8話 本望でしょう?
「ジュ……」
名を呼ばれる前に、女の頭が深く垂れた。
がくがくと震えながら、地面に額を擦りつける。
「も、申し訳ありません……、ロザリーお嬢様っ! 本当に……申し訳……ッ!」
掠れた嗚咽が夜に滲む。
押し殺そうとしても、震えは止まらない。言葉は形を失い、ただ懺悔の音だけが零れ落ちる。
「ジュリア……。あなたのこと、ずっと探していたわ。姉さまの自死を止められなかった負い目から、すぐに退職して田舎へ戻ったと聞いたけれど……まさか隣国へ逃れるつもりだったなんてね」
ジュリア。
女はかつて、リリアーヌの傍らに仕えていた侍女だった。
ジュリアは顔を上げられないまま、絞り出すように続ける。
「ご、ごめんなさい! 弟が……病気で……薬代が、どうしても必要で……。そんな時、アンジェリカ様が……近づいてきて……」
震える指が土を掻き、爪の間に泥が入り込む。
それでも、縋るように地面を握り締めるしかない。
「姉さまのご予定をお教えたのはあなたね? 過密な日程も、空いている時間も……。姉さまの私物を横流ししたのも、あなたでしょう?」
一息ごとに、告白は重く沈んでいく。
そう、アリバイのない時間を伝えたことも、私物を外へ流したことも。すべて、身内の人間によるものだった。
リリアーヌの専属侍女であるジュリアの仕業だったのだ。
その可能性に気が付いた時には、ジュリアは退職していた後だった。戻ったという田舎に追っ手を掛けても、その姿はなかった。
それでも探し出してみれば、ジュリアはまさに隣国へ逃れようとしているところだった。そして、駆けつけたときには、国境へと続く街道で野盗らしき集団に囲まれていた。
――間一髪だった。
(あと一瞬でも遅れていれば。ジュリアはこの場で命を落とし、姉さまが貶められたという、大切な証拠は闇に葬られるところだったわ……)
「そ、そんな……! わ、私……脅されていたんです。お、お許しください……!」
「あは……必死ね」
乾いた笑みが、かすかに零れる。
「貴族を貶める偽証をしたとなれば。しかも、相手は次期王太子妃だった相手。情状酌量があったとしても……死罪は、免れないと思うわ」
静かに告げると、侍女の身体が小刻みに震え出す。
「ご、ごめんなさい……。ごめんなさい! びょ、病気の弟の為にお金が必要だったんです! 仕方なかったんです!」
必死の謝罪にロザリーは首を横に振った。感情を削ぎ落とした声で続ける。
「いいえ、あなたに残された道はひとつだけ。真実を告発して。……あなたの弟は、こちらで保護しているわ」
「……え?」
ジュリアの顔が、はっと上がる。
その反応を確かめるように、ロザリーはゆっくりと言葉を重ねた。
「まだ分からないの? 先ほどの男たちは、ただの強盗ではないわ。あなたを口封じするために、アンジェリカが差し向けたのよ。そして、狙われたのはあなた一人じゃない。弟のもとにも、すでに“口封じ”の手が伸びていた。……だから、先に保護してあげたわ」
言葉の意味が理解できた瞬間、ジュリアの顔から、血の気が完全に失われた。
逃げ道は、ない。
拒むことも、縋ることも、許されない。
「弟を助けたいなら、どうするべきか分かるわね?」
その言葉が落ちた瞬間、ジュリアは、泣き崩れた。
弟の命と引き換えの真実。その代償が何かなど、考えるまでもない。
おそらく――ジュリアは死刑になるだろう。
(だって、弟の為に姉さまを売ったのでしょう?
それなら、弟の為に死んだって本望でしょう。)
「あっ、ぁ…あああ。し、死にたくない……! お願い、許して……ッ」
必死の命乞いにも、心は動かされなかった。
姉の名誉を取り戻すためなら、もう躊躇しない。
「駄目よ。――大事な弟のために、ちゃんと真実を証言して」
それだけ告げて、ロザリーは踵を返した。夜風が裾を揺らす。
それが、逝った姉のために選んだやり方だった。
***
さあ、証拠は確実に揃いつつある。
偽りの証言。裏切りの告白。姉を断罪へと追い込んだ“嘘”は、もはや逃げ場を失っていた。
残るのは、場を整えること。真実を白日の下に晒し、断罪を行うための舞台を。
肝心の――姉を殺した犯人、その人物が誰なのかは、まだ掴めていないが……。
これから、どう動くべきか。ルーカスと話し合う必要があるだろう。
――そう、思っていたのだが。
(ど、どうして……こんなことに)
何故か、
ロザリーは、春の光に満ちたのどかな公園でルーカスとデートしていた。





