6 Golden Week
誰かと話しているうちに、頭の中が整理されて自分では思ってもいなかった結論にたどり着くことがある。
昔、サンジがレイコに言った言葉がそうだった。
人間は、何かを乗り越える準備ができたら自然にそうなっていく、それまでは無理しないほうがいいと。
ふだんからそんなことばかり考えているわけではない。
(乗り越える、ね……。仮想敵を作って倒すとかそういう発想じゃないか、それ)
なんとなくで設定している前提がおかしいのだ……敵対しなければいい。痛みや悲しみと仲良くしていればいい。
それはそれで自分の傷に依存しているようなものか、それは避けたいが……ヘンな考えになっているなと思う。
休日の昼下がり、サンジは浅草の居酒屋にいた。
四月の終わりにしては暑い。
ウィスキーハイボールを飲む。
サリンジャーの『バナナフィッシュ』を思い出す。
(あれは、自分が落ちてる時に読むといけないんだよな)
精神状態が悪いというか、多少穴があいているような時、『完璧な絶望』のようなものが入り込んできてしまう。
それは、昔そういう感じがしたということだ。
(いまは、カンペキなゼツボーって、そんなもんはない)
「ゆうちゃん、串カツはあったっけ」
「できますよぉ」
「じゃあ、それ」
ゆうちゃんはいつもと同じ黒いエプロンをつけている。
休日だけこの店を手伝いにくる女性で、三十前ということはないと思う。
にこにこはしていないが無愛想でもない。
ときどきほんの少し、声を出さずに笑う。
それを見ながら、何年も飲んでいる。
(イチさんには内緒だが、食べ物はここのほうが美味しいな)
イチさんが言いそうなことはわかっている。
(あんたどうせ、この女が目当てで通ってるんでしょう……ってとこか)
(六本木のクラブ、っていってもなんか怪しいが、そこに行って智佳が踊るのを見るって)
ずいぶん遠い世界の話に感じる。
(モチベーションを高く持って、か……)
部長に言われた言葉を思い出す。
自分を引き上げる意識を強く持つ、自己改革をする、なりたい自分になる。
ビジネス雑誌によく載っているようなことだ。
(おれは別に、それほど後ろ向きなつもりはないんだけど……)
サンジは、仕事の時はそこに全力を傾け、そうでない時はこうやって力を抜いて過ごす。
いまのところは、これで充分だ。
携帯にメールが来て、智佳だろうなと思って、見る。
渋谷にいるというので、電話で話せないのかと返信する。
『まだ電車に乗ってる、ちょっと飲む?』
『おれ浅草だぞ、遠いよ』
『地下鉄で一本じゃない』
『そういや、そうだけど』
少し考えて、ゆうちゃんの店になん時間か居続けるのも芸がないと思った。
なにか理由がないと渋谷までは行かないから、それもいいか。
一時間待てるのなら行くと返事して、出かけることにした。
地下鉄の車内で少し眠ってしまい、ちょうど渋谷の手前で目が覚めた。
長く電車に乗った感じがしなかったのはよかった。
改札を出て約束したあたりで智佳を見つけた。
レストランでは鏡の中で一瞬見ただけだったから、改めて顔を見るのは二年ぶりということになる。
記憶の中にあったそれより若くなっているような気がした。
「待ったか?」
「いや、いま来たとこ」
「ふーん」
「……そんなに見ないでよ」
「おまえ、顔はきれいだな」
「『は』って何よ、中身はきたないみたい」
「そんなことはないって」
「どうせヨゴレですよう」
スペインだかイタリアだかの料理屋に入って、赤ワインのボトルを取った。
海老やアサリやほうれん草を食べながら話した。
「まじめに話しちゃうと」
智佳はかしこまって聞いている。
「水商売をしようが、多少脱ごうが、人間そんなことじゃ汚れない」
「そうかな、だといいけど」
「他人を操って自分の思い通りにする、それでいい目を見ようとする、そういう考えを持った時に汚れるって感じするんだよな、おれは」
「そうだよね!」
智佳は拍手をした。
「こっちは身体ひとつで生きてるんだから、文句言われる筋合いないよね」
「……いや、いつまでも身体ひとつじゃ困るけどな、とくに智佳は」
昼からハイボールを飲んだあとにワインで、さすがに酔いがまわったのか、サンジは普段より饒舌になった。
智佳も水のようにワインを飲んで、もう一本注文した。
休日の渋谷で、まだ外は明るい。
周りのテーブルは普通に食事をしているカップルがほとんどで、大酒を飲む二人は浮いているといえなくもない。
「お客さま、パスタなどはいかがでしょうか」
ワインの瓶を持ってきたマネージャーが食事を勧める。
「食べちゃったら飲めなくなっちゃうじゃんよ」
(ガラ悪い、っていうか、単なる酔っ払いだな……おれもだけど)
(顔は、きれいなんだよな……いちおう)
サンジは、きれぎれにそう考えた。
「もう夏みたいな天気だねえ」
「いまごろにしちゃ暑いな」
「あたし夏が好きだからさ、終わっちゃうと寂しくなるんだよね」
「気が早いなあ、始まる前から終わりのことを考えるのか」
そんなに生き急ぐな。
急いだって、のんびりしていたって、トシはとるんだから。
サンジはそう言いかけたが、そこまで口に出すこともないかと思い直した。
(ただでさえ説教オヤジになりやすいからな、酔っているからって)
「いい休日になったよ」
智佳は友だちと約束しているというので、店を出て別れることにした。
ほかの客でも待たせているのか、そこまではサンジは知らないし、詮索しない。
「こんどはちゃんと口説いてくれる?」
「それもいいけどね」
サンジは背筋を伸ばした。
「寝ちゃってそれで終わりなんてつまんないからな、おれはもうちょっと智佳と遊んでいたい」
「そうなの?」
「だめか」
「どうしようかなあ」
とくに話の結論はなく、手を振って別れる。
それからどうやって家まで帰ったのか、サンジは覚えていない。
なにか、本当のことを話しすぎたような気はした。




