの視界を満たした。
「先程の贈り物を……君の髪に飾ってもいいかい?」
ルーカスの問いかけに、ロザリーは言葉を返さず、ただ小さく頷いた。
指先が近づき、銀色の髪がわずかに揺れる。紫色の宝石が留められた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……よく似合っている」
銀の髪に差す、すみれ色の光。
それを見つめながら、ルーカスは陶然とした声で呟く。
ロザリーは何も言えなかった。感謝の気持ちを告げなければいけないのに、なぜか心が、ちくりと痛む。
その痛みから逃げるように、ロザリーは視線を逸らすだけだった。
「……ここで結構です」
送る、というルーカスの申し出を断った。王都の中心部だ。令嬢一人で歩いても危険はない。少し歩けば、いくらでも馬車は拾える。
そう言い残し、踵を返した。今は、一人で歩きたい気分だったのだ。
石畳を踏みしめながら、しばらく無心で歩く。
人の流れに身を委ね、視線も上げずにいた、その時だった。
正面から歩いてくる一行の中に、否応なく、目を引き寄せられる人物を、ロザリーは認めてしまう。
先頭に立つ、その姿を。
淡い金髪。見慣れた端正な横顔。
王太子――アレクシス殿下。





