第七章 波乱のタッグ戦!覆面シスター・グレイス降臨
愛人クラリスが車椅子姿となり、王子に冷酷に捨てられたという衝撃は、貴族社会を激震させた。「覆面女ローズ・ド・モンフォール」その存在は、もはや単なる地下リングのスターではなく、ゴルディア王国の歪んだ序列を脅かす災厄として恐れられていた。危機感を募らせたレオンハルト王子と貴族派閥は、ローズを確実に抹殺するための卑劣な謀略を張り巡らせる。「フン、一人で強いならば、二人で叩き潰せばよいのだ!シングル戦で勝てぬなら、タッグマッチならば勝機はある!」そうして王家が巨額の資金と権力を注ぎ込み、満を持して地下リングへ送り込んだ刺客。それこそが、公式レスリング協会で「連携攻撃の完成形」と称される高位貴族の双子姉妹「白銀の双璧」ミラ・ヴァレンティンと、「黒曜の双璧」リラ・ヴァレンティンであった。
夜。熱気と異様な緊張感が満ちる地下闘技場メインリング。「さあァァァーーーッ!!今夜は緊急決定のタッグマッチだァァァッ!!!」実況アナウンサーの叫びがドーム状の天井を震わせる。「赤コーナー!圧倒的連勝を誇る漆黒と真紅の破壊姫、ローズ・ド・モンフォール!!……しかし! 今夜はルール上、パートナーが必要だァッ!ローズ選手は一人で二人を相手にするのかーっ!?」赤コーナーに立つローズは、赤黒のフリルユニフォームに漆黒と金の仮面を纏い、静かに腕を組んでいた。パートナー不在のまま孤独に立つその姿に、貴族席からは嘲笑が巻き起こる。「ハハハ!孤独な覆面女め!タッグパートナーも作れぬ孤高のレスラーか!」「対する青コーナーを見ろ!王国屈指の双子ペア、ヴァレンティン姉妹だぞ!」「青コーナー! 完璧なる対照とシンクロ!白銀の双璧ミラ! そして黒曜の双璧リラ――ッ!!」青コーナーから悠然とリングインしたのは、二十三歳の双子姉妹であった。 姉のミラは銀白色の長髪に透き通るような青い瞳。白・銀・青を基調とした華麗なコスチュームを身に纏い、冷静な笑みを浮かべる。妹のリラは同じ顔立ちながら赤い瞳を爛々と輝かせ、黒・銀・赤のコスチュームで不敵に八重歯を覗かせていた。「一人で私たち双子に勝てると思っているの?愚かな覆面女さん」妹のリラが挑発的に笑えば、姉のミラも冷ややかに同調する。「私たちのミラー・連携は二人で一つ。完璧な力学の結びつきよ。孤独な貴女に破れるものではないわ」ローズは仮面の奥で真紅の瞳を静かに揺らめかせ、ふんわりと小首をかしげた。(……困りましたわね。さすがにタッグ戦で一人というのは、ルールの規定上試合が成り立ちませんわ……)その時であった。「皆様、神のご加護がありますように」凛とした、しかし恐ろしいほど静かで穏やかな声が闘技場全体に通り抜けた。静まり返る観客席。花道から静々とした足取りで歩み寄ってきたのは、異様な異彩を放つ一人の女性であった。銀髪をなびかせ、黒と紫を基調とした修道意匠のリングコスチューム。顔面には宗教的なクロスが刻まれた漆黒と紫の覆面を着用している。胸元には、大きな銀色の十字架が鈍く光っていた。「な……なんだあの覆面レスラーは!?修道女の格好をしているぞ!?」「神のお導きにより、参上いたしました」リングインした彼女は、ローズの隣に並ぶと、静かに胸元で十字を切った。「あら……シスター?」ローズが思わず尋ねると、覆面の修道女『慈悲なき聖女シスター・グレイス』ことシスター・セシリアは、柔らかな微笑みをたたえたまま囁いた。「ええ、エリス様。子供たちの未来を脅かす者たちに、正しき神の慈愛を教えに参りました。ご安心なさい、私が貴女の背中をお守りいたします」「出たァァァーーーッ!!!」実況アナウンサーが錯乱したようにマイクへ叫ぶ。「謎の覆面修道女、シスター・グレイス降臨だァァァッ!!今夜のメインイベント、二対二のタッグマッチが今、開幕するーーーッ!!」「フン、修道女だと?狂人が増えたところで私たちの連携には勝てないわ!」妹のリラが激しくマットを蹴り出し、先発として飛び出してきた。
「カァァァン…………!!!!」
試合開始のゴングが重々しく鳴り響いた。「アーメン」シスター・グレイスは穏やかに祈りの言葉を口にし、一切の無駄がない静かな歩みでリラの前へと進み出た。悪そうな顔など微塵もしない。まるで教会の礼拝堂で祈りを捧げているかのような、聖母の如き笑みである。リラは一瞬、その隙だらけに見える立ち姿に毒気を抜かれかけたが、即座に死角へと回り込んで鋭い掌打を放った!「甘いわ、修道女――ッ!」ドスッ……!!次の瞬間、闘技場に不気味な音が響き渡った。ゴキッ……バキッ!!「ギャああぁぁぁぁぁぁッ!?!?」観客の誰もが、何が起きたのか理解できなかった。リラが手を伸ばした一瞬、シスター・グレイスの細い指先が、リラの首筋と肩の関節に「スッ」と優しく触れただけのように見えた。だが次の瞬間、リラの右腕がまるで関節など存在しないかのように、不自然な角度でダラリと垂れ下がっていたのだ。「ひっ……!あ、腕が……!腕の感覚がないッ!骨が折れたぁぁッ!?」激痛に蹲り、涙を撒き散らすリラ。しかし、シスター・グレイスは変わらぬ柔らかな笑みを浮かべ、首を優しく振った。「あらあら、勘違いなさってはいけませんよ。折ってなどおりません。ただ……解剖学的に正しくない位置に外して差し上げただけです」「は、外した……!?」「ええ。人間の関節は骨格の組み合わせに過ぎません。……ご安心なさい、あと全身には二百九十九ヶ所の関節がございますから。順番にお勉強してまいりましょうね」「ひぃぃぃぃぃっ……!?狂人!こいつ狂人よぉぉぉっ!!」リラは恐怖に白目を剥き、壊れた腕を抱えて転がるように姉のミラへとタッチした。ローズは隣でその凄惨な「医学の奇蹟」を見つめながら、静かに扇子を仰ぐように溜息をついた。(……相変わらずシスターの解剖学レスリングは、容赦というものがございませんわね)神の慈悲という名の絶望を引っ提げ、恐るべきタッグマッチの幕が切って落とされたのだった。




